農園日誌Ⅱー「活きること」ーPART16ー遠くなる旬菜の記憶

2019.5.8(水曜日)晴れ後曇り、最高温度20度、最低温度10度

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                     じゃがいもの花

 今年は、昨年の夏以降から、最近の10年間で、温度の変動はあるものの、珍しく季節に順な天候となっている。
そのため、野菜のほとんどは順調に育ち、いや、むしろ育ち過ぎて、あまり気味に
推移している。近年に無く楽な農業をさせてもらっている。
このジャガイモの花も異常気象の続く年は、咲かずに収穫期を迎えてしまう。
花が咲いて3週間ほどで、新じゃがの収穫時期となる。

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               露地トマトの初期設定を終えた畝

 露地栽培のトマトは、枝を2~3本立てとし、南に(太陽)向かって斜め45度に傾けて全ての枝を剪定誘引する。長い枝で5メートルにはなる。そのため、この初期的な設定作業は、そのの善し悪しによって収穫量が決まる重要な作業となる。
これから露地トマトが終わる10月初旬まで、延々と芽掻き・剪定・誘引作業は続く。

「活きること」
2014年12月 遠くなる旬菜の記憶
 
冬の農園は白い世界へと変る。むかしはどこにでも見られたビニールトンネルに覆われた農園の冬景色
露地栽培の場合、11月下旬~翌年2月までの厳冬期には、霜害や凍結防止のため、あるいは、成長を促すため、どうしてもビニールトンネルのお世話になる。トンネルを張った後、暖かい日や雨の日は剥ぎ、氷点下になる日は閉めるなどを繰り返すなど手間が掛かる。今は施設園芸(ハウス栽培)全盛の時代、
ビニールトンネルが並ぶ風景は中々見られなくなった。
専業農家は減少の一途を辿っており、農産物生産における露地野菜の比率も下がり続けている。

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ビニールトンネル張り作業も約20年間、様々な遣り方で試行錯誤を繰り返し、今の形になった。孟宗竹を切り出し、8本に割き、四辺を削り、太い竹は支柱にし、その上にビニールトンネルを掛け、細い竹は抑えとして土に深く差し込む。両端は太い竹に巻き取り、土中に埋め込む。
こうすることによって、寒い日が続く時期は閉じ、雨の日や暖かい日は開けて雨や太陽に当ててやる。閉じたままだともやし状になり、まともには育たない。
冬の間は、この作業が続く。
 
苺は何時が旬?と聞かれても皆さんは冬と答える。トマトは何時が美味しいと聞かれると、夏とは答えない。トマト農家などは、秋にトマトの苗を定植し、(勿論加温ハウスです)冬に育て、春先の2月頃から出荷が始まり、6月には苗を撤去している。
6月頃になると、露地トマトの第一陣が赤く染まり始めるが、露地栽培トマトの難しさがすぐに出る。
トマトは元来が乾燥気候の中で育つものであり、水分を嫌う性質を持っている。
日本は、梅雨から夏の初めに掛けて、湿度が高く、雨が多い。その水に即反応して、大半は割れてしまう。
それでも、露地トマトは貴重品であり、季節に応じて美味しさは変化するものの、お客様には食べて頂いている。季節は進み、7月中旬、梅雨が明け、ギラギラした太陽が出始めると、酸味と甘さのバランスが良くなり、旨みが出てくる。
何より、太陽を浴び、雨風に耐えてきた露地トマトは酸味があり、味は濃く、鼻にツンとくるトマト特有の香りが命である。
トマトは、8月になると、太陽の光が強くなりすぎており、雨が降るとひび割れを起こしやすくなってくる。露地栽培のトマトはデリケートである。
時季になると、毎日収穫し、雨が降る前には、強めに採り、それでも割れたトマトは、トマトソースにする。割れたトマトの量も半端では無い。
 
昨今、甘さのみ追求したトマトが出ている。塩分ストレスを掛けて作る水耕トマトなどがその代表であるが、品種改良をし続け、甘さを強調した品種も多く出回っている。
現在、市場に出回っているトマトの99%がハウス栽培のトマトです。少しの雨でも割れたりひびが入る
トマトは、露地栽培ではできない、と言うのがその理由であり、ハウストマトは常識になっている。
それらのトマトを食べてみると、自然の寒暖差や太陽・雨・風等に晒されないため、味香りは薄く、トマト本来の酸味を感じない。調理用に使ってみると、酸味の無いトマトでは、美味しい料理をできない。
イタリアのシェフがどうして日本人は甘いトマトを求めるのだろうと首を傾げていた。

