農園日誌Ⅱー「活きること」ーPART13

2019.4.18(木曜日)晴れ、最高温度18度、最低温度9度

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麦作りを始めて4年目、草木堆肥施肥して、5年目の圃場に今までより多目に堆肥を振り、ようやく思っていた通りの麦が出来そうな予感がする。出来は頗る良い。
麦類は肥料を好む穀類であり、低窒素栽培である自然栽培では難かしいため、
年月を掛けて草木堆肥を降り続け、土を育てるしか無かった。
それだけに、手応えを感じた麦作りでした。

ロシアから来たナターシャ、「オー!ビューティフル」と・・・満面の笑顔。

2014年2月25日―地域農業の高齢化と後継者不在

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大分県の佐伯振興局の職員が農業視察団(地域の農業者)を連れて当農園を訪れてきた。
草木堆肥作りから自然循環農業及び高集約農業まで、農園を回りながら一通りの紹介を行う。
残念ながら、皆さん、高齢で今更、新たな形の農業に進むことは難しい。
彼らは、こう言って帰って行った。
「もう10年でも早く、貴方に巡り会っていたら、我々でもできたでしょう」と・・
すでに体力と気力は尽きようとしていた。子供達は皆、きつく、未来の描けない農業を嫌って出て行ってしまった。
日本では古来から、労力を掛けて、狭い農地しか無い農地を最大限に回転させる高集約型農業を行ってきた。そんな日本の実情に合わせて、高集約型農業に見合った付加価値の高い有機農産物などの商品化によってしか、中山間地の農業は存続できない。
にもかかわらず、日本の中山間地の実情を無視して、欧米の大規模農業を模倣し、大規模化・機械化などを推進するとしてきた日本の農業政策の無為無策が地域の疲弊とやがてくるであろう消滅を招いた。
農業後継者を失い、地域から子供の声が消える。
現在も、そして今後も政府は日本の農業及び地域の未来は全くと言って描こうとしていない。
強い国作り・大企業の支援など富国強兵の施策によって、上から下へ水が降りてくるなどと、グローバル化が進む時代ではあり得ない、時代錯誤の政策が未だに進められている。そして、地域は切り捨てられていく。
諦め顔で、去って行く彼らの小さな後ろ姿をみていると、憤りすら覚えてしまった。
 
「高集約化農業」

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当農園では、一シーズンに最低でも40品目以上の野菜が育っている。一つの圃場(約一反)でも、10~15品目の野菜が植わっている。家庭菜園の大型バージョンと思ってもらえば、分かり易い。
流通を介さず、全て定期購入顧客への直接販売を基本としているため、一農園でも年間100種類以上の野菜が必要となる。端境期に野菜が無いということはしない。そのための工夫、例えば、二週間置きに、同じ野菜を一畝ずつ時間差を設けて種蒔きを行う。野菜を切らさないためには、同じ野菜が時季をずらして4~5畝あると考えてもらいたい。
さらに、寒い時期にはトンネルを掛けたり、剥いだりを繰り返し、成長時期の調整をする。


日本の農業は元来が狭く肥えた農地を最有効に使用する高集約化農業であったが、農協などの指導は国の指針に基づいて大量生産・単一栽培が基本になっており、機械化・粗放農業を示唆してくる。
草木堆肥を施肥し続けた土壌は、年々成長し続けており、肥えていきます。日本の先人達は、何代にも亘って、農地を育ててきた。そんな豊かな土壌は、生命力に満ち溢れており、豊かな農産物を生み出してくれる。
私は、そんな圃場を年間3~4回転させて、四季折々の野菜達を育ててきた。さらに野菜の種蒔きは密集栽培を基本にしている。
通常(農協の指導要領)は、筋播きや点播きなどで、成長の悪い幼苗を間引き、より大きな野菜を作ろうとしている。これが実は間違っていることに気が付いた。
当農園では、ある程度密集した状態を作り出し、大きく育った野菜から間引き出荷をしていく。すると、次に大きく育った野菜から二番出荷として、順々に間引き出荷を続ける。最後は、漬物や自家消費の野菜として活用している。無駄の無いやり方を採用している。
野菜は、ものにもよるが、密集植えをすると、互いに競い合って大きくなろうとする。ゆったりと植えてやると、逆にひ弱に育ってしまう。人間社会と同じなのですね。
その例を大根で説明しておきます。
太めの筋を引き、その筋の中に、大根の種を千鳥状に約7センチ程の間隔で筋蒔きする。すると、競い合って育ち、より大きいほうを一番出荷とし、次に大きいほうを二番出荷とします。この頃、大きく育ち切らないより小さめの大根を間引き、甘酢漬けや糠漬けにします。残ったものを三番出荷とし、ほとんど全ての大根が活用できることになります。これが農業者の知恵です。
 
