農園日誌ーこの国の農業の未来へ向けてーPARTⅣ

27.11.11(水曜日)晴れ時折曇り、最高温度18度、最低温度10度

イメージ 1
         除草・土寄せを終え、冬の完熟期を待つ九条葱

これからは、一雨ごとに寒さが募ってくる。秋冬野菜は11月の成長期を迎えている
12月以降になると、寒に当たり、成長した冬野菜達は、寒さに耐えるために、蓄えたでんぷん質を糖質・ビタミンに変えようとする。
要するに自家発電と同じで、糖質にすることによって、エネルギーを得て、生き残ろうとする。自然は真によくできている。一本葱が終わると、次は九条葱となる。

イメージ 2
出荷を待つ整理された青梗菜。
秋野菜の代表的な葉物野菜。

恥ずかしくも、お尻を
丸出しの風景が面白くシャッターを切った。

虫害も終わりに近づき
ようやく安心して
出荷できる。


(PARTⅣ、農業の現場では)

最近の問い合わせには二人に一人の確率で、「自然農」ですか?とか、F1品種ですかとかの質問が増えている。随分と皆様、勉強をされておられる。
今週の野菜のブログでも書いたが、様々な情報が錯綜しているようだ。
どの情報も農業現場の真実の内容が伝えられていないことに戸惑いと同時に憤りさえ覚える。

有機農業であれ、自然農であれ、一度、畜糞を使用しておりますとか、農薬は幼い苗段階では使用せざるを得ないとか、言おうものなら、即座にキャンセルされてしまう。そのため、自然栽培に少しでも近づけようと苦労されている農業者でも
「大嘘」をつかねばならなくなる。「はい!まったく使用しておりません」と・・・
そう言わねばならない有機農業者も苦しいのです。様々な情報を得て、無邪気に
信じておられる消費者には罪はないのだが・・・

子供さんが高度アレルギーに悩んでいたあるお客様がいる。
それこそ、あちこちの有機及び自然野菜をかたっぱしから注文してはいたが、
いずれも子供さんが吐いてしまう。
最初は泣くような声で問い合わせがあった。
「農薬や牛糞は使用しておりませんか」と・・
こう答えた。「できうる限り、土壌に化学物質が入らないように、草木主体の堆肥で育てております。とにかく、一度食べさせてみてください」と・・
今では、このお客様も野菜育ては概念ではなく、どのようにその農業者が苦労しているのか、よく分かって頂いている。
昨日の電話では、うちともう一軒自然農の農家から野菜をとっており、やはり農薬は適宜使っていることがわかっている。その農家もどうしても虫害がひどいときは、
その畑は放棄して(おそらく農薬で駆除して)他の畑で栽培を行っているそうだ。
子供さんたちは、今では元気になり、養殖ではない魚であれば、生食で食べれるまでに回復されている。

イメージ 3
蔓紫の実

毎年畑に種を落とし、
翌年発芽した苗を移植して育てている。
自家採取みたいなもの

固定種かと言えば、
そうも言える。

ゴーヤなども同じ方法で毎年育てている。



皆様に伝えたいことは、農業の現場は概念で出来上がっているわけではなく、
自然の土に育てるために絶え間ない創意工夫と実践を重ねている農業現場でできていることを是非、ご理解して頂きたいこと。

自然状態とは一体何を意味しているのか?
自然農が何も持ち込まず、できるだけ有機物を畑に持ち込まないと主張されているようだが、一体何のためにと言いたい。農薬をやらないためなのか?
自然の土(例えば野山の腐葉土)には計測不能なほど、小動物・子虫・微生物・放線菌などが棲んでいる。その中で虫は孵化して、次々に生命の営みを続けている
そこには毎年葉っぱが落ち、虫たちが糞をする。まさしく有機物の自然循環を繰り返している。微生物等がそれを助けている。
そういった自然循環の仕組みからみると、概念の世界の自然農とはまさしく不自然であることになる。そこには虫も住めない世界があるのだろうか?

日本の先人達の叡智はまさしく草木堆肥による農業であった。永い年月を重ねて
出来上がった農法であり、それこそが自然農や有機栽培ではないのか。
むかし野菜の名前の由来はそこにある。

健全で栄養価のある野菜を求めている消費者は概念に囚われることなく、生産者の現場の声を読み取り、権威に頼らず、ご自分の舌と価値観を大切に判断して頂きたい。多くの頑張っておられる有機若しくは自然栽培の農業者のためにも。

イメージ 4
落ち野菜達

パプリカの一種、セニョリータ。
今年は暖冬なのか、
夏野菜たちが思いのほか頑張っている。
茄子は終わったが、
ピーマン系野菜は
成長がゆっくりとして
栄養素が一杯詰まって
実に旨い。
一年のうちで最高の美味しさとなる。
これを農人達は落ち野菜と称する。
不格好で、傷だらけ、サイズはまちまちとなり、市場では何の価値も出ない。
無農薬・脱畜糞などと言わずに、美味しいものは栄養価があり、健全な野菜なの
だから、農人だけに食べさせるのではなく、また、もう飽いたなどとも言わずに、
夏の名残を愛しむ気持ちを持つくらいの心の豊かさを大切にしても良いのでは・・・・