佐藤自然農園「農園日誌」

【 大分県で自然栽培の野菜生産を行っています 】

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「健全な美味しい野菜作り」(草木を使った家庭菜園)

 

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茄子を選定していたら虹が!


「健全な美味しい野菜作り」

(草木を使った家庭菜園を目指して)
最近、むかし野菜の邑では、農業体験・研修を希望される方が増えている。
大半の方はどのように野菜が作られているのかに興味があるだけかもしれませんし、農業に癒しを求めているだけかもしれません。
その背景にあるのは、資本主義経済のグローバル化が進むことによって国家間の紛争や諍いが絶えませんし、物価高騰は世界的な傾向となっており、日本の将来も、進むべき道も見えません。漠然とした社会への不安や閉塞感の中で、農業に関心を持つ人が出てきているのかもしれません。
 
ただ、日本の農業は衰退から農地承継者が居ないと言う消滅危機に移りつつあります。
現状、消費者は農産物や野菜などは農協を含めた大型流通に頼らざるを得ません。
日本国民は除草剤・残留農薬・ポストハーベスト・遺伝子組み換えなど危険な輸入農産物を食べさせられていることをまたはその状況を、消費者は知ろうともしていません。
国や報道が国民に知らせていないからか、少なくとも自分たちが食べている農産物に興味を抱くことは大切です。
そのような農産物環境の中で、農業にあるいは、家庭菜園に興味を感じておられる方が出始めているのかもしれません。
 
農薬や化学肥料に頼らない野菜作りを目指している方も多くなっているようですが、家庭菜園や小規模菜園であっても何から始めたら良いのか、どうしたら良いのかわからない方が多いでしょう。
先ずは、土つくり・畝立てから始めますが、最初にぶつかる疑問は肥料はどうするのかと言うことです。一年目は何とかなっても二年目は野菜が思うようには育ちません。土が育っていないからです。
 
草木には、小動物・微生物・菌類・バクテリアなどが棲んでおり、土中に施すと彼らの餌となり、繁殖しながら土を育てているのです。同時に葉っぱはミネラル分を多く含んでいますので、土壌にミネラルを補給していることになります。
そこで最初は草や葉っぱを利用して土を育てながら、化学肥料のお世話になり、楽しみながら試行錯誤の連続と工夫しながらの小規模な家庭菜園から始められる方が良いでしょう。
 

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農園では剪定枝を破砕しています。草木堆肥の主原料となります。
破砕屑と葉っぱには膨大な微生物・菌類が棲み、土を耕し、
畑に生命に必要なミネラル分をもたらしてくれます。


(草木堆肥と化学肥料の併用)
当農園では肥料栽培をせず草木堆肥施肥による低窒素栽培を行っており、大量に草木堆肥が必要になります。
小規模あるいは、家庭菜園では草や葉っぱを大量には集められませんし、剪定枝を破砕する機械や堆肥を積み上げるタイヤショベルもありません。
 
そこで、先ず、畑周辺の草を刈り、除草した草も堆肥材料ですので一か所に集めておきます。
次に公園などの落ち葉を集めます。木は地中深く根を張り、土壌に含まれているミネラル分を多く含んでいます。
それらに園芸店に売っている乾燥牛糞・鶏糞などを購入し、それらの材料を混ぜ合わせ、水を加えて厚いビニールを被せておきます。
ある程度しんなりとしてきたら、それらをフォークを使って高さ50センチに積み上げ、水分を十分に補給してからビニールを被せておきます。
一か月ほど置き、それらをフォークで水を加えながら切り返します。
2~3か月したら、草木堆肥らしきものができていますので、土に施肥し、三又鍬で土に混ぜ合わせます。これが元肥と言うものです。
その中にはミネラル分があり、バクテリア・菌類・微生物・小動物が棲んでおり、長い時間を掛けて土を育ててくれます。草木堆肥を常に作り続け土を育てるのです。
当農園では最低3年、そして5年と経過しているうちに野菜が美味しくなってきます。
(20年間以上それを続けているのがむかし野菜の畑です)
尚、広い畑をお持ちの方は土が育つまでの3年間、さつまいもと大豆を育てるのも良いでしょう。
さつまいもは根ですから、肥料は使いません。窒素分を多くやると葉や蔓ばかりが育ち、根は発育しません。大豆は根粒バクテリアが付き空気中から窒素分を取り込みますので、窒素肥料は要りません。ただ、ミネラル分は必要ですので草木は加えてください。 
それ以外の野菜は土が育つまでかなりの時間を要しますし、その間やはり野菜を収穫したいですから、化学肥料のお世話になるしかないと思います。
化学肥料は大量に使わなければ野菜に害(硝酸態窒素増加=毒)は少ないです。
 

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竹べらで畝に筋を引きます。


(筋蒔き)
葉物・大根・人参などは竹べらを使い、畝に10~15センチ間隔で3~5センチ幅の筋を引きます。
葉物は親指・人差し指・中指で摘まみ、回すようにして種をばらまきます。
大根・人参は5センチほどの間隔を空けて一粒ずつ種を置くようにしていきます。
その上に土を被せますが、被土が厚くならないようにしてください。発芽しなくなります。
農業本には、「この野菜は点蒔き(あるいは筋蒔き)をしてある程度成長したら、成長の遅い小さな苗を間引き、苗の間隔を10㎝程度に空けます」などとあります。
これだと、間引き手間がかかり過ぎることと、個体の数量が著しく減り収量も上がらない。
しかも害虫が数少ない個体に群がりますので、害虫多発時季には3~4日毎に農薬を散布しないと野菜は数日で網目状になります。
気候の変化や害虫などによるリスク軽減のため野菜同士を競い合わせる群体での密集栽培は有効なのです。密集植えされた野菜は競争し合って大きく育とうとします。
成長したら、大きな野菜から収穫を始めます。すると、二番目に大きい野菜が育ってきます。それを繰り返しながら一つの畝で数回収穫を行います。つまり、大きい野菜から順に間引いていくと言う感覚です。これを間引き出荷と称しており、収穫量は3倍になります。
 

