2020.7.29(水)曇り、最高温度31度、最低温度25度
梅雨の集中豪雨の間、すっかり雑草の覆われてしまった3番の圃場
絶望的な風景ですが、これから根気強く草刈り・除草と並行して、トラクター
で起こす作業が続く。
梅雨の晴れ間の間に堆肥を振り、耕し、畝を立て、人参・黒大豆の種を蒔く。
ようやく半分は除草し終えた。
2020.7.28 コロナ時代に「食を考える」その一 現代社会とは!
今週から日中温度33度、炎天下での作業となり、農人にとっては体力の
消耗戦となる。梅雨末期の大量の雨により、土中は水を含み、細かい土の
粒子が固まり、野菜達は酸欠状態(仮死状態)に陥っている。中耕作業に
よって、取り敢えず畝下から酸素が入り、復活するもの、死んでいくもの
に分かれていく。
中には体力の弱っている夏野菜は、雨が降らない乾季となり、徐々に落ちて
いくものも出てくる。生き残りを掛けたサバイバル競争となる。
これが露地栽培野菜です。
このように露地野菜達は、厳しい自然環境変化の中で、日常的に生き残りの
ドラマを繰り広げております。そのため施設(ハウス)栽培野菜とは異なり、
時間を掛けて露地野菜達は逞しく育ち、栄養価も高いのです。
梅雨の間、深く立てた夏野菜の畝は、度重なる集中豪雨によって、流れ出した土によって埋まって
しまう。それを中耕と言って、鍬で一畝ずつ、掘り下げてやって、除草作業と共に修復してやる。
人間界では、コロナウィルスの脅威がさらに増しており、社会の在り方が
問われている。
そうは言っても、人は生きていかねばならない。
生きるためには、働かなくてはいけない。
「お金を稼ぐ」とは、大きく分けて生産・加工・販売・その他サービス業の
4つの業種に集約され、いずれかの業種に携わらなければならない。
社会がグローバルになるにつれ、大量消費社会となり、本来的には重きを置か
ねばならない筈の生産業種の社会的地位が低下し始め、「お金を稼ぐ」と言う
点において、流通やその他サービス業種の地位のほうに重きを置かれて行き、
社会で働く人々は「きつい」「汚い」「辛い」などの生産業種から離れていく。
楽な仕事を選び、「安・近・短」な消費文化が進み、マネーはそちらのほうへ
流れていく。
命の原点は「食べる」ことにある。その代表的分野である農業はただでも、
「きつい」「汚い」「辛い」の代表的な産業分野である。
しかも農産物価格は、命の次に重要である「食」の代表的な商品であるにも
かかわらず、極めて低く設定されている。生産者が自ら作った農産物の価格を
決められないのです。
消費者市場は、流通に握られており、如何に労力を掛けて知恵を絞って、
健全で、美味しく栄養価の高い露地野菜を生産しても、より簡単に生産できる
ハウス栽培野菜に負けています。
一週間の間に、約5反(1,500坪)の草に埋もれた圃場に堆肥を振り、耕耘し、大豆の種を
蒔き、管理機で土を掛け、大豆畑を完成させた。
スタッフ層での作業となり、蒸し蒸しする梅雨の間の作業となり、スタッフ一同、口をぱくつかせ
、あえぎながら何とか作業が完了した。明日は庄内地区の5反が待っている。
農園も、ほんの小さな面積ではあるが「育苗ハウス」を二棟持っている。
偶々、緊急避難的に野菜を育てる時もある。
この育苗ハウスでも他の露地の畑と同じように、草木堆肥しか施肥していない。
例えば、早春時季、サラダセットを育てると、露地栽培では、およそ2ヶ月の
生育期間を要するが、ハウス栽培では、1ヶ月強で育ってしまう。
しかも、生産リスクは少なく、育苗管理もし易く、大きさは倍ほどに育つ。
(これが化学肥料であれば、さらに生育期間は短い)
ハウスで育った野菜を食べてみると、成長が早い分、味香りとも大味で、
葉肉も薄く、歯切れがかなり劣る。
農園マルシェも何とか軌道に乗り、固定客も付き始めている。そうした中、トマトが酸っぱく、
子供が食べないと言う消費者からの意見が出ているとのこと。
農園主はそれでも酸味があり、味香り高く、旨みの詰まっているこのトマトを変える気は全く無い。
このトマトは全国にも無く、桃太郎と言う子供向けに開発された酸味の無い味香りの薄い甘い
トマトが全国で栽培されている。
固定のお客様にお聞きすると、こう応えた。「子供が酸っぱくて食べないと言うのであれば
来なければ良いのに!この農園は理解されるお客様で十分ではないですか」
「うちの子供は調理をしようとしても、届いたトマトはその暇も無く食べてしまいます。
私の口には入りません」と・・・
当農園ではハウスものの価格は露地野菜の0.8掛けで出荷しているが、
流通(販売店)では、むしろ露地栽培野菜より高く売られている。
見栄えが良いからです。
立派で見栄えが良いだけで、ハウス栽培野菜のほうが露地栽培野菜よりも価格
が高いことになる。生育期間は短く、リスクも少なく、管理は簡単であるにも
拘わらず、誠に可笑しな話である。
なるほど、農産物価格は、手間を掛けて、いくら健全で美味しい野菜作りを
生産しても流通・消費者市場はその価値を認めてはくれないのですから、
現代農業も「安・近・短」な栽培方法ににならざるを得ないのかもしれない。
平穏・安逸に慣れていた日常に、突然自然界から襲ってきたコロナウィルスが
人間界を震撼させている。
人間界にとって、これは理不尽そのものですが、自然界からみれば、利便性を
追求し続け、自然を壊し汚し続ける人間の営みのほうが理不尽に思えるだろう。
地球上に棲むウィルスも含めた微生物・植物も含めた生命体が持続可能な自然
環境のサイクルを如何にして維持して行くのか、便利さに慣れた人の欲を如何
にして制御して行くのか、自然界から逆に試されているのかもしれない。