農園日誌ーTPPの意味するもの

27.11.18(水曜日)雨、最高温度20度、最低温度16度

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竹田、岡城址にて、


紅葉を両手いっぱいに持って
花吹雪を演出しているところ。
楼門の上で子供たちが遊べる
平和な日本が末永く続いてほしい。




農園はこのところの暖かく湿った気候が続いている。
作物はよく育つが、逆にこの時季としては異例の高温多湿の気候のせいで腐りが発生し始めている。18年ぶりの最大エルニーニョ現象地球温暖化が重なり、
農作物は従来の経験の範囲では、予測不能な影響を受けている。

環太平洋域内のTPP合意は、アメリカ主導の経済圏が動き始めようとしている。
時代の趨勢と言ってしまえばそれまでだが、政府は受け身の農業から攻勢の農業への転換だとのろしを上げている。
永年、農業保護政策を続けてきて、いきなり、日本の農作物は優秀だ。これからは攻めの農業だといきまく。これが今の政権の姿。
時代の流れに押し流され、格とした政策が打てない。地域の疲弊は無視され、
今まで通りの切り捨てが始まろうとしている。農業政策は霞が関のビル内で描かれているが、農業は地方の現場で行われている。

東北の農協だったと思うが、有機肥料に化学物質(化成肥料等)を1%混ぜていたとのニュースが流れる。
1%の世界がどんなものなのか?現場を知る農人達ならわかるが、そんな微量でどうなるものでもない。おそらくかなりの量の化学合成物質(少なくとも20~30%)
が入っていたのであろう。(メディアのニュースも信じるに値しない)
そのためそれを信じて有機野菜として出荷していた野菜は、特定農産物としての価格しかつけられなくなったとして問題になった。
この事例にはいくつかの課題が見え隠れしている。

一つ目は、商品偽装が全国的に行われており、氷山の一角でしかないこと。
有機肥料に限らず、野菜・加工品・も含めての問題と受け止めるべきであること。
二つ目は、有機野菜を目指すならば、他人を信じて有機肥料及び堆肥を購入してはならない。
真に健全な野菜を作ろうとする有機及び自然農農家ならば、すべて自分で堆肥及び肥料材料を見極め調達すべきであり、自分で有機堆肥及び肥料を作らなければならない筈である。
三つめは、農家であれ、消費者であれ、健全な(農産物)食品を求めようとするならば、生産コストに見合った対価(費用)とリスク(?)を払うのが当然であること。
「何故こんなに高いの?」とか、「見てくれが悪く傷んでいるよね」とか、
「虫食いばっかりあるのに」とか、決して言ってはならないのですが・・

例えば、堆肥センターで一番最初は健全な(化学物質が含まれない)堆肥ができたとしよう。
農家からのクレームがあり、「この堆肥は育ちが悪い」との評判が立つ。
そこで少量ならばと化学肥料を加える。
次に、「虫が湧く、あるいは病気になり易い」とのクレームがあり、殺虫剤や抗生物質を加え、さらに滅菌処理を施す。→微生物が存在しないものは有機とは言えない
さらに次に、「この堆肥では草が生え易い」とのクレームがくる。
そこで、除草剤を混ぜ込む。
かくして、有機農家から野菜がよく育つ有機肥料、若しくは、有機堆肥として評価を受け、立派に有機堆肥で通っているのが日本の現状であるとすれば、果たして、
これは有機野菜として健全な在り様なのか、となってしまう。
さて、その要因は「どこに」あるいは「誰に」あるのでしょうか?
つまりは東北の有機肥料は氷山の一角に過ぎないことにはならないだろうか。

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青梗菜の出荷

画面右側は間引き
出荷したところ、
左側はされていない
ところ。

お客様に手間を掛けた以上にリーズナブルな
価格に抑えていくためには、密集栽培を行う
間引き出荷により、
一つの畝で三回以上
の出荷を行う。
これにより、反当たりの収量を増やした高集約農業を行う。
通常はこんなには密集栽培は行わない。何故なら、手間が掛かる上に、蒸れて腐ってしまうリスクがあるからです。そう考えると、この農法はやっている当事者は気付いていないが、収穫時期の見極めから種蒔き・管理の特別のノウハウがあるのかもしれない。今それを若い農人達が学んでいる。

ある方からこう言われた。
「佐藤さんのところは、特別の野菜を作っているから、TPPは関係ないよね。良いですね」「まあそうですかね」とあいまいに答えざるを得なかった。
農業を取り巻く環境はそう簡単に割り切れるものではない。
自分だけが良いという考え方では、決して生き残っていけるものではない。
生産する仲間がいて、地域があり、この農業を継承していける機械設備も必要であり、この野菜を求めている消費者がいて、それを広めてくれる仲間(消費者)がいる。
TPPにより、周りの農業が全滅して、どうして生きていけるものか。
今後はこの取り組みを引き継いでくれる農業者の受け皿が無くなれば、自家のみ繁栄することはなく、ひいてはこれを求めてくれる消費者も困ることになる。
農業は、地域は、支えあってこそ生きられる環境が必要あることに、どうして
多くの人たちは気付かないのだろうか?そのほうが不思議に思う。

現在、地域で細々と続けてきた農業(多くは米作ですが)が壊滅的な状況になっては遅いのだが、特に中山間地農業がそれ。
農業経営ということさえ知らない農業者が圧倒的に多く、さらに彼らが組織化できない現状では、地域の農業現場において、マーケティング(市場細分化・市場ニーズ把握・商品開発・消費者とのコミュニケーション戦略や戦術)を指導できる人材がいない。これでどうして、攻めの農業ができる訳もない。

地域農業の生き残り策を説いて回るも、霞が関が主導する国も含めて、お役所ではそんなことには無頓着であり、やる気もないし、仕組みもなく、現実にはそぐわない規則・規定を押し付けてくるお役所の壁は固くて高い。いささか疲労の色が濃くなってきている。
これが農業現場の声ですが、皆様は如何お聞きでしょうか?
他山の石とお思いでしょうか?

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竹田岡城址
山の手の楼閣跡

何故かここに登ると
裏寂しい気持ちになってしまう。秋ですね。

美しさと寂しさ
これが岡城の魅力
でしょうか。




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岡城の裏の手

ここは隠れた紅葉の
名所です。



少し残念なのは
石敷きの道がいつの間にか舗装されておりました。




使いやすさ(安・近・短)だけが求められる現在の風潮。
この農業を進めるうえで、現在人の心の在り様(価値観)は、
不便でも、手間がかかっても、美しいものや自然の姿はあまりにも手を入れ過ぎると壊れてしまうもののような気がしてならないのですが・・・