農園日誌ー野菜の宅配についてPARTⅥ-食の安全

28.6.29(水曜日)終日雨、時に豪雨、最高温度23度、最低温度16度

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                   露地トマトの畑(五番)

露地トマトは1月に種を蒔き、2月下旬にポットに上げ、育苗ハウスで育て、4月中旬に定植する。
5月中旬頃、短い竹で支柱にして、二方向に仕立てる。枝は3本程度にするため、
芽掻きを繰り返し、徐々に、形を作り上げていく。
6月初旬頃に、写真のように本支柱を立て、強度を保つため、随所で架けの字で組み、横にテープを張り巡らせる。
丁度今頃から、姿形を作っていく。全ての枝を徐々に南向きに整えていく。
その間、下葉・込み入った葉っぱを除去し、芽を掻きとり、誘引作業を繰り返す。

それらはほとんどが梅雨時の作業となり、合羽を着て、雨と湿気と蒸れに耐えながらの作業となる。それでも、梅雨の最盛期にぶつかるため、一番果や二番果の半数は腐り落ちてしまう。

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腐り落ちたトマト。

この剪定誘引作業
中でも、湿気のため、
下葉や中葉が蒸れて
腐り始め、トマトも共倒れとなる。

風の道、光の道を作りながら、誘引していく
実に根気のいる作業
となる。
その作業が10月まで
延々と続く。

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豪雨の中、
収穫作業の風景

圃場は、水浸しとなり
時折強く降る雨の際
には、畝下は川のように水が流れる。

これだけ雨が降り続くと
野菜達も生きているのがやっとという状況になる。



野菜の宅配―PARTⅥ
 
(交配品種は危険?)
 最近、当ホームページに届くメールには、「無農薬野菜を」「畜糞を使わない有機野菜を」・「無肥料無農薬の自然栽培野菜を」・「F1交配種ではなく自家採取している種や在来固定品種の野菜を」求めていますとのメッセージが添えられていることが多い。
 
何かの本で、たしか平家の落人部落のはなしだったと思いますが、とある一族だけで山奥に集落を築いていたが、次第に病気者や奇形児が増えてきて、一族の存亡にかかわる事態に陥った。所謂近親相姦だったわけです。
 
野菜でも同じことが起きます。当農園でも、エシャロット・とうがらしで同じことが起こっております。次第に収量が落ちてきたり、野菜が小さくなって行ったり、突然変異が発生したり、これも同一種交配・自家採取の弊害なのでしょう。全国でも有名な野口種苗(在来・固定種を扱う)の店主も同じようなことを言われておりました。
そもそもが、在来種や固定種も永年に亘って、他の品種と交配を繰り返してきて、出来上がったものです。(その中でも、他の品種と混ざり合い難い染色体を持ったものが固定種と言われております)その意味では純粋な在来・固定種というものは無いのです。
 
もし、在来・固定種だけで商業的な農業を行うとした場合、種子は一季節に数種しかなく、それを買い求められるお客様は毎週毎週同じ野菜を食べ続けねばなりません。
それで耐え続けられるでしょうか?しかも先ほどのように種子は混ざり合わない限りは次第に劣化していきます。その農家も永くは続けられなくなってしまいます。
 
多くの野菜は自然交配します。純粋な種を残そうと思ったら、外部と完全に隔離された専用ハウスでしか自家採取は難しい。特にアブラナ科の野菜はすぐに交配してしまいます。一農家では到底できることではありません。
 
おそらくは、染色体操作などの交配技術が進み、遺伝子組み換え小麦のような事例のことを言われているのだとは思いますが、通常の野菜には考えにくいことです。
但、当農園では、原生種の遺伝子を強く残した交配種子を選んで育てております。永年野菜を生産していると、只、見てくれが良い、収量が多い、育てやすい、病気に罹りにくいのではなく、元々の「種」の特性(味香り、旨みなど)を持った固有種の野菜は個性があり美味しいのです。
 
消費者のこのような質問が多いのは、農業現場を知らない一部のメディアや有識者が聞きかじった話を無責任に伝えているからでしょうが、自然農や無農薬野菜などの話と同じで、少しばかりの怒りを覚えるのは私だけでしょうか?
 
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               ピーマン・万願寺とうがらしなどの畝

支柱はやや斜めに傾いている。ピーマン系は放射線状に斜め上方に伸びる。
そうすると、直角に立てるより、野菜の成長に沿ったほうがやさしい。
但、収穫の際は実に採り難い。当農園では人間ではなく野菜が主役であり、
多少の我慢を農人はするべきだ、と思うのだが・・・
畝下は、ほとんどつぶれている。豪雨が続き、流れ出した土で畝が無くなってしまっている。
梅雨が終わる頃になると、畝下を掘り下げる。所謂、中耕作業を行う。これによって、
根には酸素が通い、呼吸困難に陥った夏野菜がようやく復活することになる。


