農園日誌ー社会的存在価値ーPARTⅧ-先人達の叡智を学ぶ

29.4.12(水曜日)晴れ、最高温度17度、最低温度9度

イメージ 1
                        空豆の花

 一昨日、ジュルジュマルソーの小西シェフ一行が農園を訪れた。
4.30.「集い」の打ち合わせを行う。
マルソーグループが総勢15名来てくれるそうだ。
当日は、自然農の小麦で包み焼・キャベツのスープ・フレンチには拘らず、収穫した野菜の即興料理を披露してくれる。肉・魚介類・ワインも出るそうだ。

マルソーの料理の数々も楽しみだが、ひとあたり料理を食べた後、何といっても、
メインは、小西シェフと一番弟子による料理教室となり、小西ワンマンショーが開かれる。お店を休んでまで、来てくれることが嬉しい。

その他にも、仲間である県会議員さん達も何かと気にかけてくれており、多くの方々の協力で「食の集い」が開かれる。

尚、当日は九州朝日放送と地元のOBSテレビの二社も駆けつけてくれて、食の集いの趣旨を伝えてくれることになっている。

集いまですでに20日を切っており、最後の一棟(幼児のためのレストハウス)も急ピッチで建築を進めており、スタッフの工作班は机や椅子・テーブルなどの製作に余念がない。暖かさを求めて、手作りの木製とした。

イメージ 2

由布市狭間の穀物畑、何しろ2反と広いものだから、軽トラ4台で3往復して、堆肥を
振る。この後、とうもろこしの種を蒔く。(白餅とうもろこしなど純国産品種)
鳩の餌にならないようにしなければ・・・


社会的存在価値―PARTⅥ-先人達の叡智を学ぶ  
                                                       
§Ⅳ.グループ営農(結いの仕組み作り)―前編

農園を開く数年前、実験栽培を行っていたころの話。
銀行員の最後は、検査役で、全ての支店を回っていたころ、地方によく出ていた。
郡部の市町村の首長や助役に働きかけて、農業セミナーを開いていた。勿論ボランティアですが・・・
そのセミナーは二部構成になっていて、一部目は、「有機野菜の商品化」がテーマであった。
当時は、農業者(多くは60代)も地域に残っており、一市町村当たり、50余名が参加してくれていた。まだ農業への熱があったのですね。
セミナーは有機農業、特に草木堆肥の作り方・施肥方法・低窒素野菜の生育管理から、マーケティング・ターゲットとなる消費者層・販売方法・コミュニケーション手法・価格の付け方などなど、多岐に亘っていた。
 
黒板に向かって説明をしていると、鉛筆のさらさらと流れる音が心地よく、皆熱心に話を聞いてくれた。「先生!そこの処、もう一回、詳しく!」などと注文が入っていた。
 
二部目の話は、個々に分断した農業をやっていては、マーケットに対してあまりにも力が無く、有機農産物商品としては成立しない。有機農業が市民権を持つには、同じ農法の商品群が必要となる。同じ農法でグループを纏めていき、グループ営農を行わなければ、農業の真の独立は無い。

この話になると、鉛筆の音が急に途絶えた。
 
そういうことが何か所も続いていたが、とある町で、セミナーを終えて帰ろうとしていたら、何人かが個別に私にこう言った。「先生、私にだけ個別に指導を願えないだろうか」と、それ以来、私はこのセミナーを止めてしまった。
 
最近の話であるが、ある区長さんが、私にこう言った。
「若い頃、(恐らくは60代)地区で一つ二つの特産品を皆で作ろうではないか?と提案したら、区長や水利組合の年寄りから、何を言ってるんだと無視された。
そんな年寄りたちが80代後半になって力を失くし、私がようやく区長になった今(その方はすでに70歳中盤であろうが)同じ提案をしてみたが、今度は誰も見向きもしないし、周りには農業をやろうとしている者は居なくなっていた」と・・・
 
中山間地の故郷に帰ってきた人が、畑作りを始めようとして、井路から水を取ろうとした。
すると、地域のお年寄り(水利組合の幹事の一人)からこう言われた。畑には水は使えん。
それではと、田んぼに水を引こうとしたら、最近入ってきた人は、一番最後にしか使えんし、多分あんたの分は無いだろう、と。
水利組合に負担金を払っているにも拘らず・・
 
経験の無い若者が2年間、月一万円の賃料で湿田を耕し、畑作転換を図った。
彼の奥さんが私の処に訪ねて来て、一度畑を見てほしいとの依頼があった。
行ってみて、呆れた。
地元の人達からおよそ畑地には向かない湿田を振り当てられ、高い賃料で貸し出されている。(通常、一般的な農地は一反当たり、無料か、年間1~2万円程度の賃料)
 
こんな話は枚挙の暇がないくらい多く、地域農業の悲しい現実が垣間見えてくる。
 
政治や経営と同じで、農業を取り巻く環境には、古い慣習や既得権や老害と言った壁が立ちふさがっている。さらには、江戸時代の風習と変わらない農地法や農業委員会、農業者保護が目的であるが、別の意味では、農業者を土地に縛り付けていくこの法律が、皮肉なことに、新たに参入しようとする人の行く手を遮る。
勿論、国や政府(霞が関も含めて)はこの現実を知ろうともしない。
白々しい理想論しか聞こえてこない。
 
国は各種の補助金を農業(小規模)を志望する者へ拠出している。
二年間の研修期間の補助金、新規就農者への5年間の補助金、誠にありがたいことだが、お金も無い、経験も無い、能力も乏しい、販路も無い、高い機械器具も揃えられない、そんな若者達がどうしてこの厳しい農業の世界へ入ってこれるのだろうか?
 
また、政府は大規模化・法人化・集落共同営農などを政策として掲げている。
大規模・機械化と言っても、そんな広大な農地が何処にあるのだろう?農地法で守られた一反二反の小規模な圃場が分散してあるだけである。しかも、日本の農地は中山間地に多く広がっている。

法人化と言っても、自然に左右される農業にタイムカードは無理である。
そこに就職した若者達の離職率は極めて高い。夢を失くして去っていくのだろう。

自分のことしか考えられない、あるいは、考えようとしない年寄りが支配する地域に集落共同営農など、夢物語に過ぎない。後継者となるべき子供達は生活もできない農業から、皆去っていく。
 
一方では、農業者(兼業も含めて)の高齢化により、農業を続けられなくなった田や畑が増え続けており、放置される農地がここ5年以内に大量に出てくる。農業者の平均年齢は、今や75歳を超えようとしている。可笑しなことに、政府発表では65歳となってはいるが・・・
 
正しく八方ふさがりの日本の農業。

イメージ 3
              エンドウ豆に手をやっているところ
      枝の付いた竹を刺しこみ、その間に竹の支柱を立て、全体で支えるようにする。

但、こうも言える。
余所者や新しい考え方を排斥してきた老害者たちは、すでに80歳を超え始めており、徐々に力を失くしつつある。
後継者を失くした農地が無数に放置され始めようとしている。
志を持って農業の世界に入ってくる若者達がいるとしたら、今がチャンスではある。
古代中国の偉大な商人であった白圭はこう言っていた。「皆が捨てるもの(農業)を拾い、皆が欲しがるところ(安全なを求める)へ売ることが商売(事業)である」と・・・
 
 
後編では、農業を取り巻く厳しい現実の一方で、むかし野菜の邑が試みようとしている農業の、そして、地域の再生へ向けた「結い」の仕組みについてお話をしましょう。