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人参の種を筋の中に千鳥蒔きします。こうすると狭い畑でも多くの野菜を植えることができます。
大根はこれより広く蒔きます。大根の大きさを考えてください。
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大体、こんな感じです。
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種を蒔き終えたら手で土を被覆します。根の直径と同じ程度の厚さにします。


成長過程では雑草と野菜が密集してきます。野菜より雑草の勢いが強く、太陽の光が当たり難く、風も通り難くなり、蒸れ易くなりますので、草取り作業は2~3回は行います。
野菜がある程度大きく育ってきたら、今度は野菜が雑草の生長を防いでくれます。
高密度栽培は、季節によって種の播き方が変わります。湿気が多く蒸れの起こりやすい時季
は種を少なめに蒔き、共倒れを防ぎます。
(多くの農家は除草作業に大変な労力が掛かるため除草剤を使いますが、自然栽培では当然に除草剤は使いません)

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葉物の場合はこんな感じの密集蒔きをします。


密集栽培
密集栽培の場合、より大きく育った野菜から収穫を始めます。一通り収穫を終えたら、
次に大きく育った野菜を収穫し、それを繰り返し、一つの畝で概ね3~4回は収穫できます。
除草はまだ苗が幼い段階で一回目の草取りを行います。筋蒔きですから筋の間のまだ小さな草を掻き取ります。作業も楽です。苗が育ち大きく葉を拡げてきますと、その陰では雑草が育ちにくくなり、手間も省けます。

「徒然なるままに」(継続は力―土を育て、野菜を育て、人を育てる)

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「徒然なるままに」(継続は力―土を育て、野菜を育て、人を育てる)

 

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草木堆肥振りーここは小麦の種を蒔きます

「徒然なるままに」
(継続は力 ― 土を育て、野菜を育て、人を育てる)


大分県は自然豊かで物産豊富な豊の国と言われた地域でした。
山々が連なり、中山間地で扇状地が多く、土は肥沃で災害も少なく自然が豊かな地域です。
地域人口は減少し続け、農地の60%以上が次の農業後継者が定まっていないのです。
高齢化は深刻で水路維持も難しく今後5年以内には40%の農地が荒れ地に変わっていくことになるでしょう。この農業者不足の状況は程度の差はあれ、全国に広がっています。
国を始め、県市町村にも危機意識は無く、何ら方策も定まってはいない状況です。
国は日本の農業を見捨てていると思っても良いほどです。結果として日本の食糧確保を放棄していると考えても良いと思います。これからの国家間競争・地球温暖化に伴い食糧確保の駆け引き・食料品の高騰に晒されていくことでしょう。
 
私が農業を始めたのは、このような地域農業の崩壊、水路などの歴史的な農業遺産や自然の荒廃が加速する中で、有機農産物及びその加工品による地域再生を目指したからです。
その後、化学肥料等に頼らず、草・葉っぱ・木などの自然物による自然栽培に舵を切りましたが、私の力不足で地域再生は進んでおりません。
むかし野菜の邑をその生産基地・加工基地として、自然循環農業の後継者育成に重点を置き、消費者への啓蒙啓発活動を行いながら、健全な農産物を求める(価値観を同じくする)消費者との連帯を図っております。
自然栽培はひたすら土と向かい合い、自然環境の変化と折り合いを付けながら自然に順なる農業です。高騰するであろう化学肥料・農薬・除草剤に頼らず、草木堆肥を使った土を育てる農業には、大きな労力と手間と時間を要します。
ただ、この農法は確実に市場変化に対応できる農業となります。
 

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収穫体験の一齣


20年間、土を育てるのと同じくらいの年月を掛けて若い農業者の育成を行ってきました。
様々な事情があるにせよ、農業及び農業経営の厳しさ故か、農業承継者の定着化が難しく、若い農業者は育っていません。
現在、50代の新人二人と30代後半の男子一人、そして私の家族3名、パートさん達数名でこの自然栽培のグループ農業を行っております。
それでも今では、草木堆肥施肥歴10数年以上の圃場が約2ヘクタールほどできており、
定期的に野菜を購入頂いておられるお客様も約4百名以上はおられ、徐々に増えてきております。
30年間、研鑽してきた自然栽培の農法・微生物等が育った豊かな圃場・信頼関係で集まってくれたお客様達、これら全てがむかし野菜の邑の農業資産であり、健全な農産物作りの橋頭保(足掛かり)なのです。
消費者・生産者と一緒になって、これらの農業資産や思いを引き継ぎ、発展してもらいたいと願っております。
 

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むかし野菜の邑の社屋完成式典での風景


さて、前回・前々回からの北九州のある会社にまつわる続編です。
前回、会社再建の課題を高利借入金利子の返済を止めること、金融償還を可能にする売り上げの増強、金融機関からの高利救済資金貸付の三つに絞ったお話を致しました。
金融機関からの高利救済資金貸付のうち、大手生保会社と都銀の二行の大まかな協調支援の同意は取り付けました。
問題は私の所属している銀行との交渉です。大まかな報告(実質は内稟議ですが)は済ましておりましたが、審査部や頭取等はまさか協調支援予定の二行が同意してくるとは考えておりませんので、その報告には審査部からの意見や指摘は何らありませんでした。
いきなり、高利救済資金の貸し付けの本稟議を本部に上げました。
審査部に出向き、再建の趣旨や行程を説明し、今更引き下がれない旨を伝えました。
審査部としては晴天の霹靂でしたでしょう。大いに慌てたようですが、引きずられるようにして渋々承認を出しました。私の作戦勝ちです。
 