(食の安全)
 「塩分の取り過ぎは、健康を害する」それはそうでしょうが、だからと言って、減塩味噌を購入したり、漬物をやたら敬遠するのは如何なものでしょうか?
日本人は、有史以来、保存食として、塩漬けにした漬物や味噌醤油を食してきました。
そこには、必ず乳酸菌をはじめとした良性の醗酵菌が棲んでおり、腸内活性化など、人間の健康を守ってきました。(ブルガリアにはヨーグルトがあり、日本には漬物があるのです)
最も、現在マーケットには化学薬品で味付けされ、添加物他、滅菌処理された減塩味噌や漬物らしきものが出回っております。これらは乳酸菌醗酵した無添加の醗酵食品とは全く違った食べ物であり、少なくとも漬物とは違います。
それらと一緒に比較されては日本の先人達も顔を顰めてしまうでしょう。
 
日本の食品安全の基準がかなりおかしな方向に進んでいることをご存知でしょうか?
「滅菌処理されているから安全です」といった考え方に違和感を覚えませんでしょうか?
コンビニ他、大量流通の食品は、必ず滅菌処理することを指導されているようです。
 
私には孫が9人おります。皆、この農園で育ってきました。
彼らは常に雑菌の中で生活し、雑菌に汚染(?)された食べ物を食してきました。幸いなことにみな、大きな病気をしていません。農園スタッフもみな同じです。
 
他方で、完全に滅菌処理された施設内で農産物を加工生産するとしましょう。当然に農産物は滅菌処理され、漬物などの食品は乳酸菌も含めて菌は殺されます。
その施設内で加工された食品は、外部に出された途端に空気中に浮遊している黴(放線菌)や自然界の雑菌(微生物)に汚染されます。そのため、そこでは、滅菌処理だけでは済まなくなり、必ず、保存料や酸化防止剤やら、化学薬品を大量に注入されます。
つまりは、現在の食品は化学薬品漬けにならざるをえない方向に進んでおります。
 
当農園には無限大の種類の雑菌が大量に棲んでおります。
そこには農園の圃場と同じに良性菌や悪性菌が同居しております。雑菌の中で暮らしているわけです。それらの菌類(バクテリア)は相互に助け合いながら、あるいは、捕食しながら、一定の秩序を保っております。
 つまり、特定の菌類だけが異常に繁殖しないような自然界の浄化システムが働いているからです。
サルモネラ菌・0ー157も棲んでいるかもしれませんが、それらの悪性菌だけがこの世を謳歌できない自然界の掟がそこにはあります。
また、そこで暮らしている人間たちは、常にそれらの菌類に対して抵抗力を養いながら暮らしているということになります。
 
 結論的なことを申し上げますと、(私は学者ではありませんので、間違っていることがあるかもしれませんが)完全に滅菌処理された食品は、悪性菌の浸食を実に受け易くなるということです。そうであれば、必ず薬品漬けにして市場に出さねばならなくなります。
 
むかし、火星人が地球を攻めてきたという映画をみたことはありませんでしょうか?その火星人に勝ったのは人間ではなく、地球に人間より先に棲んでいた菌類達です。
どうか皆様も火星人にならないように常日頃から、心がけて暮らしていくことをお勧めいたします。
 
 最近、食物アレルギーについての問い合わせや野菜の注文(○○は入れないでください)が増えております。
食物アレルギーとはある種の野菜に対して、抗体が発生し、その抗体が異常な(過敏な)働きをする結果、食物アレルギーが発生する、と言うことのようです。
私が幼いころにはそのようなはなしは聞いたこともありませんでした。
 
 元来、多くの食物は独特の酵素たんぱく質を持っております。それは時には野菜自身が自分を外敵から守るために備えた自己防衛的なものです。ある意味では毒素になります。

一度食した後にそれら毒素への抗体を体内で作り始めますが、通常であれば、すぐに慣れてしまい、抗体が過剰な反応を起こさないものですが、そこに何かの物質、おそらくは、自然界にはない物質、つまりは様々な化学物質が常時的かつ複合的にに入ってくると、様々な反応を引き起こし、抗体の異常な反応を引き起こすのかもしれません。

悪いことにそれは遺伝とはまた異なり、親の染色体の中に蓄積され、子供へと引き継がれるのかもしれません。
化学的に解明されておらず、確たる根拠は示せないものでしょうから、アトピーなどのように「原因不明」と言うことになるのでしょう。
 
このように現在社会では、特に加工品に多くの薬品が使われております。農産物生産現場でも多くのホルモン剤(主には成長ホルモン)が使われるようになってきました。アメリカ・オーストラリアなどの畜産にも99%の確率で使用されているようです)
それは農薬などよりもさらに恐ろしい物質に転換していくのかもしれません。
 
だからこそ、むかし野菜グループでは、むかしの加工品(漬物や味噌などの純粋な無添加醗酵食品)や昔のおやつ(中間食も含む)に特にこだわっております。
むかし、日本人が健康であった時代の食生活には先人たちの様々な工夫と叡智が潜んでいると思うのです。
 
専門的な分野しか見ていない学者や偏った味方しかできない有識者・メディアの情報に振り回されずに、歴史から学び、自然から学び、自らの見識を高めていくことが、自分を守り、家族を守ることに繋がるのではないかと、薄学な農園主は、思うのです。
少なくとも自然から謙虚に学び続けざるを得ない一農園主としての小さな思いでした。