農園日誌ーこの国の農業の未来へ向けてPARTⅢ

27.11.4(水曜日)晴れ、最高温度19度、最低温度10度

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今日は祝日、孫たちが全員畑に集合の日。作業を手伝うと言って聞かない
孫もいれば、そんなの卒業したよ、と言わんばかりの遊びまわる自然児の孫もいる。食べている時が一番おとなしい。
いずれにしても、大人たちはミニエンペラー達に振り回され続けた一日。

農園は日一日と昼が短くなり、16時を回るとすでに辺りは夕べの風景に。
17時になると真っ暗となり、残った仕事が翌日に回される。

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茄子の落ち野菜。
全ての夏野菜は、この時期になると、成長が止まり、実は中々
大きくならない。
それでも中には残った野菜の全てのエネルギーが実に注がれ、
味は濃く、一段と美味しくなる。
茄子・ピーマン・トマト・万願寺とうがらしなどがその代表格。
農家しか食べられない落ち野菜でした。当農園では主にレストランにこの本の一瞬の時季しか取れない落ち野菜を出荷している。

※野菜の成長

先ずは青臭い走り野菜; この段階では旨味も味も薄い。スーパーなどの
                店頭に並んでいるのはこの走り野菜が多い。

成熟期に入った中旬野菜; 実や葉がしっかりとして傷はあっても味が乗り
                  始めている。

完熟期に入った終わり旬野菜; 外見は悪いがぼってりと風格さえ漂う。
                    旨味が乗り、栄養価は最高の状態。

成長時期を逸した落ち野菜; 寒さなどで成長せず、いつまでも木に成って
                   いる。味は凝縮している。

むかし野菜では走り野菜は決して出さない。栄養価も味も薄くなにより美味しくないから。
見てくれの良い時に出荷しないと流通は受け取ってもくれないからだが、
消費者にとっては、真の野菜の美味しさを知らされず、野菜嫌いの子供が増えていく。
一体何時頃からこのような常識が出来上がってしまったのか?

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茄子の撤去作業

この時季、畑から一枚、また一枚と夏野菜が姿を消していく

随分と頑張ってくれましたと感謝しながらの撤去作業。
麻紐を切り、竹を引き抜き、テープをたぐる。手間がかかる

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夏野菜が撤去された
跡に、種が蒔かれ
幼い秋野菜が育っている。
この晩秋の時季に
毎年繰り返される
農園の営み。
この後、寒が訪れ、
やがてこの畑一面がビニールトンネルの白い世界に変わる。

安倍総理自民党政権になって、平和憲法の中で、直接武力行使の余地を残した安保法案だけではなく、営々と続いてきた農業保護政策も変化の時期を迎えている。
この政権は全てを玉虫色にしながら、その「ツケ」を後世に残しつつ、時代の変革を急ピッチで推し進めている。
但、忘れてはならないのは、その「ツケ」は必ず、子供たちにそして孫たちに残されていく。大きな借財として、負の遺産として・・・

さらに大企業・大資本に偏重した政策は、地方を切り捨て、国民を蚊帳の外に置き、経済成長のみを重視している。まるで野菜の価値ががみてくれ重視になったように・・まるで中身がない、張り子の虎。

例えば、つい最近、大豆の脱穀機を買おうとしたら、今はその程度の小中規模の機械は作っていないとのこと。大掛かりなコンバインならあるそうだ
需要がなくなってきたからとのこと。小中規模の農業や質の農業は国の
政策からみると、切り捨ての対象になっている。
このような小規模な農業機械・道具までもが手に入らなくなりそうだ。
現在、日本全国、小規模な農業がほとんどであるのに・・・
益々、地域農業(同時に地域社会も)は壊れていくことになる。
TPP条約(関税撤廃)はかろうじて地域農業を支えている老齢化した農業者の気力さえ奪っていくことになる。
それが時代の要請というならば、地域農業を維持する何らかの方策を示さなければならないが、現在の処、何も無い。

多くの欧州各国もそうだが、オランダという国は、施設園芸(輸出産業として)に力を入れていることで有名ではあるが、露地栽培農業及びその農地においては、手厚い保護政策をとっている。
何故なら、水利も含めて国土保全をしている農業者を保護しないと、国土が保てないことを長い歴史の中で知っているからだろう。
近い将来、地域が崩壊し、ブッシュに覆われた荒地が豊かな緑の大地を覆い尽くしていく光景を見ることになるのだけは避けねばならないと思うのだが・・・

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晩秋のこの時季、
畑は時間が止まったかのように、「静」の
農園となる。
気温が下がり、
秋野菜達がゆっくりと成長している。
私はこの季節が
一番好きだ。
時折、立ち止まっては「静」の風景を
眺める。美しい・・

時代の変化が進み、来るべき農業の未来図を描けない、若しくは、描こうとしない日本の政治。
しかしながら、一部の賢明な消費者は、漠然とした食への不安を感じ取り、
何かを求め、探し始めているように思える。
私たちの試みは、そこに活路を求めるしか方策はない。
生産者と消費者のグループと言うより、「輪」を模索し始めている。
量や形ではなく、質を求め、その思いを共有していく。
ここに集まった若者たちもその気持ちは同じだと思う。

殺伐としたむかしの全共闘時代ではなく、安保法案に反対して動き出した静かな若者たちもいる。

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        この子たちに未来の無い世界を残してはならない。

俺たちの時代さえ良ければよいと言う年寄りもいる。
自分の場所さえ確保しておけばよいと考えている熟年もいる。
その日の暮らしに、遊びに汲々としている青年もいる。
政治に無関心の若者もいる。

それでも、みな、一人で生まれてきたわけではない。
支えあって生きていく喜びが人間である。
この世で助けてもらわないで生きていくことなど、決してできないのだから。
自然の営みから学んでほしいと願わざるを得ない。