2022.3.18(金)雨後曇り、最高温度14度、最低温度9度
農園の杏の花は満開
今日、およそ三ヶ月ぶりに本格的な雨が降った。
今までが余りにも少雨であったため、野菜は嬉しそうです。
大根・人参・キャベツ・白菜などは葉っぱを広げられず、根菜は細長くなり
いびつな成長をしていました。
これからは野菜不足も解消へと向かうことでしょう。
ただ、一部の野菜はすでに莟立ちが始まっており、出荷できないまま花が咲こうと
しております。
ウクライナへのロシア侵攻、プーチン独裁政権の暴走、東北地方の何度目かの
地震、コロナまん延など、不幸な出来事が同時に起こっております。
国はこんな時何をしてくれるのか、私たちは国という形を改めて考えて見るべきな
のでは無いかと思います。
それでも九州にはようやく遅い春が来ました。農園も日常の営みに戻れそうです。
今農園は種蒔き・ポット揚げ・定植作業に追われております。
今日は、雨降り直後でもあり、スタッフ全員珍しく5時過ぎに帰宅しました。
雨が一農夫の数百倍の良い仕事をしてくれましたので・・
「農産物の流通」―現状分析―
皆様は農産物がどのようなルートを経て消費者のもとへ届いているのかをご存じですか?
農産物流通は実に複雑で農協・市場・仲卸・スーパー直などのルートを通っている。
全国農協や経済連が最も大きな流通組織です。官僚達の天下り先となっている何重もの
上部構造になっており、その組織を維持するために下部組織である農協と組合員(農業者)が居る。組合員が生産した農産物の75%がこの農協ルートを通る。他は市場や
仲卸を通して小売店へ流れる。
生産者と消費者との農産物の直接取引となると全生産量の数%も無いため、生産者の
作りたい野菜と消費者が欲しい野菜は繋がらないことになる。
農協の下部組織に「野菜生産部会」なるものがあります。
ほとんどの農産物は生産者が作った茄子部会とか、ピーマン部会とかが各地域に必ず
あります。その部会に属さないと農協へは出荷できません。つまりは、流通市場には
出せません。
かって、ある運送会社から電話が入りました。「○○野菜は無いでしょうか。
今、神戸の漬物製造会社から頼まれて探しているのです」
私はこう答えた。「うちの野菜は全て全国消費者へ直接お届けしており、生産量が
限られお出しできません。珍しい野菜では無いのでどこにもあるでしょう」と・・
「いえ!全てが農協に抑えられており、販売してくれる生産者がいないのです」と・・
もし、農協以外へと販売した場合は、部会から閉め出され、次は農協へは出荷できなくなりますから野菜が集まらないのです。ただ、農協はその事実を認めておらず、
○○生産部会は農協の下部組織では無いと主張しているようですが・・・?
野菜等は農協及び青果市場や仲卸を経由して小売店へ送られる。
例えば、大根一本100円としたら、流通過程でおよそ60円が消えていき、生産者
に渡されるのは40円となり、その内、生産原価はおよそ24円であり粗利益16円
だけとなる。
流通では、農産物の品質(安全性・栄養価・美味しさなど)は評価の対象外となり、
規格サイズや見栄えが重視されている。規格サイズ(流通のし易さ)と見栄え(消費者のニーズ)は、農産物の品質とは本来は一切関係ない。
生産者が工夫を凝らし美味しく栄養価の高い安全な農産物を生産しても「流通」から
評価されず、農協及び流通が求める規格野菜(消費者が求めている?)を作るしか無
いのです。
近時は、生産者がグループを組み、価格を抑えて、スーパーなどの産地直売コーナー
などに持ち込み並べているケースも増えている。
スーパーへの手数料として20~25%を納めているが、これは買い取りでは無く、
余った野菜は引き取り処分するしか無い。
値引きされた一本80円の産直大根は商品ロスや運送コストなどを考慮すると、
80円―16円(手数料)―12円(運送手間)―12円(商品ロス15%)=40円
となり、結果として手間だけ掛けたということになってしまう。
日本の農産物流通の経路は複雑であり、生産者と消費者の接点はほぼ無いに等しいの
です。
むかし野菜には新たな開墾地が加わりました。約3反です。
ここにはこれから大豆・麦類・さつまいもなどを植えながら土作りを始めていきます。
むかし野菜の野菜畑になるにはこれから3年を待たねば成りません。
生産者が農協離れを起こしていると言われてはいるが、現在の農産物の流通(販売)
の流れは農協抜きでは出来ないのです。
農産物の生産は気候の変動が激しく生産リスクの塊となっており、販売価格も生産者
に決定権が無く、品質志向の考えを持ったとしてもそれを実現できる(正当の評価を
受ける)だけの販売ルートを確保できないのが現実であり、さらに農家の農業離れを
加速させている。
地域の長閑な田園には、重い体を引きづるようにして80歳に近い農夫が畔塗りを
行っている。彼らには後継者はおらず、皆、都会に勤めに出ている。その農夫も子供
達にこの農業を続けてほしいとは願っていない。一見豊かな田園では子供の声は聞こ
えてこない。