農園日誌ー宅配についてPARTⅤー商業的農業生産

28.6.22(水曜日)豪雨、最高温度27度、最低温度18度

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  農園から見える由布・鶴見の山並み、つかの間の梅雨の晴れ間の夕暮れ時

 今日は避難勧告が出るほどの集中豪雨の一日。
農園は湖と化し、低地を探しながら縫うようにして畑の中を濁流が激しく流れる。
そんな中での収穫と発送作業の一日となった。畑に入るとくるぶしの処まで埋まりこむ。小屋や土間も練ったような泥の海。みな、合羽の中まで水が入り、疲れたろうに文句も言わず、出荷作業を無事に終えた。

そんな中、別府市の保育園の園長が農園に訪ねてこられた。
お互いに恐縮しながら、農園を案内し、保育園の給食について語り合う。

 食についてこだわった給食を園児たちに食べさせたい、とのこと。
当グループも子供さんたちの食育については大きな関心を持っており、是非、お使い頂きたいのですが、保育園児に自然野菜を提供するにあたり、課題が三つあります

 一つは、それを食するのは幼児たちですが、評価するのは親御さんたちです。
そうであれば、園長の思いをどのようにして親御さんたちに理解してもらうか?
それが伝わらない、理解を頂けない、となると、単に園長さんのマスターベーションになってしまいます。

 二つ目は、野菜を調理する人たちの問題と、それを伝える保母さんたちの問題です
調理する際にいつも課題となるのが、本物の自然及び有機野菜は、見事なまでに
不揃いです。そのため調理の手間がかかります。その手間を嫌がることが多いのです。保母さんたちについては、親御さんとの直接のコミュニケーションをとります。
ここの野菜をどのように理解して、どのように伝えるかが課題となります。

 三つ目は、通常野菜と比べてコストがかかります。そのコストを経営的に補うことがいつまでできるかです。その点については、園長さんの思いと農園側の思いが同じでしたら、未来を担うこの国の宝物たちに食育の観点から、情緒や価値観を育むためのコストとして、農園もある程度の負担をさせて頂きます。(若干の値引きと半端野菜の無償提供のこと)

親御さんたちや社員さんたちへ、食育や健康を守るためのセミナーやイベントをご用意させて頂きます。やるからには、是非、継続できる環境を整えるべきですね。
そして、私たちの仲間と言うことになります。思いを同じくすると言う意味でですね。
どうか皆様でご検討の上、再度おいでくださいと答えた。

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茄子の支柱立て作業。
両サイドと真ん中に支柱が立つ。
その合間をテープを繋ぐ。

左はゴーヤの初期的支柱。

梅雨時季には合羽は手放せない。
どうしても雨中での作業となり、
体力を奪う。

二週間後の茄子とゴーヤ

共に大きく育っている。
真紫の花をいっぱいつけて
小さな実がついている。

茄子は早ければ6月下旬頃から
ぼちぼちと出荷が始まる。


 一昨日、当農園で研修を終えて、独立を目指していた40代の男性が残念ながら
グループを離脱する。独立心が旺盛でスタッフとも馴染み難く、不満を言っていた。
どうやら、農園主が厳しく、意見を聞いてくれないし、頑張っても誉めてもくれないと言うことが表の理由のようだ。
そこで研修生を集めて、農園主はこのように伝えた。

「ここでの研修は、あくまでも独立した農園主を育成することを目的としており、当然に厳しい。預かった以上は、貴方たちの男親として、師匠として、独り立ちするためのあらゆることを教える。男親としては、一人立ちしてくれることが楽しみであり、そんなに誉めておだてて育てることはしない.。甘え心は捨てなさい。」

「同時にここではグループ営農を目指しており、一人農業の過酷さと孤立は、おそらく貴方達は耐えられないと思う。そのためには、競い合って助け合って共に育って欲しい」

「労力のかかる農法でもあり、自然の過酷さと向き合い、もっと自然と語り合ってほしい。そして、自然の厳しさとやさしさを感じて欲しい。独立心が旺盛であって欲しいが、同時に謙虚であっても欲しい。」と・・・

この真の意味が理解できる頃には、みな、一人前の農園主として育っていることだろう。それが今の農園主の思いである。
一人の仲間(ついには仲間になりきれなかったが)が志を達せずに去った。
その程度の志だったのかとも思うが、農園主の話を聞いていた祐輔・健太郎の先輩達が、二人の研修生に諭すように私の言葉を補足してくれた。
かれらも叱られて育ってきたが、本物の農人に向かって確実に育っている姿が頼もしく映った。確実に農園の思いと精神が彼らに受け継がれていくのが嬉しい。


