農園日誌ー社会的存在価値ーPARTⅥ-先人の叡智を学ぶ

29.3.22(水曜日)晴れ、最高温度13度、最低温度3度

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               新社屋もようやく形が見えてきた

 ここでこの後、若い後継者達とお客様達との間に、どのようなドラマが展開されるのか、楽しみでもあり、不安でもある。
この施設は日曜日、市民に開放するつもりであり、農園の収穫体験から料理教室・味噌漬物などの醗酵食品作り、竈でご飯を炊き、むかしおやつを作る。

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9番目の孫が今は農園の中心にいる。今日は出荷日、収穫を終えて野菜の整理をする前に、一時のティータイム。
ようやく独り歩きを始め、目が離せない。大人一人が付きっ切りとなり、おんぶしたり抱っこしたり・・こうして何人かの孫がここから巣立っていった。
農園は雑菌の巣であり、小さいころから抵抗力が付いていき、むやみに病気をしない
その意味ではまことにたくましく育っている自然人である。

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大根・蕪を洗っている。             その大根を軒下に吊るす。

これらは、甘酢漬け・粕漬け・切干大根・糠でたくあん漬けなど、消費者の方へ、
無添加醗酵食品など加工品として送られていく。
この漬物も農園独自のこだわりがある。
砂糖・酢・塩などの調味料は使うが昆布・鰹節などのグルタミン系の調味料は加えない。素材を活かした漬物を作っている。その意味ではむかしの漬物である。

社会的存在価値ーPARTⅥ-先人達の叡智を学ぶ

§1 土作り

 銀行を中途退職する10年前頃、地域の疲弊が目立ってきていた。
地域農業の高齢化、後継者の農村離れ、地域から子供の姿が消え始めていた。
どうしたら、地域は、その生活は、その文化は、代々築き上げてきた農村の美しい風景や文化は残っていくのだろう。そんなことを考えて農業白書を5年分買い込んで、
読み進んでいくうちに、農産物の異常なほどの内外価格差と食の安全が脅かされるほどの化学物質に侵されていく農業の実態を知る。

 銀行では事業再建に携わることが多くなり、マーケティングを独学で学び、商品開発・コミュニケーション戦略などの知識が若干あったため、これほど大きな農作物の
内外価格差を埋めるには、日本独自の品質の高い有機農産物の商品化はできないか?というテーマに取り組んでみようと思い立った。

 近くの農地をわずかばかりお借りして、農業に詳しいお年寄りに師事して農業そのものを、そして、独学で有機農産物なるものを生産してみることにした。
何しろ、忙しい銀行員をしながらだったために、種を蒔いても、管理が行き届かず
思うに任せない実験が続いた。

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夏野菜をハウス内で電熱器を遣い、1~2月に夏野菜の種を蒔く。
3月初旬にポット揚げし、草木堆肥による踏み込み堆肥を作り、その発酵熱で苗を育てる。4月中旬、遅霜が終わる頃、畑に定植する。

 最初は、多くの有機農家が行っている畜糞による有機野菜作りに取り組む。
鶏糞は抗生物質や薬品が多く混じるため避けた。
牛糞40%に草や葉っぱ60%の草木堆肥にしてみる。
成長はするものの、極めて大味な野菜となった。

 次にハウス栽培によく使われている有機ぼかし肥料(米糠・油粕・骨粉)を試してみた。甘味はそこそこ出てきたが、味香りが飛んでいた。

 そこで、図書館に通い、野菜の生理について学ぶ。
思い当たったことは、肥料過多(窒素過多)で成長した野菜は根や基部が育たず、
窒素供給があり続けると、成長し続け、完熟しないことに気付く。
つまりは、デンプン質の野菜になり、糖質が薄くビタミンも醸成しないため、味の薄い大味な野菜となることが分かってきた。
さらに、急成長した野菜は倒壊防止のため、やたら繊維が多くなり、筋張ってきて、
歯切れが悪くなることも分かった。