次の一手は10数名の高利貸達との交渉です。
10数名と会社社長及び公認会計士を料理屋に集合させ、私はこのように伝えました。
「皆様方にはこの会社を今まで助けて頂きありがとうございます。それでもこのままではこの会社は持ちませんので、今回時間はかかりましたが、皆様が貸し付けた3億円の融資金の半分を金融機関3行で肩代わりさせて頂きます。ここに1億5千万円の資金があります。
ついては、残りの1億5千万円は諦めてください。そして金利支払いも一切致しません。
皆様も今まで高利受け取りで収益は十分に得ているはずです。
二時間以内に皆様方で話し合って頂き、貸付金と金利放棄の誓約書に署名していただきます。
もし、貸付金を半額に棒引きすることに同意いただけないのであれば、また、金利支払いを迫るようであれば、明日を持ってこの会社を倒産させます。その結果として皆様の3億円は回収不能となります。
今からきっかり2時間の話し合いで結論を出してください。私は隣のパチンコ屋にいます」と言って私は席を外しました。
 

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大分県の中山間地ー麦踏の風景


最後に残った大仕事がこの会社のメイン取引先である大手機械製造会社や運送会社との折衝です。
年末、大手機械メーカーの部長さん2名を小倉に招き、数名の銀行員達がその会社の豪邸で忘年会を開いている最中に、そこに二人が訪れると言う形を作りました。
その目的はこの会社が如何に信用があるか信頼される会社であるかを示すことにあります。
 
その後、社長は大手取引先との宴会などで裸踊りをしてみたり、様々な折衝努力をされていました。社長は子供達にはこの姿は見せられんと言ってこぼしておりました。
かわいそうですが、弱気になると叱咤激励、時には大喧嘩をしながら彼を支え続けました。
当時はそういう時代だったのですね。
大手会社は一次下請け・二次下請け・三次下請けと中小企業は中々一次下請けにはなれなかった時代でした。(当然ながら一次下請けでないと十分な収益は得られません)
そのような背景の中で社長は私との約束を守ってなんとしても会社を再建させることに腐心していました。度々私の処へ相談に来ながら頑張り続けているうちにある事件が起こりました。
大手機械メーカーの構内作業の最中に人身事故が発生しました。
社長から電話が入り、こう言いました。
「佐藤さん、この事故の責任を被ってよいか?」その作業の責任者はあなたの会社だったのかと聞くと、「嫌!工場担当者が差配していました」
「根回しは済んでいるのか?」と聞くと、工場長には話を付けていると答えた。
「それでは弱い。担当役員と折衝しておいてくれ」と私は言った。
こうして人身事故の責任を被ったことによって機械メーカーの信頼を得たのです。
これを契機にして、この会社の在り様と仕事ぶりを評価され、その2年後、念願の一次下請け会社となった。これは奇跡に近い出来事でした。
これが北九州の解体組み立て・運送会社の大まかな再建の経緯です。薄氷を踏む毎日でした。
社長との企業再建に向けた二人三脚の闘いによって数年後この会社の再建はなったのです。
今では年商20億円の立派な中堅会社として、業界の評価を得ております。
その経過などは時間がありましたらお話いたしましょう。

「徒然なるままに」(温故知新―故きを温ね新しきを知る)

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「徒然なるままに」(温故知新―故きを温ね新しきを知る)

 

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キャベツと白菜の畑


(温故知新―故きを温ね新しきを知る)
まだ銀行員だった時、有機農業を目指して実験栽培を始め、日本の有機農業の草分けと言われている方々を訪ね、教えを乞い有機肥料に工夫を凝らし、試行錯誤を重ねてきました。
ところが、いつまで経っても野菜の味香りや旨味が感じられず、次第に有機肥料栽培に疑問を感じて、図書館通いが始まりました。
土壌の本・生物学・微生物の本を読んでみましたが、実際の農業現場ではすぐに役に立つ話ではなく、古い農業本を探し、昔の農業はどのように行われてきたのか、どのような土つくりや肥料を使っていたのか調べてみました。
それから草・葉っぱ・若干の牛糞を混ぜて堆肥つくりを始めました。
草木堆肥がうまく作れるようになり、草木堆肥の使い方に工夫を凝らし低窒素堆肥による土つくりや野菜の育て方が見えてきました。今までの体験した現場や読み漁った本たちの意味がようやく頭の中で繋がってきました。
同時に野菜達に旨味と味香りや歯切れの良い食感が出てきました。
7~8年を要しましたが、昔の肥料も無かった時代の味ではないかと思われる美味しい野菜達が採れるようになりました。
歴史に培われてきた農業は故人たちの様々な知識と経験が蓄積されており、やはり本物でした。
古い農法に工夫を凝らし現代に生かす。私なりの自然栽培の農法を確立したつもりです。
農園を2003年に開いてから23年の間、自分の背中を見せながら後継者育成をしていると、若い人たちが「お父さんの考え方や指導育成方法は古いのです」と言います。
そこで私はこのように返します。
「人類は何時まで経っても進歩が無く、いつも同じ過ちを繰り返している。歴史がそれを証明している。AIが進んでも人の経験と叡智にはかなわない。生命体として、自然の中での営みを続けていると、生きる勘はAI人工知能をはるかに凌駕している。現代人は先人達の様々な経験と知恵(故)を尋ね(温)新しき叡智を授かることの大切さを忘れている。
私が古いと言うより、貴方たちは故人と比べても人間としての在り方はむしろ退化してきているように感じる。もっと謙虚になって学びなさい」
 

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九重連山
私の常の散策コースです。山は良い。疲れるといつも自然に山に向かう
人間の小ささを知り、自然のやさしさと厳しさを教えてくれる


さて、前回の続編です。北九州のある会社にまつわる話です。
その会社の存亡をかけたの闘いは後にお話するとして、その会社を再生することに関わってきた人たちの話です。
 
会社再建の課題を高利借入金利子の返済を止めること、金融償還を可能にする売り上げの増強、金融機関からの高利救済資金貸付の三つに絞りました。
半ば脅しに近い交渉により高利金利支払いを一時差し止め時間を稼ぎながら、
メイン取引先である数社の上場企業の信用を得るため、売り上げ増強を図る手立てを講じながら、
同時に協調して頂ける金融機関との再建計画についての支援や借入交渉を行います。
いずれも気が遠くなるような綱渡りの交渉・折衝の連続となります。
 
