農園日誌ーみんなで山登りーむかし野菜への思いPARTⅤ

27.9.30(水曜日)曇り時折雨、最高温度25度、最低温度19度

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                    久住山、坊がつる
久住山系に囲まれた台地に川が流れている。硫黄を含んでいるため飲めないが、
山のふもとから約800メートル登ったところに広大な台地が拡がる。

イメージ 2画面左上の木道から登り、
雨ケ池を経て、今度は下りに入り、防ガツルを横目に見ながら法華院温泉に至る。
下ったら、必ず登らねばならないのが山と言うもの。
その厳しさに子供達は
未だ気が付いていない。
帰りは法華院温泉から絶壁とも思われる急斜面をよじ登り諏蛾守越、硫黄山を経て、
タデ湿原(木道)に戻る。

イメージ 3雨ガ池にてお弁当を食べて
元気が出てきたのか、
下りを快調に飛ばす。

また、「かける」がお姉ちゃんと一緒に先頭を行く。

「はな」はまだ5歳なのに、
常に一定のペースを守り
道を選びながら、進む。
意地っ張りの女の子。
やはり母親の血は争えない

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下り終えたらそこは一面の
平原、山男がこよなく愛する防ガツルの台地。
温泉が湧き出ており、
疲れた山人が体を休める。
かなり大規模な宿泊施設
を供えている。
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「はな」が突然にべそをかきだした。
どうやら仲の良いお兄ちゃんから冷たくされたようだ。
今回は父親はお仕事で同伴しておらず、張り詰めていた緊張感が緩んだのかな。
肩を抱いてやる。「頑張ってるな!えらいぞ!はなはジージの誇りだ」と・・

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法華院を出発し、急峻な諏蛾守峠。
またもや最後尾になってしまった「かける」
この小さな体で自分の背丈ほどもある岩場を一所懸命に登っている。
手を出さず、後ろから見守る
最後尾に付いていたため、
道を間違えたようで追いついてみると、滝のように水が落ちる沢に突入してしまっている。

それこそ子供を抱きかかえて降りる決死の脱出劇が・・

そんなこんなで、ようやく峠を越えて、山の黄昏時を迎え、砂の平原に達する。
午後4時半を回る。もう一山越えて、子供の足では下りに約一時間を要する。
前方には硫黄山の煙が立ち昇る。

→次回へと続く。

(むかし野菜への思いー農業の未来を懸けて)

日本の農業、そして、農業でしか活きる術を待たない広大な中山間地を抱える地域の未来は?
銀行を中途で退職し、この望遠なテーマを人生の最後に掲げて有機農業に取り組み始めて、気が付けば、早、14年が経過した。
農業白書を3年分通読し、如何に国が無為無策に過ごしてきたか?農業保護を掲げて農業者の自活する意欲を奪い、アメリカ型の大規模農業・近代化政策を推進した結果が地域の荒廃を招いている。

広大な山間地を抱える日本の風土に、何処に大規模農業の余地があるのか?
里山の豊かな山林・野原から無尽蔵に供給されてきた草木を使った自然循環農業
そして、大規模農業=粗放農業=単作栽培と対局にある小規模・多品種・高集約型
農業しかできない。
収奪組織となってしまった経済連を抱える全国農協や巨大な流通組織に頼った
販売システムでは、画一化した農産物(みてくれ・規格サイズ)しかできないし、
単作栽培しかできない。これでは、直接お客様と向き合うこともできない。
何より、致し方の無いことではあるが、流通システムの中に消えていく農産物価格は、わずかしか農人の手元に残らない収入では、若者達も農業に取り組もうとする意欲は無くなる。
さらには栄養価に富んだ美味しく安全な「良質な野菜」を作ろうとしても、流通マーケットからは何の評価も、お金も得られない。

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二番の畑の初秋の風景

この畑は、農園を開く前から
土作りをしてきた。
すでに、草木堆肥歴15年
を越えている。

田んぼを畑に変えたため、
一番苦労させられた。
今ではお客様が来られると
案内するが、バウンドしますね。凄い!と・・・

良質な野菜作りと消費者と向き合う直接販売を始めたが、思えば、既存流通が作り上げた野菜の価値観との闘いであったように思う。
「こんな不揃いでいびつなものを」・「何時収穫したんですか」・「中が腐っています」・「こんなに虫が食っているのに」・「何でこんなに高いんですか」・・・
その度に、作り方や安全性や栄養価のことなどを個々にお伝えしてきた。

お客様(仲間達)が120人を超した頃から、ホームページを作り、毎週、毎週、農園日誌や今週の野菜及び催事等などの三つのブログを立上げ、自分なりに啓発活動を根気よく続けてきた結果、その評価は一変し始めた。
箱を開けた途端に「まあきれい!自然な美しさが・・こんな野菜を探していました」
子供さんから「私が帰るまで箱を開けないで」・・楽しみにしてくれている。
「私、急に料理がうまくなったようで、包丁の入りが違うんです」
「こんなに安くて良いのですか?うれしいですけど」・・作り手の労苦を評価頂く。
「私、悔しいんです。今までどおり一生懸命に手を尽くして調理したんですが、一向に食べてくれないので、塩胡椒とオリーブオイルでさっと炒めただけなのに夫から子供までもあっという間に完食するんですよ」・・・・

農人と消費者は対面ではなく、共有するんですね。それが本当のお客様と向き合うことであり、「これはどうだ!」と強要(売り込む)するより。むかし野菜を伝える努力をし続けることなんだと実感している。

有機農業を始めてから14年目を向かえ、自分の老いを自覚し始めている。
今の三人の研修生を育て、次に伝え、さらにその次の世代を考えている。
次回からは、「次に伝え、残していく」ことについて、語っていきます。