農園日誌ー農園は厳冬期に突入する。

28.1.13(水曜日)曇り、最高温度9度、最低温度3度

イメージ 1
                  今年も蠟梅の花が咲く

春の先駆けとして、透明な黄色の花を咲かせる蠟梅。
この花は亡き母の好きな花であり、毎年庭に咲いていた。
胃癌で亡くなったのだが、術後の(失敗手術)経過が悪く持ち直さないまま他界し、
後悔の念が未だに残る。この花を見ていると切なくなるが、寒風にもめげず、凛として咲く姿が好きだ。
母が無くなった時は、未だこの自然循環農法のみならず農業もまだしてはいない。
もし、あの時、このむかし野菜があったなら、決して手術はさせなかっただろうし、若しかして、癌などに侵されることもなかったのではないか、と・・
この花を見ているとそのような思いがよぎる。

今年は半月も早く満開を迎えている。やはり暖冬のせいだろう。
前回のブログにて、暖冬の話をした途端、急に寒波が襲来してきた。
とは言っても、平年並みの寒さであり、ようやく農園にも冬が来たという感じだが・・
野菜が美味しくなるのではないか、とも思うが、野菜が成長しないだろうなとの思い
が交錯して不思議な気分になってしまう。

イメージ 2

冬が来た!というので、慌ててトンネルを増やす。これでいつもの冬の風景となる
しばらくは種蒔きもできず、土仕事はせずに、草取りや剪定枝の破砕作業に追われる毎日となる。
最大のエルニーニョであっても、やはり冬は寒くなければ、冬野菜は美味しくはならないし、野菜の成長もいびつになる。
トンネルの中では、種を蒔き発芽したばかりの野菜達は織布で覆われ、その上に
トンネルが張られ、防寒対策が取られる。

ある程度太ってくると織布は取り除かれ、寒に耐えながら成長していく。
この剥ぎ時が実に難しい。スタッフから何時剥げばよいのか?との質問に、
野菜に聞いてみなさいと答えるしかない。
常時寒いのであれば、さほど剥ぎ時を気にしなくて良いのだが、最高温度が13度を上回り、太陽が顔を出すことが多い際は、実に小まめに剥いだり閉じたりを繰り返さねばならなくなる。当然に織布は撤去する。

農業とは失敗を繰り返し、野菜とお話ができるようになって初めて一人前となる。
それからも同じ気候はなく、これで完璧に覚えたと言うことは決して無い。
三人の男の農人(研修生から農人の卵になったばかり)達は、これから5年、10年と実践と工夫を積んで真の筋金入りの農人となっていく。
これからは、私から教わるのではなく、自然の営みから学ぶことになる。

イメージ 3
トンネルの中を覗いてみよう。

これはサラダセットの
畝。
一部は除草済だが、野菜も成長すれば当然に雑草も成長する
トンネルを剥ぐっては
除草の繰り返しの
季節となる。




これからは凍結し仮死状態、日中に復活する、の繰り返しのドラマがこの中では繰り返されることになる。復活できない野菜は溶けるように落ちていく。

厳冬期の野菜を9~11月に種を蒔き、仕込んでいった筈が、暖冬の影響で早めに出荷時期を迎えてしまい、去年の暮れにかけていつになく多めの野菜を届けた。
その反作用がこれから起こる厳冬期の野菜不足になっていく。
その気候を読んで12月に種を蒔いてきたのだが、トンネルの中の野菜達が無事に
育ってくれることを祈るしかない。
農園(農人)は自然と共に生きる。二百数十名の農園の仲間達も農園直に野菜を取っている限り、同じことが言えるのだが、果たしてどれだけの方たちがこの自然の営みを理解して頂けているのだろうか?
その思いを込めて農園日誌を書き続けているのだが・・・

イメージ 4

孫たちと一緒に種を
蒔いた麦畑。

やはりかなりなバラツキがある。
頑張ってくれたので、
お手伝いの駄賃を
渡し、頑張ったらちゃんとご褒美があることを
知った子供たちの
笑顔が輝いていた。


その笑顔に免じて止む無しということに・・
その後、ジージ、今度は何時あるの?の問いに、?・・・。この労働を分かって言っているのか、はたまた、お金が欲しいからなのか?定かではない。
子供の笑顔の方を信じたい!

昨日、新たな生産加工基地建設のために、大分市の開発指導課に行き、開発許可の申請を行う。さらに大分県の指定農業研修施設になるために農業振興局を訪ねる。暮れから年初めにかけて官公庁回りに忙しい。

いずれも次世代の農業後継者育成のためであり、合わせて新規就農用の農地も探す。
そうした中、とある青年が農園に訪れてきた。
教員をしていて、25歳とのこと。
聞くと、教育の世界に入ってみたものの、そこにあるのは、自分の思いとは異なり、
荒れた教室、ご都合主義で成果のみ求める教育委員会の圧力、教育とは離れた
家庭の都合を押し付けてくるPTAの姿などに疲れ切っている様子。
一人農業の難しさや自立への難しさを説き、ここでは結いの仕組みとなるクループ営農を目指しており、皆で支えあって行く農業の考え方を諭すも、本当に農業を
やりたいのかさえ、分からない。

彼が一言、呟く。やはり海外へ行くしかないのか?と・・・

このように伝えた。貴方は甘えているんだな。海外協力隊のことだとは思うが、
自己を犠牲にして徹底的にボランティアに捧げるだけの勇気と思いもなく、行く海外協力隊では、結局は現実から逃避して、只、海外旅行をしてみたいだけではないのかな!と。

本気で農業に取り組みたいと願っている若者はいるのだろうか?とふと不安が
よぎる。先の道のりの遠さが思い知らされる。