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単一栽培は、気候変動のリスクが高くなった昨今では、農業者を大いに苦しめてしまいます。
出来過ぎた場合は、大暴落し、出荷する作業を考えたら、逆に損になります。不作の年は出荷量が激減し、いずれも、生活を維持することすらできなくなります。
当農園では少なくとも一シーズンに20~30種類の野菜を育てており、年間通して100種類を超している。リスク分散を図ります。
 
そのためには、安定的に出荷を受けてくれる消費者層が必要となってきます。
当農園では消費者への直接販売を基本にした販売戦略・戦術を立て、市場開拓をし続けております。
さらに、直接販売のためには、有機農産物及びその加工品の圧倒的な商品力が必要になります。
「まあ、美味しい」ではダメなのです。「毎回同じ商品」を送っていてもダメです。
草木堆肥しか施肥しない世界でもおそらくはオンリーワンの農法であり、「糖質・ビタミンに富み、歯切れ良く、味香り高く、旨みのある」存在感のある栄養価の高い農産物を目指しており、四季折々の多彩な旬菜を生産し続けねばなりません。

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「グループ営農」

日本の農業は、一貫して米作中心でした。政府が機械化を奨励し、一人農業ができるようになってきました。その反面、村落単位で永らく行われ続けてきた共同作業、ここでは結いの仕組みが消えていきました。しかしながら、米価は下がり続け、米作だけでは地域農業は維持できなくなってしまい、先の目途も立たない、きつい農業を嫌って農家の後継者である子供たちは、その村落から離れてしまいました。
今では、地域が消えていくのを唯待つしかないわけです。
米作以外の麦・大豆などの穀類価格は内外価格差があまりにも大きく、生産してもわずかなお金にしかなりません。狭い農地での畑作は機械化が難しく、手作業の比率が増えてしまいます。
いずれにしても、一人農業では、心が折れてしまいます。

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この圃場は、佐藤自然農園で研修を終えて、独立した後藤さんの圃場。
そこで作業をしているのは、みな、独立した農園主達や研修生達であり、他人の圃場に何の違和感も無く、等しく汗を流す。みな、明日は、○○さんの圃場で作業をすることになり、そのことを当然と受け止めている。
一人農業がどれだけ捗らないか、心が折れるか知っているからである。
 
 当農園では、現在、4人の青年が働いており、若い主婦も数人おります。ここでは、それぞれが農業者として独立し、「共同作業」「共同加工」「共同出荷」を行っており、その中心に「()むかし野菜の邑」があり、グループを形成しております。現在版、「結いの仕組」です。
農業は本来的には家族経営です。時間外勤務も就業規則もありません。夜の夜中、遅霜が降りるとわかれば、家族全員畑に出ます。農業では、不当労働と言う概念すら存在しません。
農家は個々が頑張った分の収入を得られる独立採算とし、しかも、相互扶助可能な共同作業を行う仕組みが必要となります。
むかし野菜の邑グループは未だ完成形ではありませんが、少なくとも、自然循環農業の元となる草木堆肥施肥の農法は共有化し、農産物の「質の共有化」と「品質の高さ」を維持しなければ、圧倒的な物流を有する既存流通には対抗できません。消費者の高い支持を得ることが絶対的な条件となります。
例えば、当農園のように100種類の多品目生産が無理だとしても、各農家が年間20種類の品質を揃えた野菜を生産し、その農家が5軒揃えば、野菜100種類にすることは可能です。