先ず、大手生保の担当者に高利救済資金融資をお願いしましたが、その条件が二つのメインバンクの支援の確約があることでした。その協調融資金融機関は大分銀行と都銀の二行です。当然の条件です。
先ずはこの再建シナリオの一番のポイントとなる都銀との交渉です。私が作成した再建計画を携えてその都銀の支店長を訪ねました。ここが正念場です。
その支店長は再建計画をつぶさに眺め、最後に決算書を見ながら、瞬時にその粉飾部分を指摘されました。(融資を取り付けるために若干の粉飾を施していました)
誰にも見破れないという自信と言うか、過信は一瞬のうちに瓦解し、脇の下には玉のような汗が流れ落ちました。人間は極度に緊張するとこのようになるのですね。
その支店長に圧倒的な能力と畏怖感を感じ取り、本物に接し感動しているような感覚になりました。私自身が井の中の蛙であり、謙虚さを失いうぬぼれていたのです。
 
それでも、会社の存亡がかかっており、開き直りました。
それから率直に支店長に誤り、本音を打ち明けながら会社の実情と将来性を語り、長い協議になりました。
最後にその支店長は少し席を外しますと言うと、別室にて本部と連絡をしていました。
席に戻るとこう言われました。
「分かりました。私の中ではこの申し出はOKです。本部への稟議がありますのでそこは分りますよね。ただ一点、あなたは転勤しますね。それでもこの会社との関りを続けますか?」
再生には長い時間がかかり、その会社再生は他人ではできないわけですから、その覚悟を聞いてこられたのです。
(マニュアルとコンプライアンス偏重の今の銀行ではありえないことです)
「当然にこのようなご無理なお願いをしているわけですから、会社が再建できるまで関わり続けます。私はいつもそうしております」と答えました。
支店長は私を信じて全てを飲み込み、腹に抱え込んでくれました。
ここにも「仁義礼智信」のむかしの男が居たのです。
 

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年間100種類以上の野菜を育てる。毎年数種類の新たな野菜の種を蒔いてみる。
それでも自然栽培に向いた野菜は少なく、一種類程度が農園のアイテムとして残っていく。
それを重ねた結果が100種類を超す野菜達となりました。


帰ろうとすると、飯を食っていきませんか?私は同席できませんが次長と融資代理がご案内致しますと言われ、別れましたが、最後に私はこう付け加えました
「支店長は己に厳しく随分と努力をされ続けているのですね」と言うと、彼はこう答えました。「あなただけです。そう言っていただけるのは。ありがとう」と・・・
感動に浸りながら彼らと一緒に食事をしているとその二人はこう言いました。
「私はあの支店長と対等に話をした人を始めてみました。あの人はこの銀行の中では
カミソリ〇〇と言われており、頭取以下全幅の信頼を得ているのです」
私はその言葉を聞いた時、またドッと汗が流れだし、穴があったら入りたいような恥ずかしい気分になりました。
それと同時に支店長の計らいは自分の部下たちと私と話をさせて、教育させようとしているのだと感じました。流石です。一枚も二枚も上の人です・・・
人はあの人は頭が良いから仕事ができると思って、その人の能力を誉めることが多い。
それはそうかもしれないが、その人の絶え間ざる努力と研鑽の跡を見ようとはしないものです。
彼は私の人生の中で最高の出会いの一人であり、同時に私は謙虚さと学ぶ姿勢を取り戻すことができました。私が40歳のころのお話です。
 
次回では、多くの課題を抱えたこの会社の生き残りを掛けた私と社長の闘いをおはなししましょう。

「徒然なるままに」(厳しさの裏にはやさしさがある)

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「徒然なるままに」(厳しさの裏にはやさしさがある)

 
 
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幼い頃の孫娘二人


(自分に厳しい人は他人にはやさしい)
 
有機農産物による地域農業の活性化を心出して銀行を54歳で中途退職し、農園を開いてから23年目を迎えています。
生産者・スタッフ・定期購入の消費者達を含めてわずか500名ほどの小さなグループです。
有機肥料栽培から自然栽培に変更したためか、あるいは、自然に順に土に向かい合う農業の奥深さを感じたためか、随分と時間がかかり、当初の目標(地域活性化)には程遠い現状にあります。
今はこの農業を次世代に伝えていくことに重きを置いています。
人を育てることの難しさを実感しながらも、後継者たちには決して甘い言葉を掛けないようにしております。自立した農業者として立ち向かっていかねばこの厳しい農業環境や農産物の安全性・健全性志向の薄れてきた消費者環境ではすぐに潰されてしまいます。
自立した農業者としての在り様を見せながら後進の者たちに指導する毎日です。そんな中、何人かの名も無き男たちのことを思い出します。

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ビニールトンネルに覆われた3番の畑

 銀行員時代、特に融資担当になって間がない時、30代の後半でしたが、私は随分と悩みました。
融資担当として厳しいやり取りを行う相手は私より人生経験が長く、常に会社の生き残りを掛けて厳しい経営をしている人生の練達者がほとんどです。お客様のお金を預かり、それを企業などに貸し付けているわけですから、必ず回収しなければなりません。
そのためには融資先の事業体が健全な方向に進んでいなければならず、融資先への直言や厳しいやり取りがあります。
そんなことで悩んでいると、ある支店長から「お前は銀行を代表して経営者達に接し、時には叱り、経営改善を迫らねばならない場合もあるのだから何を遠慮しているのか」とこっぴどく叱られました。
 それ以降、腹を据え、会社に赴き、社長室(個室)に入るとその会社の社長になったつもりで現場に踏み込み、社長達に自分の思うところを明言し、事業体の問題点や課題点を話し合い、時には叱責しながら事業体の改善に取り組み始めました。
ある時を境にして、その支店長は融資稟議書の内容や会社の対応について何も言わなくなりました。おそらく間違ってはいなかったのでしょう。いつしか私は、会社再建屋と言われるようになっていきました。 

