27.10.7(水曜日)晴れ、最高温度24度、最低温度17度
青紫蘇に花が咲いた
季節は進み、早くも中秋。これから、一日一日、日が短くなっていく。
今日などは、早朝の収穫にジャンバーを羽織らないと寒いほど、気温が急速に下がってきた。
秋野菜の畑作りに忙しい日々が続き、早く種を蒔かないと成長が止まってしまう。
夏野菜に占拠された畑が空かないと気ばかり焦る毎日。
ここは諏蛾守峠、下のほうから登ってきて、山人が一息付く処。
今まで一人で頑張ってきた「かける」(5歳になったばかり)が最後の峠で足が止まり
一歩も動かなくなる。それでも抱っことは言わない。
「よく頑張ったな!おいで、ジージが抱っこしてやる。偉かったぞ。」
最後のきつい登りは抱っこされて元気になったのか、それとも少し恥じたのか、
饒舌になる。
こちらは66歳、息が乱れ、さすがに登り終わった時には足に来ていた。
峠でみんな一緒に
記念撮影。
あれ!一人足らない。
小学校1年生~3年生はさすがに慣れているのか、慣れさせたのか
もう立派な山男、
山ガール。
意地っ張りの「はな」もよく頑張った。
後は長い下りのみ。
大事にしてきた杖が折られてしまい、ふてくされる「かおる」
難しい年頃。
カメラで追い回すがしばらく
鬼ごっこが続き、結局撮れた
写真がこれ。
ともかくも記念撮影を終える。
峠のシンボルである石作りの
避難小屋にて。
長い長い山登りが終わり、日暮れが近い。山肌に残光が眩しい。
みんなは先に行ってしまい、残された「かける」とその母親、そしてジージ。
しばらく抱っこして降りていたが、甘え心が出たのか、「あーちゃんがいい!」と時折、
抱っこを交代してひたすら降りる。
降りきったら、午後6時半を回っていた。
帰りの車ではみな、曝睡。
温泉に浸かり、ソフトクリームと焼き肉を食べて、それぞれの帰途につく。
みんなで山登りはこれでおそらく8回目くらい。
その度に子供達は精神的に大人になり、強くなり、自立心を養うことになる。
そしてみんなで助け合い、COMの精神を学ぶ。今の社会に最も欠けていること。
子供たちはまっすぐに育っている自然児ばかり。
強くならないと、他人と異なる子供は(大人も同じ)つまはじきにされやすい。
そんな親心から毎年2回は登ることにしている。ジージもいつまで登れることか!
(農業の未来へ向けてー序章)
農業白書を数冊読み込み、やはりこれしかない、という考えに至ったのがその理由。
戦後の食糧難から、量の確保を命題として、そして、農業の近代化(アメリカ式農業しか見えていない)を推進する国の農業政策。
食糧(特に穀類)の内外価格差が8~10倍に達しており、狭い国土と農地には
元々、無理のある量的拡大の政策を推進してきた結果、農業の、あるいは、地域の
今がある。
それならと、量ではなく、質を追求した農産物作りによる「有機農産物の商品化」を
テーマとして掲げ、「安全で栄養価の高い、美味しい野菜作り」と「グループ営農」を
両輪とした一つのコミュニティ作りを考えた。
を題として、地域の農業者を集め、セミナーを開く。
かなりな盛り上がりを見せた。手ごたえを感じていたところ、ある時、気が付いた。
有機農業(むしろ本来のと言うべきかな)の生産方法を説明している際は、場内から鉛筆が走る音が聞こえてくるが(それは熱心に)、集団営農の話になると、ぱたっと
止み、無音になる。
さらに帰り際に、そっと農人が寄り添ってきて、私だけにもっとノウハウを訓えてほしいとねだる。
それ以来、農業セミナーは止めた。
これが今の農業者の考え方かと、戦後の国の農業政策の歪を垣間見た気がした。
同時に社会の、村落のつながりの希薄さが進み、かって、世界に誇れる共同体でもある部落の「ゆい」の精神が遠くに去って行っている現実の寒々しさを感じる。
太陽が斜めに傾いた
夕暮れ時、
じゃがいもの清楚な
花の美しさが際立つ
思わずカメラを向ける
花が枯れてから10日
程度でジャガイモの
収穫が始まる。
多くの秋野菜の収獲時季はやはり10月の中旬ころになってしまう。
それから自らが農園を開き、一人農業を始める。
早、13年目の秋、(実験農園からは通算で24年を経過)思えば色々と紆余曲折があったようにも思えるが、現在は研修生(来年には何とか独立し、むかし野菜の邑グループを形成する)も含めて、農園スタッフ8名となり、レストランを含めると北海道から石垣島まで、240余名の仲間たち(お客様)に囲まれている。他には、7軒の同行の仲間達が居る。
今は、当初思い描いた有機農産物の商品化とグループ化の緒に就いたばかり。
これからがスタートになる。気が付けば66歳という引退に近い齢を重ねていた。
→次回へと続く。