農園日誌ー社会的存在価値ーPARTⅥ-先人達の叡智を学ぶ

29.4.19(水曜日)晴れ、最高温度20度、最低温度9度

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                  じゃがいもの土寄せ作業

 研修生二人の鍬打ちもようやく形が出来てきた。精度・払い方・スピードが揃ってくるには、二三年はかかるだろうが・・
先週の日曜日、10数畝あるじゃがいもの土寄せ作業を、一気に仕上げた。
農園では、今、玉葱の収穫・陰干し(軒下に吊るす)作業に追われている。
保冷庫が出来ることを見越して、例年の約3.5倍の玉葱を植え込んだものだから、
収穫量が半端ではない。
葉茎が枯れる前に収穫し、吊るさねばならない。いきなり保管する(保冷庫)と、みな腐ってしまうため、1~2カ月軒下に吊るして水分を飛ばしてから保冷にかける。

 それと、春野菜の植え込みや種蒔、・夏野菜の定植が同時にやってくる。また、この時季、小麦の除草(管理機により)作業とトウモロコシの種蒔き作業も重なる。
さらには、水稲の苗の仕立てねばならない。

4.30.「食の集い」に向けた準備作業(椅子机製作・庭作りや植栽)も同時並行している。正に猫の手も借りたいくらいに忙しい毎日を送っている。


社会的存在価値―PARTⅥ-先人達の叡智を学ぶ  
                                     
§Ⅳ.グループ営農(結いの仕組み作り)―後篇
 
 今から20数年以前、農村地域には青々と茂った稲が風にたなびき、秋になると黄金色に染まった稲穂が夕景に美しく、畑では、おばあちゃんが毎日草取りをし、端正に植え込まれた野菜が列植えにされていた。
 
今この日本の原風景が消えようとしている。
 
自分の今居る位置しか見ようとしない頑固なお年寄りも田んぼに出れなくなり、一生懸命に草取りをしていたおばあちゃんも畑から消えて、農業に未来を感じず、去っていく後継者達に戻っておいで!とは今更言えない。
 
農業は変わらなければいけない。
 
それでも、国はこれらの現実が見えていないか、若しくは、国家の基となる農業を、地域を捨てようとしているのか、はたまた、知恵が無いのか、規則・決まり・前例主義でしかものを考えない高級官僚たちにはビジョンが無く、政治家と同じで自己の保身と栄達に汲々としている。公僕と言う言葉は今や死語になっている。
ではどうすれ良いのか・・・と考えた。
 
稲作から果樹・野菜・花卉へ転換した専業農家の方も数は少ないが居る
その頂点に全国農協組織が君臨しており、巨大流通組織へと繋がっていく。
全国農協組織は、農家の立場には立っていない。肥大化した自己の組織と地位を守るために、ひたすら金儲けに邁進している。
農業部会の結成を促し、葱・苺・ニラ・大葉・アスパラなど、部会を通して農協への出荷が行われている。部会では農協以外への出荷はタブーとされ、それに違反すると部会から締め出され、販路が無くなってしまう。
 
そんな中、専業農家の農協離れも加速している。
数は少ないが、直販ルートなどの販路開発に乗り出した農家も居る。
農業グループを結成し、スーパーなどとの直接取引へ進んだり、農産物の卸業者と組んだり、流通組織への直接ルートに移行しているグループも出始めている。
それらの動きは概ね、量から質への転換を図っている。
国の農政(農協中心)は相も変わらず、量のみを追求しており、マーケットニーズの変化(量→質へ)を見ようともしていない。
かと言って、農協を解体してしまうと、それに代わる流通組織は今の処育っていない。
 
但、それでも、農家の消滅・集落の崩壊には歯止めがかからない。放置されていく田畑が圧倒的に増えてくる。

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むかし野菜の邑の新社屋建設も残すはレストハウスのみ。もうすぐ、足場が取れる。開発行為からまるっと一年を要した。
これから、ブルーベリーの生垣の植栽・小さな庭作り・李や桃などの果樹の植え込みと庭作り作業が待っている。全て農園スタッフによる手作りとなる