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玉葱畑の草取り

北九州は50年同じ形態で続いた会社は無いと言われる厳しい経営環境の地域でした。
その中に、ある解体・組み立て・運送を生業とする年商3億円程度の中小企業がありました。戦後、港湾荷揚げを生業とし荒くれたちを率いて一代で築き上げた会社であり、北九州のやくざ達が集まっていると言う噂も聞こえてきておりました。
その会社は借金地獄に陥り、いつ資金繰り倒産してもおかしくない状態でした。その借金地獄の要因は会長の経理感覚の乏しさによるもので、会社のお金も個人のお金も混同している古い経営感覚から来ておりました。
結果として3億円ほどの金融借入と同じく3億円の裏の借入が資金繰りを圧迫していたのです。ほとんど毎日、約束手形の決済資金が不足し、いつ潰そうかと思う日常でした。

そんな時、会長の息子である社長から、一度会長に会ってくれと頼まれました。そこは〇組御殿と言われた豪邸があり、皆から恐れられていた会長宅でした。 
私は意を決してあえて日曜日夕方に私服で会長宅を訪れました。
駐車場に車を止めて降りると、門にはかがり火がたかれており、玄関までに10数人の社員たちが膝に手を置いて出迎えていました。
玄関に入ると緋毛氈が敷かれ、社長が手をついて出迎えています。
一瞬図られたと確信し、社長を睨みつけ、なんのお出迎えかと尋ねました。
そのまま奥座敷に入ると正面に会長が座り、両翼にいかつい男たちが控えています。
やはりと思いながら、腹をくくり、挨拶を済ますと、こう尋ねました。
「丁重なおもてなしを頂きありがとうございます。ところでここに居られる方々はどなたでしょうか?」
早速に3名から名刺を差し出され、見るとやはり北九州を仕切っている裏の世界の方々でした。
その方々と挨拶を交わさず、会長にこう申しました。
「今日は日曜日に私服で銀行員としてではなく会長と差しで話をしようとお伺いいたしました。これはいかなるおもてなしでしょうか?」

すぐに彼らからの激高に晒されながらも会長を睨みつけました。一瞬だったか、それとも長かったかはわかりませんが、会長が皆を制し、椅子から滑り降りて深々と頭を下げ、皆を下がらせました。

それから二時間、会長と社長、そして私の3人での話し合いに入りました。会長の激しさと厳しさの中に、それ以上のやさしさを伺い知りました。
この倒産前夜の会社には行き場を失くした多くの男たちが居り、重量物の解体組み立て・運搬に携わっている。
この仕事には一糸乱れぬ統率が必要であり、それをまとめ上げている会長の存在は大きく、今後の日本の未来にはこのような仕事師たちが必要であると確信しました。

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農園から見える由布・鶴見山

最後に私はこう言い切りました。言わされたと言うべきでしょうか?
「今後、会長は代表権を降り、社長に全権を委ねてください。それがこの会社を生き残させる条件です」
高利の借り入れは会長の面倒見の良いやさしさから生まれた借金でした。
これを断ち切らない限りは会社再生はできない。
また、今時このような鉄の掟を持った会社は少ない。
これからの日本にはこのような重量物解体組み立てや運搬を行う会社は必要であり、必ずこのマーケットは広がるとの一つの結論を得ました。

これから私の苦闘の日々が始まりました。後の話は次回にお話ししましょう。

農園日誌ー真夏8月(乾季と猛暑)

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農園日誌ー真夏8月(乾季と猛暑)

 

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ゴーヤのトンネル
アルミパイプで骨組みをし、枝付きの竹で覆い、後は旺盛なゴーヤの蔓が勝手に緑のカーテンを作ってくれます。50度に近い畑からこの中に駆け込むと別天地の避暑地です。ゴーヤは緑と白の二種類です。草木堆肥で育った土壌から採れたゴーヤはエグミが無く、苦みもマイルドで、ゴーヤ好きの方からは苦みが無いと苦情が出るほどです。 


「真夏」―(乾季の季節)(8月)

7月の梅雨明けと同時に、雨が一滴も降らない酷暑と乾期の時季がやってきます。
気温40度近い酷暑がやってくると畑の表面温度は50度を超す。
作業中にくしゃみが出たり、悪寒がしたり、冷や汗が出ますと熱中症の危険信号です。直ちに木陰に避難し1時間以上は休むようにしてください。一度熱中症にかかればその年は仕事になりません。体はだるくいつも夢遊病者のようにフラフラしてきます。
この時季の農作業は早朝になりますが、午前7時頃には背中にじりじりとした暑さを感じながら作業を行う毎日です。日中は休むか屋内での作業をし、太陽が傾きかけた午後4時半から暗くなるまで畑に出て、暮れなずむ夕日を見ながら帰宅します。
そうは言っても終わりが見えない夏野菜の剪定誘引作業がありますので、猛暑の中でもやるしか無いのですが・・・
 
時折、入道雲がやって来ても、今日こそ降るかとの期待は大概は裏切られ、天を見つめて何とかしろ!と、自然の神を呪う毎日が続きます。
近年は真夏は9月まで続きます。8月の初旬頃からあかねトンボが飛び始めますが、秋とは言えない暑さです。
畑は砂漠化し土埃が舞い、夏野菜達は葉を広げ、暑さから自らを守ろうとしております。
そのため、この時季は皮を被った実物しか採れません。秋作の葉物・大根などの種を蒔こうとしても暑さで焼き切れてしまいます。
軽トラックにタンクを積み、ポンプで水を遣りますが、焼け石に水と言った感じです。それでも乾ききった土壌には明日生き残れるだけの水分は入っていると思い、後は野菜の生命力を信じるしかない。(草木堆肥によって団粒構造となった土には保水力があるのが救い)
水分を欲しがる胡瓜は二日間隔で茄子は3日間隔で水遣りを行います。
 