 それではということで、思い切って肥料一切やらない。
草木堆肥も牛糞を発酵促進剤として10%に抑えた。(これはむかしの農家が元肥と言っていたもの)葉っぱや草中心の草木堆肥(低窒素農法)だけに切り替えてみた。
ところが、野菜は一向に成長してくれない。葉っぱは黄色くなる。まだまだ小さいのにも拘わらず、莟立ちしてしまい、花が咲き始める。
近在の農家さんからは、「これは肥料が足らんのじゃ。葉っぱが虫に食われておる。
薬を使わんと!」などと散々に言われながら一年が過ぎ、二年が過ぎた。


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育苗ハウス内で
一本葱と九条葱の
種を蒔き、苗床にする

梅雨前に、畑に定植し
やがて酷暑の夏を乗り越え、秋冬にはお客様の元へ届く。
その間、葱は生き残り競争をし、歯抜け状態となり、生き残ったもの
だけが、出荷となる。



 その間、虫害の他、病気も発生し、青枯れ病・うどんこ病などが多発していた。
半ば意地になって、図書館通いを続けていた。
微生物の専門書・ミネラルなどの栄養素の本・江戸時代の農業本など200冊にも及んだ。
様々な工夫をしながら、三年が経った。
畑ではゆっくりと、しかし、確実に成果が出ていた。
四年目の早春、大根が香豊かに美味しく育っていた。
その夏、待ちに待った胡瓜が出来た。食べてみる。
カリッとした食感と胡瓜の甘く青い香りが鼻に抜ける。トマトも甘酸っぱく、その香りが
同じく鼻に抜け、やがて旨みが口いっぱいに広がる。

近くを通りかかったおばあちゃんが初めて頭を下げてくれた。立派な野菜になったね
と・・・

 江戸時代の古書には、こう書いていた。
「土作りは数代に亘って育て上げるもの。それが子孫に残す大きな財産となる」
思えば、むかしは畜糞などそんなに多く無かった。人糞も奪い合いをし、死人が出るほどであったそうだ。
それに引き換え、草や葉っぱは、無尽蔵にあった。長い時間をかけて多くの労力を費やし、草木堆肥を作り土を育てていたことだろう。
その畑には絶えず補給し続けていた草や葉などの有機物残渣が残り、、無限の微生物や放線菌、子虫が休むことなく、畑を耕し続けてきた。
ミネラル分は豊富で、むかしの人達はさどや、健康で美味しい野菜を食べていたんだろう。

 もっと科学的なことを言うと、草木堆肥を施肥し続けていると、有機物残渣や微生物等の死骸が核になり、土が砂のように団粒構造になってくる。
その土壌は隙間が多く、酸素が入り易く、保水力があり、保肥力があり、野菜が育つには最適な環境となり、子虫・微生物は互いに食物連鎖が起こり、常に土を健全に浄化し続けていく。特定の病原菌〈悪玉菌)だけが繁殖できない土壌を創り出す。

 私の経験では、土作りは最低三年、野菜が美味しくなるには五年、収量が上がってくるには、10年の時を要する。

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 末の娘が就職し、社会人となったその年、銀行に退職届を出す。
すでに借りていた畑にそれこそ朝早くから夜遅くまで農業漬けの毎日が始まった。
そのことがやたら嬉しく、毎日、明日はこうしょう。明後日はこうだと朝が来るのが待ち遠しく、畑に飛び出したものだ。

それから15年が経った。

今では、1.6haの圃場と、一緒に頑張っている若者達がいる。
これからは、自分の歩んできた途を彼らに委ねるべく、後継者を育てている。

 健康で栄養価に富み、美味しい野菜を作るには、肥料により強制的に大きく育てることより、土を育て、子虫・微生物・放線菌などの生物層を作り上げることが最も重要である。
先人達の叡智を学び、労力を惜しまず、謙虚に学び続けることが最も尊い
この農法は国が定めた有機JAS法より以前に、ヨーロッパで言われているオーガニック農法より遥かに以前に、日本人が作り上げてきたものである。
この農法はあえて名づけると、自然に順に育てる「むかし野菜」と言うしかない。

このようにして、15年を経過してようやくかって私が考えていた有機野菜の商品化の目途が立ってきた。
それはこれからの戦いの始まりでもあり、その戦いは若い人たちに受け継がれていくことになる。