農園日誌ーこの国の農業の未来へ向けてーPARTⅢ

27.10.28(水曜日)晴れ、最高温度18度、最低温度10度

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   前日に久しぶりに降ったわずか1~2ミリの雨で元気になった秋野菜達

今日、急速に寒さが突然やってきた。北海道では初雪の知らせが寄せられている。
忙しさで気が付かなかったが、周りの木々も色づき始めている。
こうなると、何時、初霜がやってくるか、気にかかる季節になっている。
旺盛な万願寺トウガラシをはじめ、夏野菜・じゃがいもなどは一気に落ちる。
それまでに、秋野菜がしっかりと育っていなければならないし、第四陣の秋野菜の種は蒔いておかねばならない。発芽も難しくなり、成長も極端に遅くなる。
今年は第六陣の野菜まで11月一杯に種を蒔き、植え込みが急がれる。
毎年繰り返される季節との追いかけっこの時季がやってきた。
毎年同じことの繰り返しに見えて、実は、同じ季節は二回とない。
どこの畑を空けるか、何を何時どこに植え込むか、何が足らないか、20数年の経験から、頭の中のカンピューターがフル回転し始める。

これを研修生たちは、自然の中で生き残っている小動物のように肌で感じ取り、しっかりと頭の中にインプットしておかねばならない。
これが自然の微妙な変化の中で行う露地栽培・自然栽培の全て。生きることと同じ。
自分でもまだ分からない露地栽培農業の世界では、10年程度の経験などは無いに等しい。

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今日、NHKの番組の
事前打ち合わせに
東京から番組スタッフが農園にきた。
彼らのために、黒大豆の豆ご飯を用意した。
最後の最後に来るものだから、今回はだご汁
はなし。(お昼に食べてしまった)
一緒に添えた貴重な
瓜の粕漬けとともに
舌つづみを打っていた


旧態依然として現在になおも生き残っている農地法
農地法は、子々孫々に代々受け継がれてきた農地と農民をその土地に縛り付けて置くというもの。正しく江戸時代の思想に基づく。
親が農業者であれば、それを受け継ぐ子供は農民である。従って、霞が関の官僚達も、会社の経営者も、医者もその農業者の資格を持っていることになる。
今が例え、農業をしていなくともよいことになっている。
逆に、これから農業に取り組もうとする人は、簡単に農業者にはなれない。
先ずは、どこかで農業の実績を積み、農業委員会及び市町村のお墨付きを得なければ、農業者ではなく、あくまでも脱法行為となり、もぐりでしかない。
かく言う私もつい最近まではそのもぐりであった。
農地は各地に実に小規模に散在しており、一カ所に大規模な農地があるわけではない。そのため、国の言う大型機械設備を備えた大規模農業などは北海道や干拓地にでもいかないかぎりはこの日本には存在してもいない。効率の悪いこと夥しい。

このような耕作条件や農業保護政策によって、かってあったような「ゆい」の制度や精神がどこにも存在していないことに繋がる。
何故なら、既存の農業者に対して、と言うより、限って、農業機械や施設に手厚い補助金を農協組織を通じて付与してきた長い歴史がある。
そのことによって、村落の中で互いに助け合うという仕組みや精神が完全に廃れていき、実に自己中心的な考え方が大勢を占めている。

そのことによって、外部から、あるいは、これから新規に農業を始めようとする余所者は、田舎の古い因習に阻まれ、地域は老害ともいうべき年寄りに支配されており、
その農業者の子供たちまでもが農業と田舎を嫌う傾向が強く出ている。
これでは、国のとんちんかんな農業政策と相俟って、地域の老齢化と過疎化が、さらには無人化が進んでいる。

例えば、このようなことが多くの地方で発生している。
帰農した農業者であっても、新参者扱いされて、水田や畑に水を引こうとしても、
水利組合を支配している老人たちに阻まれ、常に後回しされて、水を引こうにも
中々、うまくいかずに、時期を逸してしまうことが多い。

私なども、畑に水やりをしようとして水路から水を汲もうとしたら、水利権を盾にして
地区の農業者達が押しかけてきて、水を使うなの大合唱となる。
彼らも国から井路管理のため、かなり多額な補助金をもらっている。そのお金は私たちが収めた税金なのだが・・・
一体この国はどうなってしまうのか、地域の疲弊をどこまで進むのか・・

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畑の一角で真っ赤に
色づき始めた
とうがらし。
秋が進むにつれて
さらに色づきを強める

毎年クリスマス時季に
なると畑の月桂樹(ローリエ
と一緒に皆様へお送りしている。
パスタや料理に活躍してくれることを願う。


最近になって、しばらく途絶えていた官公庁巡りを再開し始める。
地域活性化や新たな農人を育てるためには、煩わしくとも、彼らとも仲良くやらねばならない。国の農業支援の資金を管理しているわけだから・・


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八方手を尽くして、
研修生の後藤君の畑の確保ができた。
ようやっとまだ1.6反に過ぎないが・・
早速、土作りの一環として、試験的に
カリフラワーなどの小さな野菜の苗を植え込む
土壌は悪くはないが、戦力化してくるには
3年を待たねばならない。

げんきんなもので、自分の畑となると目の色が変わってきた。
土や野菜に愛情が足らないと言い続けてきたが、なるほど、自分のものだという
意識が農人を育てるのか、と気づく。まあ、悪いことではないか・・・

農業は、孤立していては、巨大流通の世界に埋没してしまう。
少なくとも営農グループ化を進め、農産物及びその加工品の種類や生産量を増やし、特定消費者層と組んでいかねばならない。
そのためには、「個」と「グループ」のバランスを常に考えていかねばならない。
それを纏めていくには、公平(何が公平かも含めて)さや公明さが求められ、古人の
言葉を借りれば、「正しく秤のごとく」である。

むかし、戦が絶えない時代のこと。
部落には、「結い」の制度や精神があり、戦に狩り出される農人達が傷つき・戦死した場合など、働き手を失った家族は、そして圃場は生きていけない。
そこで生み出された仕組みが「結い」の制度であった。
部落には長老がおり、その時代の長老は権威と威厳があり、おそらくは、心に「秤」
を養っていたのだろう。

「むかし野菜の邑」の真の意味は、この日本人が生み出した精神、「結い」の制度を
基本としている。
これからもその仕組みを試行錯誤しながら、作り上げていこうと考えている。
それを受け継ぐべき人材=地域の宝物達を今育てている。
この試みが成就することを願う。