日本の気候は確実に亜熱帯気候に近づいております。からからに乾いた大地に水をもたらせてくれるのは唯一台風からもたらされる雨です。台風の直撃を受けて畑が全滅するかもしれないという恐れを抱きながらも台風が来るのをひたすら待つ日々が続きます。
台風接近となると、被害を最小限に抑えるために夏野菜のひも掛けを急ぐ。直撃を受けたらもう諦めるしか無いのですが、やることはやって置かないと後悔が残るのです。
連日の猛暑の中、夏野菜の剪定誘引作業に追われ45分経過したら、最寄りの木陰・ゴーヤのトンネルの中に飛び込み15分休憩する。スタッフには生きて帰れよと声を掛ける。そんな酷暑の中での農作業が毎日続くこととなります。

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茄子の剪定
8月炎天下黒陽茄子が初期の最盛期を迎えており、旺盛に茂る葉っぱでブッシュにならないように風の道・光の道を作ってやりますとミツバチによる受粉がし易くなり次々と実をならせます。茄子類は種類も豊富で昔ながら黒陽・筑陽(これは焼き茄子が美味しい)、翡翠茄子や賀茂茄子(半割にして味噌を付けて焼く)、三色茄子(東南アジア原産でクリーミー)などがあり、出荷は11月初旬頃まで続きます。トマトやパプリカなどは太陽の日だしで実が焼き付いてしまいますので、木漏れ日が差すほどに葉っぱを残しながら、中程は葉を摘除し空気が通るようにしてやります。 

たわわに実る伏見とうがらし
牛肉と一緒に佃煮風に煮込むと常備菜にもなります。素揚げ・炒め物にも美味しい。
11月頃まで本来は夏野菜であるピーマン系の出荷が続きます。大量発生したカメムシによって10月ピーマン系野菜は壊滅してしまうこともあります。
 
白菜・キャベツ・ブロッコリーなどは8月盆明け頃から10月まで育苗ハウス内で順次育苗
トレイに種蒔きを行いますが、暑さのため、寒冷紗(太陽の光を50%カットする)を掛けて育てております。
熱さでうまく育たなくとも何回もトライしてみます。そのうち何とか育つ苗も出てきます。
そのため、近年の露地物の秋野菜の出荷は遅れ11月以降になってしまいます。
白菜・キャベツ類は12月頃ブロッコリーは1月の出荷となり、冬野菜と呼んだ方が正しいのかもしれません。秋の露地野菜の出荷は確実に一ヶ月ほど遅くなっています。
この盛夏の時季は、葉物野菜ができず実物野菜一辺倒になります。当農園ではそのため、紫蘇・蔓緑・丘わかめ・丘ひじき・バジルなど暑さに強いものを育てております。

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たわわに実る伏見とうがらし
牛肉と一緒に佃煮風に煮込むと常備菜にもなります。素揚げ・炒め物にも美味しい。11月頃まで本来は夏野菜であるピーマン系の出荷が続きます。大量発生したカメムシによって10月ピーマン系野菜は壊滅してしまうこともあります。


 
この季節は実物野菜の剪定誘因作業が主になり、特に台風に備えて置かねばなりません。
支柱の強化や枝の誘因ひも掛けなどを行いますが、それも風速15メートル程度までで、それ以上の強風が吹けば、枝は飛ばされ、葉はちぎれ、ひどい場合は支柱毎吹き飛ばされてしまいます。2022年は茄子の大半が強風により壊滅的被害を受けました。
台風の通り道である九州地方はいつもひやひやもので、神のみぞ知ると言うことで、あきらめ顔でひたすら台風通過を待ちます。
夏は人も野菜も生き残りを掛け、耐え忍ぶ毎日です。

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2月に苗床に種を蒔いた葱類は5~6月に定植し、7・8月初旬頃、土寄せ作業を行います。葱は成長に合わせて根元を掘り揚げながら2~3回の土寄せ作業を行います。この中耕作業は同時に除草作業ともなり、草を埋め込むように鍬を擦り上げて使います。余り草丈が大きくならないうちにこまめに土寄せをしたほうが楽です。根元が梅雨の雨で固まり根に十分な酸素が供給されなくなっているため酸素を供給してやります。また、葉元まで埋めることによって葱は太陽の光を求めてに伸びようとします。夏の酷暑から葱を守る事にもつながり葱類は太く大きく成長していくのです。 

「徒然なるままに」(謙虚さが乏しい人は人間の成長が止まる)

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「徒然なるままに」(謙虚さが乏しい人は人間の成長が止まる)

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(自己愛症候群)
20数年間、草木堆肥を作って、ひたすら土を育てる自然栽培(自然循環農業)を進めてきました。低窒素栽培は肥料栽培とは異なり、お手本が無く、試行錯誤の連続で、それは今も続いております。
低窒素栽培(露地栽培)は人間の思い上がりなど自然を軽視していると思わぬしっぺ返しを受けてしまいます。
自然は人間を包み込むようなやさしさと、人を寄せ付けない厳しさを教えてくれます。
古来から農業では自然への畏怖感と謙虚さが大切になってきます。そのため、社(やしろ)に農産物を捧げ、人間の自惚れや傲慢さを抑えて自然神に五穀豊穣を祈り、自然神を鎮めてきました。

その持続可能な農業を消費者へ広めようと、市場啓発・啓蒙活動をしながら幾多の方々と接してきました。
また、それと並行して自然循環農業の後継者育成を心出しております。
その中で、最近特に感じていることが人間の「謙虚さの欠乏」です。
自己中心の考え方や姿勢を強く感じてしまいます。
生きることにおいて自分の信念は大切なのですが、自分は常に正しいと自己肯定的で、どうやら他人や物事に、謙虚に向かい合うことが難しい人が増えてきており、特に40代以下の若い世代のひ弱さと謙虚に学ぶことの難しさを感じております。そういう人の特徴は強すぎる自己愛のようです。先ずは以下の病名を見てください。