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胡瓜の棚。

接ぎ木苗でない実生
の苗は寿命が短い。
特に露地栽培の場合は格別短い。
そのため、間断なく
胡瓜の苗を定植し続けねばならない。

接ぎ木の苗はベースの種の性格が出て、味が違ってくるため、当農園ではしない。

野菜の宅配についてー持続可能な農業とは?PARTⅤ
 
(商業的野菜生産)
 
 昨日、40代の男性が、農業を始めたがどの様にしたらよいのか分からず、「種の光延」から話を聞いたとのことで、私のところへ親子で訪ねてきた。
先ずお聞きしたのは、「何処に出荷されるつもりですか?」「農協にですか?それとも自主販売を模索しますか?」ということ。
「今のところ、考えておりませんでした」と・・・
 
「農協に所属すると(出荷先が農協)、他への出荷や自主流通は事実上できなくなりますよ。もしそれをやると農業部会から締め出され、当然に出荷先は無くなります。自主流通(販売)を目指すなら、有機野菜専門の卸販売業者に属するか、自ら販売先を探すしかありません」
 
このように、現在の農業では、農協への出荷を選択すると、当然に近代農業(化学肥料・農薬・ホルモン剤使用)となり、特定品目(単作)のみの規格野菜の生産を行うしかなく、施設園芸(ハウス栽培)で行うことを選択することになる。
生産資材から肥料・農薬や、場合によっては、ハウス建設及び農業機械を農協などから購入し、その栽培方法も農協指導に基づいて行い、大量流通のマーケットへ農協を通して販売することになる。支払いに追われ、手数料を取られ、利鞘は少なく、朝から晩まで働いても貴方が描いた理想の農業とはならない。
 
若しくは、有機専門の卸販売業者に属すると、有機JASの認定を取らねば取り合ってもくれない。ここでも規格野菜を要求され、不揃いが基本となる有機野菜とは遠くなる。
しかも、虫食いの痕があると受け取ってはくれない。そうなると、農薬は多投しなくてはならなくなる。
 
それではと、自ら販売先を開拓し、理想の農業を行おうとすれば、生産ノウハウや生産技術は自分で考えていかねばならない。
 
ところで貴方はどのような農業を目指したいのですか?と聞くと、無農薬野菜ですと答えてきた。若しかして、自然農では虫も居なくなり、無農薬栽培ができるということを信じておられるのですか?と聞くと、そうではないのですかと言う答えが返ってきた。
 
有機であれ、自然農であれ、安全安心な無農薬栽培を目指している若者も多い。彼もその一人であり、農業の現実も知らず、自然環境の厳しさも知らない。ほとんど一般の消費者程度の机上の知識しか持ち合わせていない。
今まで何人の若者が当農園を訪ねてきたことか。かれらは必ずこう言う。
「無農薬野菜を作り、自分で思うとおりの農業を試したい。販売先はレストランとか、消費者を開拓する」と・・・できるのですか?と問うと、自分で何とかする。と答える。
そして2・3年で多くの有為な若者たちが失意の下に農業から離れていく。
 
永年、有機野菜(ここでは国の定めた有機JAS野菜ではない)に携わってきた農業者は自然の厳しさを知っており、販路開拓の難しさも知っている。
他方では、先の若者達のように無農薬野菜やら自然農野菜などの世評に踊らされて、農業に加わろうとする若者がいる。そうしたギャップには「無農薬野菜」といった概念の世界が大きな災いをしているように思えてならない。
 
できるだけ低窒素・無農薬の野菜を作りたいと思っても、過度な労力がかかり、大きな生産リスクを持ち、極端に低収量の野菜作りでは農業者も生活ができないのです。
そのような野菜を有機野菜の数倍の価格で買い求められる方は極くわずかです。
当農園では、普通の生活をされておられる、できるだけ多くの消費者の方々に、できるだけ健全で、栄養価に富み、できるだけ安価で美味しい野菜を届けたいと願っております。そのように考えている農業者も多いのです。

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雨中での剪定誘引作業を繰り返し、ようやくここまで育ったトマト達。
梅雨の長雨が続き、密集した葉っぱや下葉は腐れ始めている。
こうなると、地面に近い一番・二番果も腐れていく。生い茂った旺盛な葉っぱを間引き、脇芽は丹念に取り除く作業が延々と続く。農業とは、野菜にかけた愛情によって野菜が応えてくれるものであり、断じて損得勘定ではできないものである。


(持続可能な農業とは?)
 
