農園日誌ーグループ営農への試みーミニマムで壮大な試みーPARTⅠ

28.2.10(水曜日)晴れ、最高温度12度、最低温度1度
グループ営農への挑戦ーミニマムで壮大な試み、序章
  
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三人ともへっぴり腰でレイキを使っているが、流石に農業を生業としているだけに
飲み込みは早い。レイキ(熊手のようなもの)は難しく、農園でも使いこなせるには最低二年は要する。


昨日、カナダから農園体験の若いご夫婦がお見えになった。
通訳の日系二世が同伴された。おかげで何とか対話が図れたが、言葉が通じないということは疲れるもの。その晩は眠りが早くやってきた。
聞くと、あちこちで断られたそうで、ご主人のほうがあまりにもがっかりしていたのでスタッフの南次郎さんの知古から連絡があり、大分に来られたとのこと。少しは国際親善が図れたのかな!
カナダにて有機栽培約5反と養鶏を営まれているそうで、日本の自然農の現実を知りたいとのこと。堆肥作りから堆肥撒き、畑作り、種蒔きなどの一通りの作業を試みた。
自分で作った堆肥を使った自然農や有機栽培は、北米では珍しい。
わずか一日であったので、多くのことは伝えられなかったが、広大な面積を使う近代農業、特に粗放農業とは異なり、労力を掛けざるを得ない自然栽培では、「如何に少ない面積で如何に最大の収獲が行えるか」それが日本の高集約化農業であり、そのノウハウを中心に伝えてあげた。
全て自然に委ねるといった概念上の自然農では商業的な農業は不可能であり、勿論それでは生活が成り立たないこと、そのために、日本の先人たちが行ってきた農業=草木などの自然の有機物を使った本来の有機農業をより進化させた農法などをお伝えしたつもりだが、果たして理解してくれたのかは定かではない。只、自分たちの進む途は確認できたようだった。
 
その中で、通訳を務めてくれた日経二世のカナダ人(現在東京農大に留学中)は、一人農業では、良質な農産物生産を行い続けることが難しく、グループを組んだ農業という事業を行わねばいけないのに、日本人も含めてカナダ人もグループを組もうとはしない。その答えを探すべく、日本にやってきたとのこと。

また、その日、育苗ハウスを建ててくれている大分県竹田氏のトマト栽培農家のご夫婦とお話をしました。
私達もなるべく農薬を使わず、酵素を使い、安全で美味しいトマトを作っているんですよと、その奥様が語ってくれた。土に向かい合った農業者のやさしい顔がそこにあった。
この農家も農協のトマト部会に属し(正確には生きるためには属さざるを得ないのですが)ており、美味しく、良質なトマトは作る自信があると言っておりましたが、農協出荷では見栄えや形(規格)しか言われず、美味しさは全くと言って評価を受けない。
それでも部会に属さないと生きてはいけない、と自嘲気味に語ってくれました。
国が道筋を作り、農協が支え、巨大流通システムが作り上げた大量流通の仕組みに属さざるを得ないこと、そこでは、良質な野菜つくりが日の目を見ないし、評価されないことは、同じ農業者として一人農業の悲哀を垣間見た思いだった。
その方にも息子はいるが、農業は継承しないとのこと。先の展望が見えない現在の農業では無理からぬところではある。
ちなみに、農協部会というものは、もし、一旦、農協以外にトマトを出荷したら、即日、部会から除名処分を受け、その後、一切農協へは出荷できない。
もし、むかし野菜グループがもう少し大きくなれたら、貴方たちの美味しいトマトを全て受け入れますから、頑張ってください、と声を掛けて別れた。
むかし野菜グループの力不足がくやしい。

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造園会社から大量な
剪定枝が持ち込まれる
(正確には捨てられる)
枝と葉っぱを選別し、
枝は破砕機に掛けて
木屑とし、葉っぱと木屑
は草木堆肥の主原料となる。
当農園の命でもある
気が遠くなるような作業が延々と続く。



初春は草取り・畝作り種蒔き・破砕作業・味噌作りと大忙しの季節。加えて、新たな加工場の建設準備と目の回るような忙しさが続いている。

近代農業・単一作物農業・大規模化農業で日本の食糧を増産させるといったテーマを現在の農業学者も含めて国をあげて取り組んできた農業の仕組みが、今、農業を基盤とした地域(後継者がいない)崩壊の危機と共に、大きな岐路に立っている。

他方では、安全で、健康で、良質な農作物への潜在的欲求が世界的に顕在化してきている。まだまだ、弱い潮流ではあるが・・・
ところが、今ではその良質な農産物そのものを生産するノウハウや方法が見つけ難くなってきている。そのことを熟知していた農人が世界中どこにもいなくなっており、
また、育っていない。
大量生産及び流通システムが世界の潮流となってから久しいからだと思う。
 