 ※自己愛性パーソナリティ障害

  • 自己愛性パーソナリティ症の人は、自分の能力を過大に評価し、自分の業績を誇張し、他者の能力を過小評価する傾向があります。

  • 自己愛性パーソナリティ症の診断は、自分の重要性と才能についての誇大な、根拠のない感覚、無条件に賞賛されたいという欲求、特権意識などの特定の症状に基づいて下されます。

自己愛性パーソナリティ症の人は、自分の価値を過大評価しています(これを誇大性といいます)。また患者は自尊心に問題を抱えています。優越感や自尊心を高めるために、患者は以下のことをします。

  • 特別な人物や機関と関わりを持つ

  • 他者を低く評価し、自己を誇大に見せようとする

  • 常に賞賛されることを望みます

遺伝子と環境要因が自己愛性パーソナリティ症の発症に関わり、養育者が安定した自己感覚の発達につながらない形で子どもと触れ合っていた可能性がある。例えば、養育者が過度に押さえつけたり、過度に賞賛したり甘やかしたりしていた可能性が高い。自己愛性パーソナリティ症の人には、自己像や自己感覚を他者からの賞賛や尊敬と結びつけるのに慣れている人も多く、人格の形成ができていないことが多い。
自己を愛する、あるいは、自己を肯定することは悪いとは思いませんが、自己愛を強く持った人は人格形成を阻害していきます。
このような人が増えていくのは、一つにはゆとり教育で自分と闘うことに慣れていないことや理不尽さや疎外感が社会全体を覆っているため、自分を守ることや自己中心にならざるを得ない社会に要因があるように思えます。
 

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厳冬期の風景


(謙虚さは人格を育てる)
むかしの話ではありますが、私が銀行員時代、九州から関西のルートを持つフェリー会社がありました。
船を4隻持ち、いずれもかなりな老朽船で常にエンジントラブルを抱えていました。
私は融資担当をしており、一杯40億円もかかる新船の建造は無理と誰もが考えており、私自身もその無謀な融資や会社立て直しは無理であると半ば放置しておりました。
そのフェリー会社に名物船長がおりました。
岸壁に接岸する際にあわやぶつかる寸前にエンジンを逆回転させピタッと船を止めると言う豪放さを持っていました。無口で温厚で誰からも敬愛されている船長でした。
とある夜中の2時半頃、自宅に一本の電話が鳴り響く。
鳴りやまないので仕方なく電話を取りましたら、「嵐です。夜分に申し訳ありません。本船は只今、来島海峡の真ん中におります。エンジンが停止しました。」
(来島海峡は海流が複雑で渦を巻いており、大型船がそこで止まると流され座礁し沈没の危機が迫っている状況です)
私は「それは大変です。どうしますか」と問うと、彼はこう答えました。
「それは私たちはプロですから何とか致します。私が申し上げたかったのは、この状況を佐藤さんに知っていただきたかったからです。私は間もなく退鑑いたしますが、社員及びその家族300人の生活が懸かっています。何とか宿願の新船を作らせて頂きたい」
とこのようなお話でした。
それから、船会社株主達や協調銀行間と銀行内部の虚々実々の駆け引き連続の東奔西走の私の2年間の闘いが始まりました。
あまりに複雑できれいな駆け引きではないのでその話は止めますが、その5年後ようやく新船が4隻揃い、このフェリー会社は見事に再建できました。
少しだけ私の苦節の闘いを垣間見える逸話をお話しさせていただきますと、私の母が亡くなった際に自宅葬に弔問していただいた方の大半がそのフェリー会社の社員でした。
 

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曼殊沙華


それからさらに2年後、私が本店営業部に勤務していた時、銀行の受付窓口から電話が入りました。
「受付に白い服と帽子・手袋をした変な人が見えています。通してよろしいでしょうか?」
私は相変わらず融資窓口に座っていましたが、その窓口に来て、いきなり敬礼されました。
盛装をした嵐船長でした。「本日をもって私は退鑑いたします。佐藤さんにだけはご挨拶をしたいと本日、お伺いいたしました。おかげで社員たちは路頭に迷わないで済みました」
一瞬、その場に居合わせたお客様や行員たちは唖然とする中でそのまま再度敬礼をして帰って行かれました。
私が嵐船長と接点を持ったのは、船中無線での会話と彼が退鑑された時の挨拶の二回だけです。
私は今思うのです。お互いに損得無しのむかしの男と男の短い対話でした。
一介の融資代理である私を見込んだ男から使走されたのは私であり、私を苦闘に追い込んだのは正しく彼でした。
もし彼が居なかったらこのフェリー会社は2年と持たなかったでしょう。
 

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広い畑に9人で共同して一気に草木堆肥を撒く。
農業者たちの「結いの仕組み」がここにある。


このお話を古き良い時代の話と終わらせてはならないと思います。
「仁義礼智信」の5文字は東洋思想の中でも卓越した崇高な言葉です。
自己を抑えて他のために礼を尽くし、義(約束)を守り、最大の知恵を駆使して、信を立てる。
少なくとも嵐さんと私には通じる言葉であり、同じ思いがあったように思います。
嵐さんは無口ですが、常に相手の立場を考えて行動しており、人を見る目は本物です。
私は今でも彼のようにはなれないし、人生の中で敬愛する一人であり続けています。
 
現代の世相は自分の持ち分も守れず、自己愛に満ちており、謙虚さを無くし、人の言葉に耳を傾けず、他を思いやる心も薄くなってきております。
自己愛に満ちた人達と接する度に、私はこの嵐船長のことを思い出します。

「規格外野菜とは何?」(流通の野菜等の価値観)

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「規格外野菜とは何?」(流通の野菜等の価値観)

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自然栽培・露地栽培では当たり前にこのような野菜はあります。

(流通の野菜等の価値観)

