農園日誌ー旬菜とは?

28.8.31(水曜日)晴れ、最高温度32度、最低温度22度

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                      種蒔きの季節

 今年も秋野菜の種蒔き(直播)の季節がやってきた。
農園を開いて15年目。露地栽培・草木堆肥による自然循環農法でできる野菜達は
みな、色つやが良く、ナチュラルで、不揃いで、中には不格好なやつもいる。
それでも栄養価があり、美味しく、食感が良い。
露地栽培では、管理(ハウス)栽培とは異なり、常に自然とのやりとりの中で、厳しい自然の洗礼を受けて、懸命に生き残ろうとする野菜達。
それだけに、単に農産物商品を作っているという感覚より、無事に育ってくれと願いながら、野菜と共に生きる毎日がそこにある。

露地栽培では野菜への愛情がないと、また、野菜との語らいがないと育ってくれない
可笑しいかもしれないが、植えっぱなしにしていた野菜は、いつの間にか消えて無くなっている。
手をかけた野菜ほど愛しいものはない。そんな気持ちを研修生たちが気付いてくれるのは何時になるだろうか?
研修を終えて農園3~4年目の自立を目指している上の二人は、どうやらそこに気が付き、そんな愛情が芽生え始めている。
これが所謂「欲が出た」とでもいうのだろうか?欲が出るという表現は、仕事に愛着がわき、野菜作りが生活の一部になった姿なのだろう。

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露地トマト

すっかり、下部が枯れて、先っぽだけになってしまったトマトの枝。
枯れた部分は剪定し
切り落としている。
これで9段くらいまでに
なっている。
これから先は、トマトの生命力に尽きる。
最後の力を振り絞って10段から先は実を付ける。
「雨さえもっと降っていてくれたら」とトマトは言う。農人の手は尽くした。後は頑張れと言うしかない。その年の気候にはよるが、10月頃までは細々と実を付けるのだが・・

 現在農業で、一体どれだけの生産者が露地栽培にこだわっているのだろうか?
今では野菜専業農家も数少ない中で、ほとんどの農家がハウス栽培を行っている。
この時代に、ハウス栽培と露地栽培の味の違いが判っている消費者が一体どれくらいいるのだろう。
毎年、必ず実りの秋がやってくる。例年であれば、8月末頃から9月初旬にかけて、第一陣の秋野菜の直播を行う。白菜・キャベツ・ブロッコリー・レタスなどは、それより少し前の8月初旬、焼けるような暑さの中で育苗ハウス内でトレイに種を蒔き、我が子を育てるように、なだめすかして秋野菜を育てる。
この秋野菜が消費者の手元に届くのは、早くとも10月中旬頃から11月中旬となる。
これが露地栽培のサイクルであり、それをむかしは「旬菜」と言っていた。

 ところが、現在は、寒暖の調整をハウス内で行って、この「旬」が見えない時代となっている。これでは、消費者も何時が旬なのか分からなくなってしまう。

 「何故、旬菜が体に良い」と言うのだろう?
ハウス栽培の多くは、旬菜ではない。
旬菜とは本来、露地栽培における旬であり、それが体に良い、季節に合っているということなのだろうが、それだけではないと農園主は考えている。


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悲しいほどまばらになてしまった大豆の畑。
最初に種を蒔いたものは、ハトによって皆食べられてしまった。
次に蒔いた種は、暑さと一滴も雨が降らない乾季によって。みな消滅してしまった。

三番目に蒔いた種が
この姿。
厳しい自然の洗礼を受けてしまった。

 除草剤を使わず、管理機で畝間を起こし、草刈りで雑草を刈り、最後は手で除草をする。まさに人海戦術となる。それでもしっかりと芽を吹き、育っていればと思いながらの作業が辛い。皆、口には出さずに、黙々と作業をこなす。来年は良いこともあるだろう・・・


 露地栽培野菜は、このように自然の厳しさに常に晒されている。
その中で、懸命に生きようとする。人間のように文句は言わないし、生きる努力を決して怠らない。
暑い乾季の時は、葉や花を落とし、根は地中の水分を少しでも吸収しようと根を広げる。実の表皮には幕を張り、水分の発散を抑える。
夜涼しくなると葉をいっぱいに広げ、雨が降ると喜々として水分を体全体に吸収しようとする。
極寒の時季は、体を縮め、成長を自ら抑制し、表面積を少なくしようとする。
太陽が顔を出し、暖かい日は、体を思い切り大きく広げ、成長をしようとする。
これを繰り返し、生き残り、大きく成長した野菜のみが花を付け、実を付け、子孫を残そうとする
これらの営みが、栄養価を蓄え、野菜を美味しくする。

これが、露地栽培の野菜のみが旬菜と言われる所以である。

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               伏見とうがらしが鈴なりとなっている

これも研修生たちの毎日の水遣りの賜物であるが、今が旬でもある。
露地栽培農家と定期購入している消費者の手元には、毎週、あるいは、隔週、この時季、伏見とうがらしやピーマンなどが届けられる。
大概に飽いてしまうこともあるだろう。

それでもやはり旬なのです。旬は今しかないのです。このように耐えて生き残った旬菜達を人間の都合や好き嫌いで嫌わないで頂きたい。
そして、この露地野菜の営みを愛する子供さんやご主人に伝えてほしいと、農園主は願って止まない。