人の手があまり入っていない山野の土壌を頭に描いてもらいたい。
そこには、永年、草や葉っぱが堆積し、腐葉土層がある。
その世界には、小動物・子虫・微生物・放線菌の自然循環(浄化作用)の中で生物層が出来上がっている。
焼き畑農業は山野を焼き払い、焼き灰とその生物層を利用して農産物を栽培するというものである。火をかけているので、一年間は虫害は起こりにくい。
これが本来的な自然農である。
 
では栄養価があり、安全で美味しい商業的な農産物を生産する場合、(焼き畑農業は無理であり)毎年生産できる圃場に自然の生物層を作り上げていくにはどうするか?
その答えは、日本の先人達がすでに永い年月をかけて作り上げてきた歴史と実績がある。その姿は今から150年以上も前の日本の農業にある。

 先人たちは里山から葉っぱや草を集めてきて、わずかな量の畜糞を加えて1~2年がかりで草木堆肥を作り、圃場(土壌)を肥やしてきた。
その土壌作りは、数十年・数百年をかけて山野に近い豊かな生物層作りでもあった。
これが本来の持続可能な農業(オーガニック)なのではないでしょうか?
余分な窒素分もなく、適度なバランスのよいミネラル分があり、野菜に適した微生物や放線菌が棲んでいます。ふかふかした肥えた土壌がそこにはありました。
ちなみに、その姿こそが、山野を多く抱える日本の風土に適した農業とも言えます。他方で、欧米の圃場では、そのような豊かな山野は少なく、畜糞に頼った有機農業であり、日本古来の農法と比べると随分と色あせて見えてしまいます。
 
先の若者を当農園の2番の畑に案内しました。草木堆肥歴15年の圃場です。土を触っていたが(砂のようなさらさらな団粒構造をしており)「私には到底できません」と諦めたような顔で答えた。それ以降、その若者からは何の連絡も入ってこない。
 
但、そのような圃場には微生物や放線菌だけではなく、もぐら・みみず・子虫も棲んでいますし、そこには多くの幼虫も生息しており、繁殖の場ともなっております。
中でも一番やっかいなのが、蛾の幼虫である夜登虫であり、線虫などです。
この幼虫を退治するには、一番危険な土中消毒をしなければなりません。
それをやれば、一緒に土中の微生物をはじめ豊かな生命層を破壊してしまいます。
となれば、片目をつぶって、すぐに光合成分解する農薬を葉面散布し、地上に現れてきた害虫を駆除するしか方法はないということになります。
これが有機であれ自然栽培であれ、適度な農薬は必要悪となる所以です。
少しばかりの劇薬(残留しない農薬)は、圧倒的な微生物達によって直ちに分解されてしまいます。
 
ここで一つ誤解のないようにお伝えしておきますが、「自然農を永年やっていると、その圃場から虫が居なくなる」との説については、自然科学では解明できない理屈になってしまいます。自然農の圃場だけ、虫が避けていくことは無いし、草木堆肥であろうと持ち込まないから(無施肥)虫が来ないという理屈については、そこは全く不毛な砂漠のような痩せた農地ということになります。
 
「国の定めた有機JAS規程上の持続可能な農業」とは、本来の意味では、永い時をかけて作り上げた自然循環の浄化作用が働く(豊かな生物層を持ち続けた)圃場を守り維持していくことに他なりません。
 
何でも有機有機物なら良い)の考え方を提示した国のJAS法は、持続可能な農業というテーマから見ると矛盾だらけだし、マーケットで言われている(常識となった)有機野菜とは無農薬であるとの概念も現実の農業現場においては、実に非常識であると言わざるを得ないことは、農業を生業とする農人の真実の声としてお伝えしておきます。
 
商業的野菜生産とはまさしく生業としての農業のことを指しており、趣味で少しばかりの畑を借りて行う自家菜園とは異なります。農業者はそれを求めてくれる消費者のために、また、自らの生計のために常に圃場を守り維持し続けねばなりません。
 
その中でも自らにも誇れるような美味しく、栄養価に富み、安全で健康な野菜作りを目指している真の有機野菜作りに取り組んでおられる方々の代弁者としてここに述べさせていただきました。
 
次回は、現在の薬品漬けの食生活をしながら、無農薬・無肥料・在来固定品種の野菜や減塩と称して減塩味噌や減塩漬物などを求めておられる消費者の心の矛盾について、触れてみたいと思います。