農園日誌ーこの国の行方ーPARTⅥ(ネットワーク)

29.1.11(水曜日)曇り後晴れ、最高温度11度、最低温度4度

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              今年の蠟梅はやや早く花が咲いた

 今週から今年、最初の出荷が始まった。
今年は、加工場・出荷基地・レストハウスが完成する。
(株)むかし野菜の邑を設立してから、二か年が過ぎ、グループも今までのように、
地に伏して力を養う段階は終わり、少なくともマーケットに出ていくためのスタートを切ろうとしている。
この一年間は、穀類生産のハウツウを重ね、野菜や穀類の加工食品の試作に入り
テスト販売も開始する。
ありがたいことに、200余名の価値観を共有できるお客様達(仲間と呼んでいる)が目の前にいる。それが心強い。
若いスタッフも育ち始め、研修生達を教えている。
「結いの仕組み」も形が徐々に整いつつある。
今年からは、平野さんを先生として深水管理による自然農のお米生産を若いスタッフ達は学ぶことにしている。

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お正月元旦

子供三人、孫9人
おせち料理を持寄り
全員集合。
にぎやかなこと、この上ない。夜9時、嵐が過ぎ去り、二人だけの静かな正月に戻る。
孫の成長とともに、歳を取る。
この子達の未来が明るいことをただ祈る。

思えば、研修生達もやがて結婚して一家を建てる。子供を授かり、また家族が増える
グループ営農のため、みなファミリーとなる。さらに賑やかなお正月となるだろう。

―この国の行方―PARTⅥ 地域復興への新たなる試み
(ネットワーク作り)
 
 偶々前職が銀行員であり、特に企業再生の第一線に立って居た。そこは、様々な人の欲が交錯する場でもあった。物欲・金銭欲・権勢欲・出世欲と人間の欲にはきりがない。
嫉妬や妬みが支配欲を生み出し、裏切り離合集散を繰り返し、人が纏まることを知らない。
そんな世界で、自分を裏切らず生き抜いてきたことが、いまでも奇跡に近いし、唯一誇れることであったのかもしれない。
企業の栄華盛衰を随分と見てきた。資本は国家を超えて、自ら増殖へと向かっている。
富は偏り、階級社会を迎えつつある。そんな中、民の意思は民族主義に移ろうとしている。それは資本主義の末期に移ろうとしているようにも見える。

 一社繁栄の時代は終わったのではないか、そんな思いもあって実りも無く、終わりも無い戦いの場に疲れてきたのかもしれないが、定年一歩前の54歳でようやく中途退職し、農業の世界へ足を踏み出す。
退職する10年前頃から、何となく「有機野菜の商品化によって、地域が纏まり活性化が進まないかな」といった思いは強くあったのだろう。30坪ほどの畑を借り、様々な有機農法を試してはいた。
 
(結いの仕組み作り)
かって、日本の農村にはどこにでもあった結いの仕組み。
共同で田植えをし、稲の刈り取りを行う。部落には長老達が居て、皆の纏めを行う。
現在では、各戸にトラクター・コンバインなどが備わり、除草剤・農薬・化学肥料により、農業の近代化・機械化・効率化・省力化が進み、徐々に結いの仕組みは消えていった。
同時に、労力のかかる雑穀生産や野菜作りなどの畑作は、見られなくなっていった。 
 
有機野菜や自然農を中心にした高集約型(手作業の多い畑作)農業は労力の塊となる。
また、孤立する個々の農業では巨大流通(農協や大型スーパー)に対抗することはできない。
自然循環農業と多種多様な農業を未来へと繋いでいくためには、グループ化が必要となってくる。そこで、現在版、結いの仕組み作りに着手した。
 
 先ずは、食の安全・自然循環農業などの価値観を同じくする生産者達の小さなグループ作りから始めた。
草や葉っぱを主体とした自然循環農法の野菜生産を中核として、深水農法による自然農のお米と無農薬無肥料の梨の生産者・肉厚ジューシーな香高い露天原木椎茸の生産者・無農薬栽培のさつまいもと栗の生産者・草木堆肥によるパープルアスパラの生産者などが集まり、共同出荷を始めた。

 やがて、農業を知らない若い農人候補生達が集まり始め、自主独立へ向けて共同作業を始める。彼らは、既存農業の形を知らないため、おそらくは、世界にも例の無い共同作業・共同出荷・共同加工の仕組み(新たな結いの仕組み)に順応してくる。
 
このグループを育てるために、()むかし野菜の邑を設立した。
新社屋建設の段階で、生産者の主役はやがて若い後継者達へと移っていく。
農園主は、今まで培った経験や技術、さらには、会社で身に付けてきた知識や体験の全てを彼らに伝えようとしている。
                                         
 お客様(消費者)は全て農園直の定期購入の方(二百数十名)ばかり。多くは、ネット及び口コミで広がった方。その他には飲食店が10軒余り。
消費者へは、自分が望んでいない野菜や加工品が届けられる。それでも、ほとんど全ての方は、旬菜として、受け容れていただいている。
広い意味では、生産者グループと消費者グループの集まり、つまりは、農園の仲間達ということになる。
これが生産者と消費者との一つの輪(ネットワーク)を形成していくことになる。(欧州型のオーガニック野菜と同じ形態となっている)

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今日の二番の畑の
風景
遠くに見えるのは
おさるさんの高崎山
空気が澄んで、日差し
がさすと暖かい。

トンネルの中の草取りを研修生達と行う。
日が落ちると、急に寒さが募る。
週末は氷点下の予報。
それまではトンネルを
剥ぐり、寒に当てる。

(新たな流通の仕組み)
 
 大都市では現在マルシェ(都市型バザール)が流行ってきている。
まだまだ、スポット的・イベント的な形ではあるが、市場(いちば)は新鮮で安全で美味しい農産物売り場として、都市の消費者に受け入れられつつある。
また、女性が多く集まるリサイクルショップや飲食店などにも、特定農産物が集積し易い環境が整っている。
既存の流通の形を取らず、もっと自由な発想で動き出そうとしているようにも見える。(まだ、日本の食品安全法や流通の様々な特権・規制により抑制されてはいるが・・)
 
 四か月前、東京から二人の若者が来訪する。
東京にて数か所のマルシェに参加している会社であるとのこと、今流行りの若者たちの起業である。話してみると、やや不明瞭なところもあったが、「私達は有機JAS野菜には全くと言って拘ってはいない。真に安全で美味しい野菜を求めている。しっかりとそれを求めている都会地の消費者に伝えていきたい」と熱く答える。
今では、その会社の看板農産物として、むかし野菜が東京で名を売り始めている。
その間、マーケティングのこと、コミニュケーションのこと、商品説明のトークなど、レクチャーを重ね、東京でのむかし野菜の販売基地として、スタートを切った。
今後は自然農原料による加工品(餅・味噌・漬物・粉類・万頭等)も加わる。
様々な圧力や既成権益の壁に屈せず、新たなマーケットを創り出してくれることを期待している。