農園日誌ーグループ営農への試みーミニマムで壮大な実践PARTⅡ

28.2.24(水曜日)曇り、時折日差し、最高温度10度、最低温度1度

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        二月の戻り寒に、トンネルを掛けて育苗中の2番の畑

農園は毎年のことながら、この時季、露地野菜が底を突き、春野菜の種を蒔き、
畑全面にトンネルが並ぶ風景になる。
春はそこまで来ているのだが、中々に厳しい寒さが続いている。
来週は待望の三月、日も長くなり、暖かさが日増しにやってくると期待している。

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トンネルの中にカメラが入る。
織布をベタ掛けにして
二重に防寒を施している。
布の下にうっすらと
緑色の双葉が芽吹いている。
本葉が出始め、茎が
立ってくると、織布を
撤去し、約二か月で
出荷が可能となる。


露地栽培の場合はこの時季、種を蒔いてから二か月半を過ぎると収獲適期となる。
野菜が底を突き、緊急事態で育苗ハウスにも種を蒔いたが、これは約一か月半で
収獲が可能となる。
つまりは、露地とハウス栽培では、一か月の成長の差が出る。
但し、野菜の美味しさには大きな差が出てしまう。

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こちらはほうれん草
本葉が出ており、
早々と織布は撤去
されている。

この撤去時季を間違うと、野菜はもやし状に
なり、葉っぱはうまく広がらない。
若しくは、蒸れて落ちて行ってしまう。
各野菜によって異なり
経験と勘が要求される


(グループ営農への試みー結いの制度をどのように組み立てるか?)

人は皆、欲を持っている。また、欲がないと少なくとも事業はやっていけない。
欲を制御することは不可能に近い。小欲・寡欲・大欲と欲にも様々な形がある。
若い農人達に、「小欲は捨てなさい、寡欲であれとも言わない、むしろ、もっと大きな欲を持ちなさい」と諭す。

かって銀行員時代、小欲に振り回されてきた。特に事業再建などを主に担当してきたため、必死にすがってくる時には、その小欲は出難く、再生への途を示してやると、真摯に事業再生に取り組んでくるのだが、事業がようやく軌道にに乗り始めると、一気に、その小欲なるものが頭を擡げはじめ、折角事業再生への道筋が現れ出したにも拘わらず、再生事業が破綻に向かってくる景色を何度も経験してきた。
人間の欲に限りは無く、悲しさと無力感・脱力感に捕らわれたことも多い。

農業を始めた動機は、農業の衰退と地域の崩壊がセットでやってくることに危機感を抱き、国や官僚たちの無責任さと無作為に憤ってもいた。
それも彼らの無知からくることで、役人・政治屋達のの内向きの欲が絡んでいることでもあり、今では、農業政策には何ら期待もしていない。(監視は絶対に必要ではあるが)

その動機もやはり己の欲であったことに気づかされた。野菜を一所懸命に育てているうちに、自然の中で生かされていることを教えられた。
どんなに意気込んでみても、世界を、日本を、地域を、人を、そして、農業を変えることなんてできない。
今では、自分の周りの人達による共同体(生産者や消費者達=仲間達と呼んでいるが)を如何に未来へ繋いでいくことを考え始めている。


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一回の出荷件数が増加し、現在は二班に分かれて出荷(箱詰め)作業を行っている
この時季はアイテム数や量が減り、18時頃までには作業も終えるが、春以降は、
19時頃までかかることも多い。
一軒に10~14アイテム、レストランに至っては20アイテムを越える野菜の量であり
どうしても時間がかかる。
新しい社屋が完成すれば、やり方も変えねばならないと考えている。

その共同体とは言っても所詮は人間たちの集まりであり、煩悩の欲はみな持っている。
ふと考えてみた。では自分はどうなのかと・・
自分の親の教育が良かったのか、環境がそうさせたのか、あまり物欲は強くない。
むしろ寡欲の部類に属するようである。
では、出世欲は?権力欲は?と考えてみると、人並みには持っていたようにも思えるが、環境がそれを変えさせたのか、どちらかというと、抑圧を受けることを嫌い、
人を抑えることも好きではない、自由人の気質を持っているように思える。
但、人一倍に責任感と、ある目標に向かった時の達成欲は強い。
自分自身を見つめなおしてみると、見えてきたものがある。

人の欲を制御することは難しいが、人は目標が定まると、その思いや欲の程度は様々ではあるが、それを達成しようとして動くものなのだろうと、気づかされる。
それは個人だけではなく、人の集団も同じことになる。
それも同じ価値観を共有する集団、ここでは共同体であれば、なおさらだろうと思いを強くする。それが大欲と言うもの。
つまりは集団が到達可能性の高い夢と方向性を共有することになる。

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農園に猫が棲み付いた。
以前から、野良猫が10数匹、集まってきてはいたが、(餌をやるからだろうが)棲み付いてはいなかった。
名前は満願君、オスである。まだ一歳。やんちゃ盛り。指定席を見つけ、毛づくろいの真っ最中。育苗箱を踏みつけ、困っている。
兄弟は二匹同じグループの農園に引き取られた。正確には引き取らせた。納屋にネズミやゴキブリが多いとのことで、それならと、無理やり押し付けた。
今ではそこの奥様にいたくかわいがられており、見事部屋住みのご身分に出世されているとのこと。

自然循環農法は労力の塊でもあるし、自然農、あるいは、有機農法とは言っても、
現在の巨大流通の価値観に組み込まれてしまっているため、独自の価値観を消費者に直接訴えることは難しい。そのため、一切の流通は介せずに、直接のコミュニケーション(直販)の体制を取っている。
それを維持発展させていくためには、どうしても「結い」の仕組み、共同作業・販売体制が必要になってくる。
その共同体を維持していくためには、次々と高い目標を定めて、皆の意識をそこに持っていかねばならない。
つまりは大欲をもって小欲を制するというやり方を試みることになる。
満願君のように行動的で、好奇心にあふれ、穏やかに育ってほしいと願う。

次回はその仕組み作りについてお話いたしましょう。