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            鈴生りになったトマト

 欧州や南米とは異なり、日本は梅雨があり、湿気が強く、イタリアの様には行かない。そのため、下葉は掻き取り、地面からの湿気を防ぎ、兎に角風通しを良くしていないと、多くのトマトは腐り落ちてしまう。
枝も密集を避けるため、芽掻き作業を怠ってはいけない。この管理だけでも大変な苦労と労力が必要となる。
それでも、当農園はあくまでも露地栽培にこだわる。理由は簡単です。
美味しいからです。昨今の甘いだけ、みてくれだけのトマトは作りたくない。
太陽の照りつける夏場になると、40度近くになる太陽の光と熱でトマトは焼けてしまう。
そのため、今度はある程度葉っぱを残していかねばならなくなる。
また、放射冷却の激しい日は、その朝梅雨だけで、トマトは割れてしまう。そのため、雨が降る、あるいは、晴天の日の前には、薄く染まり始めたトマトは収穫しなければならない。
露地栽培トマトはリスクの塊となるが、そんなノウハウを得るまでに10数年を要した。

 
可笑しな事に、マーケットでは、手間がかかり、成長も遅く、美味しいはずの露地野菜の方が、市場価格が安く、手間が掛からず、成長も早く、味の薄いハウス栽培の方が、市場価格が高いと言う奇妙な現象が起きている。ちなみに、当農園でも小さな育苗ハウスが一棟ある。偶々、空いた畝に葉野菜を育ててみるが、どうしても味香りが薄く、大味となり、スタッフの評判も悪い。
専業農家の人達はみな、見てくれの悪い露地栽培野菜の方が美味しいことを知っているのだが・・。
 
今では、農家から直送してくる野菜を販売していた八百屋さんが次々と廃業している。
彼らは、美味しい野菜作りに頑張っている農家の代弁者でもあり、旬菜や美味しい野菜のことに詳しく、消費者と対面販売を行ってきた。後継者がいないことや農協に依存しない農家が居なくなったことも大きな要因です。
キャベツ・白菜・ブロッコリーなどは露地栽培が現在でも主流であるが、その他の多くの野菜が施設農業に置き換わってきている。
そのため、旬菜と言う言葉自体が消えかかっている。施設栽培は、リスクも少なく野菜の生産回転率が高い。その代わり、設備は大掛かりにしないと、採算に乗りにくい。そうなると、小規模零細な農業では成り立たなくなっている。結果として農業の裾野は極めて狭くなっていかざるを得ない。農地も狭い零細小規模農業が主体の中山間地農業は壊滅状態となっている。そのことを最も危惧している。
 
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             大きな家庭菜園

 一つの畑でも一季節、10数種類の野菜が植わっている。家庭菜園を限りなく大きくしていくと当農園のスタイルになる。年間100種類以上、一季節30種類以上の野菜がそこには育っている。季節が重なる時季には、60種類以上の野菜が植わっている計算になる。
全ての野菜が微妙に育て方が異なり、この全ての野菜の管理ができるまでに少なくとも10年間の経験が必要であるが、それで全てを知り尽くしたことにはならないのが露地栽培です。
毎年同じように気候が移っていくわけではなく、去年成功した育て方は今年はもう通用しないのが露地栽培である。そのため、自然循環農業を営む農人は自然と畑と同化した動物的な嗅覚や経験が必要となる。
おそらくは、死ぬまで勉強の毎日となる。そのため、この農人は自然に対して謙虚な姿勢や心が必要になる。人は生きているのでは無く、自然の中で生かされていることを知っておかねばならない。


最近、野菜固有の味香りのしないものが増えてきている。種物屋さんは、品種改良を重ね、生産し易く、形の整う野菜を目指している。ハウス栽培生産者の支持を得られないからだと思う。
その結果、露地栽培に寄り添った野菜本来の味香りや美味しい野菜の種子が次々と廃盤になってきていることに危機感を覚えている。農業の裾野は確実に狭まっており、地域農業の再生への道程は遠い。
旬菜が一番美味しいと言われ続けてきたが、旬菜と言う言葉は今では追憶の世界となっている。
 
以前の専業農家は、如何にして土を肥やし、美味しい野菜作りを競い合っていたものだ。その頃の農家は自負心を持ち、良質な野菜作りに誇りを持っていた。
今はどうだろう?流通が求める規格野菜や見てくれの立派さを競い合い、如何に、売上を上げていくかを考えざるを得なくなっている。そこには、かっての農家のプライドは感じられない。
生産者が商品の良質さを追求しなくなったら、最早、商品では無くなり、単なる金儲けの「もの」でしか無くなる。
少なくともむかし野菜グループでは、農産物及びその加工品の健全性・良質性・美味しさを、消費者に胸を張って伝えていくことに、誇りを持ち、生産者としての尊厳を維持し続けるように教えている。
むかしながらの草木堆肥しか使わない自然循環農業は、他に例が無く、このグループだけなのだから。

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              秋の静かなる畑

 私は日本の四季の移り変わりが好きです。その中でも晩秋の安らかで静かな秋が最も好きです。冬の眠りに入る前の荘厳な秋の風景。
野菜達は、やがて来る極寒の足音を感じているのか、懸命に命を繋ぐかの様に、静かに成長している。