有機農産物の商品化・グループ営農を呼び掛けてみたものの、既存の農家の考え方を変えるにはあまりにも非力であり、実績も無い。(今では農家と言える農業者も数少ない)
先ずは自分からことを始めてみることにしようと、銀行を中途で辞めてから、農園を開いた。その時は、数年でかなりの規模にまで拡大できると考えていた。
実に甘い考え方であったことに気が付くのに、何年も要らなかった。
自然の厳しさ、気候変動の激しさ、野菜作りの難しさを肌で実感していった。
農園を開いてから10年が過ぎていた。
ようやく、数人の若者を何とか養えるだけの生産量と販路を確保できるのに、さらに5年を要した。
 
4人の有機農家と会社を興した。自然循環農業の後継者育成を一つの目的とした。()むかし野菜の邑と言う名称にした。現在は、若者も含めて8名の出資者が居る。
この共同出荷グループには、約15名の生産者及び若者達が所属している。
 
かれこれ、今から数十年前までは、部落総出で、田植えを行っていた。誰彼の田んぼにも拘わらず、東から西に順に苗が植えられていった。
この時代までは、「結いの仕組み」が確かに存在していた。
やがて、農業の近代化・機械化が進み、勿論国もそれを奨励し、農協を通じて補助金漬けの支援が行われてきた。その結果として、皆、高い農機具を買って独力でお米を作っている。その多くは兼業農家であるが、みな、補助金頼みの姿勢のまま。
今では、農業地帯でも、結いの仕組みは無くなり、部落は結束力を失っていった。

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     新築の加工場・出荷ヤードでの荷作り発送作業の風景
この日は50数人の個人と8件の飲食店への発送があり、10数種類の野菜を詰めている処。研修生も加わり、三レーンに分かれた。
早朝の収穫作業から、夕方19時になってようやく出荷作業完了となる。


むかし野菜の邑では、現在では消滅しているその「結い」の仕組みを復活させた。
ここでは、他人の圃場であっても、堆肥作り・畑作り・種蒔き・収穫・出荷作業・支柱立て・草刈り作業・等々の人手を要する作業は共同作業としている。
新しく建設した加工場では保冷保管・出荷作業・加工品製造・製粉作業なども共同で運営する。
このことにより、農業経験も無い・資金も無い・販路も無い・経営経験もない若者でも、農業に参加することが可能となり、グループにて独立の支援を行う仕組みを作っている。
只、農業に強い意欲を持ち、「結い」の仕組みを理解してもらうことが参加条件となる。
 
 野菜作りを15年行ってきた佐藤自然農園が中核となり、ここで育った若者達が二年間の研修を終え、自分の畑を持ち(放棄される農地を借り入れる)独立していく。
二年間に一反(300坪)のペースで畑を増やし、野菜畑が3反、穀物畑が3反でほぼ独立農園としての形を作る。
草木堆肥は皆で作るため、その堆肥場を中心として畑が広がることになる。
 
(卒業生達のモデル収支計画=目標数値)
野菜生産では、反当たり、年間2,500千円の出荷額が5年以内の目標となり、
三反で年間7,500千円。穀類で年間2,000千円の出荷額を目指す。
共同作業・共同出荷のため、その労働力及び収穫出荷作業に見合った割合で、むかし野菜に労賃(およそ40%)を納める。
従って、独立後の農園の実収は、9,500千円×60%=5,700千円となる。
これは国の定める(目標としている)独立農家標準実収5,000千円に相当する。
むかし野菜では、この40%部分をプールし、出荷作業や苗作りなどの運営費及び研修生達の労賃(生活費)を賄う。
尚、この収支(反当たり)は佐藤自然農園の実績をモデルにしている。
 
 この邑には、いつも子供の声が響いている。生きていくために必要なお米・小麦・大豆とうもろこしなどの穀類を生産し、味噌を作り、漬物を漬け、自然農の穀類を粉にし、子供達のおやつを作る。
野菜は有機商品として一年中生産販売しており、生活に必要なものは買える。農業で子供を育て、自給自足の心豊かな暮らしがこの邑にはあることになる。
                         

   
           
フローチャート : 代替処理: (株)むかし野菜の邑
○農園主達の共同運営
・共同出荷作業(販売)
・農産物加工(販売)        
・所属する農園の共同作業
・作付計画策定
・経営に関する事項は円卓テーブル方式で決定する。
 

 
 
 

          →                                                                
 
 
 
 
 
 
 
 
 
新社屋建設を契機にして、研修生及び卒業生を増やし、独立後(卒業)は、
卒業生達が、研修生の指導育成に当たる。
 
このむかし野菜グループの「結いの仕組み」は、新たに農業の世界に入ろうとしている若者達に、途を開いていくことになる。