農園日誌ー

30.10.17(水曜日)曇り、後晴れ、最高温度24度、最低温度16度

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           秋野菜に覆われ始めている3番の圃場

 3度の台風襲来により、茄子類が痛手を被り、撤去した後の畝に秋野菜の定植・種蒔きを行った。
農園としては痛しかゆしの処。夏野菜を撤去しなければ、秋野菜を植え込むところが確保できないし、秋茄子を楽しみにしていた最盛期に近い茄子類を撤去しなければならないしですが、おかげで畑は秋色に染まり始めている。
これも自然のなせる業、自然に順にいくしかない。
高ものが無くなると、一気に見通しが良くなり、すっきりとなった畑も中々に良いものです。しばし見とれる。

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こちらは、5・6番の圃場。
ここもつい先日まで、トマトや伏見トウガラシなどの夏野菜が植わっていた。
撤去作業を終えると同時に堆肥を撒き
畝を立て、秋野菜を植え込む。
このように当農園は瞬時に畑の模様が変わっていく早業。これもいつもの季節の移り変わりの一コマ。

外から訪れた農家の方々はこの変わり身の早さにいつも驚いている。
これも草木堆肥しか施肥しない当農園の特徴であり、土作りは草木堆肥を年に何回施肥したかであり、圃場の良し悪しが決まる。
先人たちが営んできた土作りの歴史がこの農園に蘇っている。

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これは一本葱の畝

集中豪雨により、土が固まり、畝間に管理機や鍬を入れ、土を中耕してやると、根に酸素が行き届き、復活しかかっている。

中秋の味覚である一本葱がもうじき皆様の元に届けられる。



皆様へのお知らせですが、近々、長らくご愛読して頂いていた佐藤自然農園のブログも、おそらくは、11月中旬頃から「むかし野菜の邑」のホームページへ引っ越しをするようになると思います。(現在その作業中)
バージョンアップして皆様にご披露ができることを願っております。
その力はむかし野菜の邑で育った(研修生だった)若い力によるものです。
うまくいくことを、見守っている処です。・・ややイライラしてはいますが・・・

このようにして代替わりをしていくものです。うちの畑と同じです。

最近、若いメンバー達は生意気になり、反抗的な態度をとるようになってきている。
丁度小学生が5~6年生になると、親に歯向かうようになってくる。
反抗期と同じで、自立への一つのステップなのかもしれない。
そのため、農園主も若手メンバーとは別メニューで作業を行うことを多くしている。

唯、生産管理(作業の段取り・組み立て・人のやりくり・圃場や畝の選択・年間100種類以上の野菜の植え付けや種蒔きの時季選択等々)の出来不出来は、出荷野菜の不足や生産量に直接関わってくるだけに、気が抜けない。待っていただいている農園の仲間たちに届ける野菜が無いことにならないように・・経験がものを言う。

現在、むかし野菜にて農園直販を行おうとしており、その際、加工品は重要なアイテムとなる。むかし野菜では、日本古来から育んできた食文化(漬物・味噌・雑穀類・むかしおやつなど)を現在に復活させようとしており、古い伝統食品を現在に合わせる工夫もしなければならない。それがむかし野菜の加工品であり、商品開発でもある。この商品開発能力は、実践力と経験と思いが必要となり、同時に高いマーケティング能力(市場性に問いかける)も重要となる。

さらには、お客様と直接向き合う販売促進能力、お客様とのコミュニケーション能力、販売チャネルの開発などの実践力や気力が必要となる。

これらは全て農業経営能力であり、生産管理・商品開発・販売促進などを総合的に組み合わせる必要がある。

それらは長い経験と実践と高い思いが必要であり、それらを学ぶ過程において、
若いスタッフ達が忘れてはならないものが、謙虚さである。
「己の心を虚しくして、様々な事象から学ぶ」ことが謙虚と言う言葉である。
少しばかりできるようになったからと言って、傲慢になってはいけないし、謙虚さの言葉の意味が理解できないと「経営」はできない。

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   土と共に生き、自然を畏れ、家族を愛し、仲間たちと共に活きることを願う


農園主もかって銀行員時代に大きな転機があった。
当時は融資を担当しており、多くの企業の事業再建を行ってきた。その中で、つい
自分はできると思い込んでいた恥ずかしい時期もあった。
その時、一人の他行の支店長と接したときに、その思い上がりを見事に粉々に打ち砕いていただいた。
今思うと、自分がある程度の高みに達していたからこそ、その支店長のレベルの高さに気づけたのだと思う。
雲の高さは、ある程度の高いところに昇らなければ、その高さは見えてこない。
但、この支店長はあまりに出来過ぎたために、ある都銀の常務で終わってしまわれた。ここに日本の恥ずかしい部分もあるのだが・・

思いあがった今の政治屋や大企業のトップなどは、日本や国民を憂いていたむかしの著名な政治家達とは、畏れを知らない無知蒙昧の類かもしれない。