農園日誌ー春が行ったり来たり!

28.3.9(水曜日)雨、最高温度9度、最低温度9度

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今年の気候は極端に温度が変わり、体がついていけない。
野菜達にとっては、春が来た!と思ったら、いきなりの氷点下に、
春!花を咲かせねば!と用意しはじめると、まだまだ、真冬!と縮こまねばならなくなる。そのせいか、今年の春野菜はなんだか変。
やはり去年の大エルニーニョ現象の名残が影響しているようだ。

毎年この季節は気分が落ち込むことが多くなる。
露地栽培・草木堆肥のみによる低窒素栽培、自然循環農法であるため、
厳冬期前に植え込んだ野菜達は、氷点下以下の厳しい寒さを耐えさせねばならない。織布やトンネルを掛けて、剥ぐったり、閉じたり、の管理を繰り返し、ようやく
生き残った野菜の出荷を2月下旬から三月初旬頃まで行い、真冬の端境期を乗り切ろうとする。
当然に凍てつく寒さに野菜は傷みつけられており、成長は止まり、形はいびつになり、小さくとも大人になっている。
この時季はそんな野菜しかなく、通年販売をしている農園としては、心を痛めながら、傷ついた野菜をお客様に届ける。
多くの永年愛しんで頂いておられるお客様も我慢をして頂く。仲間たちと表現するのも、そんな日常があるからだが・・
しかしながら、ここ最近だが、お客様が増えてくると、やたらクレームが多くなる。
その説明や対応に追われ始める季節が丁度この時季となる。

自然循環及び自然農とは自然のままに!ではあるが、商品に完璧を求める消費者の心理は理解しているつもりでも、そのギャップ差に、どうしてもテンションが下がらざるを得ない嫌な季節でもある。
さらにそれが続くことになる、春の莟立ちの季節がやってくる。
日照時間と温度変化により、野菜達は春を感じ始め、蕾を内包し始める。
そうなると、根菜は皮と実の間に網目のような繊維が付き始めるし、葉野菜は莟立ちを始める。
ここでまた、農園主は頭を悩ませることになる。
お客様への説明のつもりが言い訳を言っているかのような気分になる。

自然と共に、自然のままに生きる農園生活も、家庭菜園なら良いのだが、代金という痛みをお客様へ支払わせる以上はそれにも耐えるしかないことになるのだが・・・
農園スタッフ達のほがらかな笑い声はなんの救いにもならない。
何時かは貴方達も・・・・・

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            厳冬期に定植したレタス系野菜達

例年、真冬は、トンネルの中にこもった露がレタスの上に落ち、そのまま氷結し、
凍傷にかかった部位は茶色く変色し、やがて傷みはじめる。
当然に商品にはならなかった。(一部には無理やり商品としたが)
今年はこの畝では、トンネルの中にもう一枚織布を敷いてみた。
どうやらこれが功を奏したようで、こんなに立派なレタス系が育った。

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ご覧のように凍結した跡も見えない。


若いスタッフ達は、当農園しか知らない。もっと楽に野菜を生産しているところは体験してはいない。
ここでの露地栽培・草木堆肥作り(原料から自己調達)・土つくり・除草等々の全ての手作業は労力と汗の要る毎日の作業となる。
お客様からのクレーム(慣行栽培や通常の販売方法では当たり前のクレーム)が
寄せられると、「一回でもここで野菜つくりをしてみたらわかるのに」と悔しさをにじませる。
長い間、大量物流の中で、野菜と言う商品を買い慣れてくると、先ず通常の消費者の方々は、自然循環農法で作られた露地野菜は、野菜と言う商品ではない、と感じている筈。規格サイズが統一され、傷一つない見てくれが全ての流通価値なのだから、当然なのでしょう。

ここにきて、若いスタッフ達もマーケットの模様が見えてきたようで、歯を食いしばって頑張っている。
当農園の心構えである、みてくれより、美味しさや栄養価を優先し、なによりお客様の健康を守っているという自負心は芽生えてきたようだ。勿論、安心安全は当たり前で、ことさら主張すべきことではない、とも思っている。

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整理されたセロリ

厳冬期に凍傷にかかり、傷んだ葉茎を除去

しばらく養生させて、
出荷に備えている。
芯から新しい芽吹きを待って、出荷となる。
昨日二回目の除去
作業を終えた。
このように冬季の管理は中々に手が掛かる


むかし野菜グループでは、そのようなクレームにもめげず、むしろ、すべての野菜を、安全で貴重な加工品を満遍なく食べて頂きたいという願いがあり、
「家庭での食育」が隠れたテーマではあったが、これからは、前面に押し出していこうと考えている。
「むかし野菜」と言う意味は、現在人が忘れかけている日本の昔ながらの伝統的な食生活(おやつも含む)を現在に復活させようとする思いから名付けたもの。
(かっては、漬物や味噌などの乳酸菌などの発酵食品は毎日食べていたし、アレルギーもアトピーもなく健康的であった)
多少教条的(ある方からは押し付けでは、と言われたが)ではあっても、これもめげずに推し進めることも、この時代には大きな意味があるはずだと信じたい・・・