流通では、農産物も含めて食品全てにおいて無菌状態や見た目を重要視している。生産から加工・流通に至るまでの全ての行程で何らかの化学薬品が使用されている。
そのために食品化合物(化学添加物)に侵され始め、各種アトピー(原因不明という意味)やアレルギー体質を抱える人が急増している。
農産物生産段階で使用される化学物質(有機野菜も例外ではないことをいままでも述べた)の量と質のひどさに加えて、食品(加工品も含めて)に添加されている化学合成物質に至っては数えるのも難しいくらいに多岐に亘り、量も多い。

現在人は生産段階と加工出荷段階で二重の化学合成物を与えられ続けていることになる。

例えばこうだ。
 
現在むかし野菜グループにおいて仲間たちに送っている漬物などの純粋な無添加発酵食品である味噌や浅漬けなどの漬物も保健所の指導を受けると、加工する前に80度位に加熱殺菌して、さらに塩素などの入った水でよく洗浄し、無菌状態で製造するようにとの指導を受ける。袋詰めする際には、アルコール殺菌と防腐処理をして出すようにと・・・
まさしくコンビニの無菌食品となる。「それが健康食品である」そうだ。
皆様はそうだと頷く方もおられるとは思うが、どこか可笑しくはないのかと疑問を持つ人もおられることを期待してはいるが、如何だろうか?
 
その明確な答えは用意できないが、二つのことが言える。
 
貴方は大腸菌サルモネラ菌の脅威と二重の化学合成物質の脅威のどちらを選びますか?

菌類の脅威は一過性ですし、食中毒などは滅多に起こることではないが、化学合成物質は長い時間をかけ染色体(DNA)を経て子孫にまで伝わってくるし、体内に蓄積する。
 
次に自然界では、無菌状態というものは決してなく、常に雑菌状態に晒されているため、人間は長い時間をかけてそれらに対する抵抗力をつけてきている。
無菌状態の食品ばかり食べていると、その抵抗力までも奪われていくことになる。
人間だけが特別な生き物ではないのです。微生物も放線菌(黴)も同じ生き物なのです。
 
自然界の摂理とは、弱肉強食の世界と互いに互換しあう共生の仕組みが共存している世界です。つまり、大腸菌サルモネラ菌もO157もすべてが無菌状態の中では強力になり大量に増殖してしまうものなのです。
幸いなことに雑菌に溢れた自然界では、この自然浄化システムというか、自然の循環システムが働き、ある特定な菌のみが大量に増殖させないようにしています。
例えば、純粋な無添加発酵食品である漬物は代表的な菌である乳酸菌が適切な塩などを使うことによって、雑菌の繁殖を抑えて増えていきます。
その乳酸菌(ここでは良性菌と呼びます)に守られてのみ、漬物は漬物なのです。
80度の温度で殺菌するとか、アルコールで除菌するとか、防腐処理をするとかは、この良性な菌までも殺してしまい、それこそ他の悪質な菌のみが増殖することに繋がってきます
 
さて、皆様はどちらを選ばれますか?
 
私たちはこの自然の循環システムをすべての根幹において私たちの仲間たちに良質な野菜及び加工食品を届けることが責務であると心得ております・・・
つい、国の指導に頭にきてしまい、要らざることを書いてしまいました。反省しています。
 
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保育園の発表会
次女の三女が生まれ、
翌々日が発表会。
お医者さんの許可をもらい、次女もやってきた。
チーちゃんはまだ二歳
訳も分からず、座らされているが、時折
手を叩いたり、
みな、あっち向いたり
こっち向いたり、それが
かわいいのです。
親ばかですね。

話は脱線してしまいました。元に戻します。
良質な農産物及び加工食品は、大量生産や大量消費・巨大流通において、見つけにくいものになってしまいました。
先ほどの日経二世の方の話に戻しますが、一人農業ではもはやこれらの巨大流通システムに対抗できる力は毛ほどもありません。
良質な農産物を作り続けようとすると、必ず、販路の問題に直面します。
一人の農人ではその販路や手掛かりさえ見つけられませんし、生産し続ける力まで奪ってしまいます。生活できないからです。
日本には古来から「結い」の仕組みがありました。そこでは相互扶助(共生)の共同体と人の欲が生み出す競争の原理を如何に調和させていくか、の大きなテーマが見え隠れします
これは自然界の循環システムとどこか似たところがあるように思えます。
読むのもお疲れでしょう。この課題は次回に・・・続くことに致します。