むかし野菜の四季ーPART2

2022.11.7(月)晴れ、最高温度19度、最低温度11度

            荒れ果てた農地の除草作業

 

ハンマー(草刈り機)を使って雑草の生い茂る農地を開墾している処です。

むかし野菜の邑の一員である平野さん(自然農米・自然栽培の梨)からの要請で

新たに加わった若いスタッフたちと草刈りをしています。

この農地は平野さんが管理を委託された荒れ地です。

前方に見えるのは真言宗の古刹です。ここは田園風景が広がる由布市庄内のある里

です。放棄地が目立ち始めています。

 

ここにむかし野菜の邑は「体験型生産観光農園」を開こうと考えております。

自然循環農業を旗印にして、見本農園・市民農園・草木堆肥場・宿泊施設

飲食・物販・加工場・保存蔵などを備えています。

草木堆肥を使った自然循環農業を体験し、学べる施設とする予定です。

農業に関心を寄せている人、定年退職を機に農業をしながら生きていこうと

願っている人、不透明で理不尽に満ちた社会に不安を抱いている人も多いのでは

ないでしょうか?

自然栽培実践本と合わせて全国にクラウドファンディングを通して呼びかける

予定にしております。

ここには自然と田舎の里が眠っています。ここを豊かな温かい里に変えて

いければと願っております。

 

§4.グループ営農と消費者との連帯

 

現在は、大量流通(物流)社会となっており、特に「食の分野」では、大量流通を

行おうととすれば保存料・酸化防止剤・防かび剤・着色剤・界面活性剤などなど、

様々な化学薬品を使わざるを得なくなります。

それに拍車を掛けたのが10年ほど前から制定されたPL法(製造者責任)です。

これは流通途上であっても様々な食品の変質は全て製造者の責任と見なすと言う

法律です。

このことにより日本の食品添加物は大幅に増えて日本の食品添加物の種類

(約3,800種類)と量は世界一となっていることをご存じですか。

これらは大量消費・大量物流がもたらす近代文明病ですね。もはやこれらの多種類

食品添加物の使用は避けては通れなくなっていると、さる東大の学者は言ってお

ります。

皆様はこの現実をどのように受け止められますか。

 

農業生産の現場でも、除草手間を省くための除草剤や野菜を成長させるための化学

肥料・農薬・ホルモン剤などが日常的に使われます。有機野菜と言えども、抗生物質

・農薬・除草剤などが有機肥料(スーパーから出る様々な食品残渣の肥料・配合飼料

を餌として食べている蓄糞肥料)の中に含まれております。

個々の農業者が化学物質の含まれない健全な農産物を育てる自然循環農業を志して

も現在社会の食の流通環境では、消費者からも受け入れてはもらえません。

品質が高く健全であるはずの不揃いの農産物は流通からそっぽを向かれ、一般の消費

者からは見向きもされません。見た目でしか評価を受けられないのです。

持続可能な農業(自然循環農業=SDGS)とはそういう厳しい状況に置かれてお

ます。

となれば、自然栽培農産物は個々の消費者と対面で向き合いながらの直接販売しか

途はありません。当農園の加工品や漬け物・惣菜まで、全て当グループ内で生産した

農産物を使って製造された無添加食品です。当然に添加物は入っておりませんので

賞味期限は短く、適切な保存方法を取って頂かねばなりません。

これら農産物生産や無添加加工品製造から販売まで独力で行わねばなりませんので、

一人の農業者ができる範囲は限られており、孤立してしまいます。

消費者への直接販売を行うには、消費者の需要満足を促すために少なくとも年間

100種類以上の野菜栽培が必要となり、お米・麦などの穀類生産や果樹生産も求

められ、味噌漬物などの加工品も必要となります。

それらの商品ラインを作り、農法や品質を同じくし、安定的な生産量を確保するには

思いを同じくする相互扶助を行う生産グループが必要となります。

          飲食・物販棟と見本農園の予定地 

            道路を挟んだ反対側の風景

    この里に水路があり、石垣があり、田舎の原風景があります

 

私が銀行員時代に中山間地を抱える地方公共団体の首長さんと話し合い、地域及び

農業の活性化を行うために有機農産物の商品化とグループ営農の結成を目指し、

地域の農業者に集まってもらい、数カ所の市町村でセミナーを開催しました。

今から30年以上前は農業生産者にも活気があり、そこそこには地域の農業者はいた

のです。中々の人気セミナーとなり、有機農産物の栽培方法の講演中は熱心にメモを

取り説明を求めてきていました。ところがグループ営農の段階に話が進むと熱気が

急に冷めていきます。

帰りがけに一人の農業者が私に近づき、自分だけに個別の指導を頼みに来ました。

同時に私も熱気が冷めてしまい、それ以降セミナー開催を止めました。

かっては「結いの仕組みや精神」があった地域農業も今ではすっかり個々に機械化が

進み、グループで農業を行ってきた習慣や相互扶助の精神は無くなっていたのです。

こんなこともきっかけとなり銀行を中途退職し、自然循環農業の先駆けとして農園を

開く決心を致しました。

 

※銀行員時代最後の10年間、有機農業の実験農業を行っており、その際、有機肥料

栽培を捨てて草木堆肥による土作りを行う自然循環農業に至っておりました。

自然栽培の農園も10年を経てようやく軌道に乗り始めてから、今までまったく農業

を経験していない若者達を育て、新たなチーム作りを始めました。