2019.7.17(水)曇り、時折雨、最高温度30度、最低温度20度
梅雨の中休み、胡麻の花が可憐に咲く
子供の頃は、何処の畑にも胡麻はあった。残暑厳しいとき、ござに干された胡麻の枝を叩いて種(実)を落とし、トウミに掛けてゴミなどを取り除き、何しろ余りにも小さな実なものだから、かなり面倒な作業をしていたような記憶が残っている。
この花を見ていると「あー!こんなきれいな花だったな」とどこか懐かしさを覚えた。
毎年チャレンジしているとうもろこし。毎年芯喰い虫にやられている。
それでも懲りずに今度は小さな畑に種を蒔いた。
何十本かはやられているが、今年は、比較的被害が少ない。
この分だと、粉類の試験的商品開発には使えるだけの収量はありそうだ。
「活きること」PART26
2018.9.2 処女地の開墾作業
熊本から料理専門高校を卒業後、19歳の若さで単身、農業の研修生として佐藤自然農園で自然栽培農業を学ぶことになった小原君。早いもので、早、3年目を迎えた。
二年間の農業研修を終え、新規就農を目指して、彼の畑を持つことになった。
むかし野菜の邑スタッフ6人で、散乱したビニール・パイプ・プラスチック・コンクリートの杭などを撤去した。その廃材処分などの費用は、小原君にはお金も資産も無いため、むかし野菜の邑にて負担した。
所謂、出世払いとなる。こうして、順繰りに農人を育てて行くことになる。
2018.12.9 畑作り(土を育てる)
ここは、以前は苺栽培に使われており、数年間は放置されていた農地であり、黒ビニールに覆われていたため、雑草はそんなに生い茂っているわけではなかったが、その分、土は硬化している。
むしろ雑草に覆われていたほうが自然に近い環境となり、微生物層はできていくのだが、残念ながら、一から土作り・微生物層を育てて行く必要がある。
野菜栽培の年間4回の施肥と異なり、野菜を育てられるまで、土が出来て行くには、少なくとも4年は覚悟しなければならないだろう。草が繁茂した放棄地と比べて、微生物層が出来ていない。その代わりと言っては可笑しいが、草の種子があまり落ちていないため、除草の手間は少なくて済む。
およそ軽トラック6杯分の草木堆肥・焼き灰・蛎殻・苦土石灰が振られた
見た目は見違えるようにきれいな圃場となったが・・・
2019.1.17 麦踏みと収穫
12月に小麦の種を蒔き、何とか麦踏みの段階まで育ってきた。
草木堆肥2:放牧牛の牛糞1を混ぜて通常より多めに堆肥を振ったため、発育はまずまずではあった。
唯、やはり力強さは今一のようだ。
その後、6月初旬、借り入れの季節を迎え、背丈は処女地にしては高く育っているものの、やはり、茎は細く、根張りも弱く、収量も3/4程度となった。
7月初旬、遅い梅雨入りを控えて、年間二毛作の一つ、大豆の種蒔きを行った。こちらのほうは、発芽状況も頗る良く、意外と良い大豆が採れそうな予感がしている。
むかし野菜の邑では、このように、処女地は先ずは、土が微生物層で耕され、団粒構造化するまでは、
麦・大豆・とうもろこしなどの穀類を植え、4~5年経過したら、次は南瓜や馬鈴薯を育て、さらに土作りを進め、団粒構造化が最低15センチの深さまで行ったら、初めて葉野菜などの種を蒔く。
草木堆肥を使った団粒化は一年で3~5センチ程度の深さまでしか育たないので、3年若しくは、4年経過しないと、むかし野菜の生産基準に満たない。研修生たちは、最低3年を待たないと野菜作りができない。最も畜糞等の肥料を多投すれば、すぐにでも野菜は育つが、味香り薄く、甘み無く、歯切れは悪く、むかし野菜の野菜の基準である「栄養価高く美味しい」とはならない。
その間、穀類だけでは生活基盤が保てず、そのために共同生産・共同加工・共同出荷の「結い」の仕組みがあり、グループ全員で支えることにしており、野菜作りで先行している先輩たちがむかし野菜の邑を通して、後進の面倒を見ることになる。その最大の農園が佐藤自然農園であり、会社の基幹農園に位置している。
次の関門は5年。5年以上の草木堆肥歴の圃場から採れる野菜は「金ラベル級」となり、大根・蕪類オクラ・キャベツなどの野菜が中心となる。
特筆すべきは、人参である。人参は根が深く土壌の出来栄えが、即、味香りに出る。
人参を植える圃場は、原則、草木堆肥歴10年以上経過した畑となる。
こうなると、その土はプラチナ級の土となっている。
このようにして、むかし野菜は定期購入のお客様の信用を得ている。
同時に、むかし野菜の邑に属する研修生たちは、およそ10年を掛けて野菜作りのノウハウを学び、様々な販売及び加工の実践を重ね、農業経営の経験を積み、ようやく一人前の独立農園主となっていく。