「曲がった胡瓜、中細りの胡瓜などは正常に育っていないのでダメな野菜」などと野菜ソムリエがテレビなどで言っている。
これって、消費者の皆様はいかがお考えでしょうか?
自然栽培を行っている私などは、まっすぐな胡瓜ばかりがスーパーの売り場に並んでいると違和感を覚えてしまいます。
胡瓜は太陽が当たるとその部分から曲がります。土中に窒素分が切れはじめ終わりに近づいた胡瓜は中細り・末端が肥大します。
それでも胡瓜に変わりはなく、むしろ完熟期に入っており、それはそれで美味しいのです。
スーパーに並んでいる規格野菜を見ると、自然に順な野菜作りを目指している私などから言わせてもらうと、蝋細工が並んでいるようでむしろ不気味です。
肥料を過度に遣り、土中に窒素分を切らさないように、あるいはムラの無いように多めに施肥すると野菜は常に成長し続け、均一な野菜ができます。
その結果として窒素過多土壌で育った野菜の中には硝酸態窒素(毒素)が残留し易いのです。
見てくれだけで旨味も無く味香りも薄く、食感も悪く、むしろ苦みを感じます。
虫食い一つ無い野菜が並んでいると消費者はきれいとお思いでしょうが、私などはどれだけ農薬を散布しているのかと、むしろ怖く感じてしまいます。
例えば、茄子ですが、まだ幼い頃に害虫にディープキスされた傷跡は大きくなるにつれ、傷跡も大きくなりひきつったようにヒセができます。人間と同じです。
虫食いの痕がある野菜は健全な野菜なのですが、見てくれしか見ない消費者にとっては敬遠される存在なのでしょう。

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季節によって、あるいは、害虫の多い時季と治まった時季でも異なります。
この写真の時季は出始めの茄子で、十星てんとうむしが大量発生している時期の野菜です。

 正常な野菜に対する感覚は私と一般消費者では全く逆になります。 

 このような野菜達は流通では規格外野菜となり、多くは廃棄処分されます。野菜によって季節によって異なりますが、少ない時で15%、多い時で30%以上は廃棄処分されています。
さらに問題なのは大きく育ったレタス系・白菜・キャベツなども規格外としてほとんどが鋤き込まれます。ブロッコリーも一番果を出荷したらもう終わりです。実は二番果・三番果が美味しいのです。
規格外野菜を集めてカット野菜にして出荷しているところもありますが、設備費や人件費が嵩み、それらの規格外野菜を集めるだけでも大変です。

日本では何故こんなにもったいなく、無駄なことが多いのでしょうか? その要因の一つは流通の価値観がそうしているのです。ここでアスパラ農家の出荷基準を見てみましょう。
野菜の選別場ではサイズを分ける器具が設置されています。太さを選り分け、肥大したものは弾かれます。次に長さにも基準があり、長いものは切り取られて同じサイズに揃えます。この装置は?と聞くと農協の出荷基準の計測道具だそうです。
 農協・スーパーなどでの流通では、大量に捌くため包装しやすい、つまりは消費者が手に取り易いように、規格サイズを揃え、虫食い痕がある野菜は出荷段階で破棄され、流通へと渡ります。
野菜の本来の価値であるべき栄養価・安全性・美味しさなどの評価基準は無視、あるいは、軽視されているのです。
流通では大量販売が基本ですので、虫食い痕・変形・規格外サイズなど取り扱いに説明を要するようなあるいは、一般消費者達からクレームになりそうな野菜は全て排除しされます。

かくして、流通では先ずは見てくれ・サイズで統一された野菜達が蝋細工のように売り場に並べられているわけです。 

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農園体験会の一コマ
ブロッコリーの三番果を摘み取り自由にしてみんなかご一杯に。
中には摘みながら口に入れている子もいる。逞しい。


(消費者の価値観)

規格野菜が当たり前になったのは流通が全ての元凶であると、思われないでください。その主因は消費者側にあるのです。
勿論、先ほどの野菜ソムリエの良い野菜の定義は流通側の価値観を押し付けているに過ぎませんが、消費者も口では安全性やら、栄養価やら、美味しい野菜を求めているとは言っても、流通の価値観(見た目や規格サイズ)に慣らされてしまい、店頭に並ぶと野菜ソムリエと同じような購買行動をしてしまいます。
マーケットにはそれしか無いから当然なのかもしれませんが、野菜のことを知らない、つまりは無知からそのような購買行動をしているに過ぎません。

どうやら日本人にはむかしからGISマークを求める行動があるようです。
商品の基準を1から10までの基準で並べると日本人は真ん中の5の水準に集中するそうですが、欧米ではもっと鷹揚で3から7までで十分だと思うようです。
日本人は勤勉で生真面目で従順なのでしょうか?流通側の価値観を疑おうともしません。
もう一つ、日本人の横並び行動があるようです。
他と同じことをしていれば安心だと思ってしまい、他と違うことをすると嫌悪し攻撃する気質があるようです。
つまり、言い換えれば個の個性を尊重しない風土にも問題があるようです。 

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ブロッコリーの定植

(健全な農産物を提供したい農園主の思い)
健全で自然に順な野菜(過度な農薬・除草剤・肥料を土に入れない)ほど栄養価があり、美味しいのですが、自然の中で育つ分、気候や害虫被害の影響を受け易く見てくれが悪くなり生産リスクが増えて、労力も掛るため、大量生産・均一生産に比べてどうしても割高になる。
高品質野菜には価格が高いだけの価値があり、安い野菜にはそれなりの理由があるのです。 私などはどうしてそれが分からないのか?不思議で溜まりません。

現代の国や農政は除草剤・農薬・ポストハーベストの問題が山積しているにもかかわらず、農産物の輸入自由化をしており、禁止薬物や添加物などの規制を緩く図っており、国民の健康を守ろうとはしていません。

現在社会では無知はある意味では罪悪かもしれません。自分の体は自分で守るしかないのです。ひとりでも多くの消費者がそのことに気が付いてくれることを祈るしかないのですが、マーケットに大きな影響力を持たない農園主はひたすら土と向かい合い、消費者への絶え間ない啓発・啓蒙活動をし続け、消費者との連帯を深めていくだけです。