農園日誌ー台風一過ー自然農について

27.8.26(水曜日)曇り、最高温度30度、最低温度23度

イメージ 1
     台風15号の強風により吹き倒された胡瓜・ゴーヤ・トマトの棚

最大瞬間風速60メートル、かなり凶暴な奴でした。大分は最大瞬間風速は35メートルだったそうだ。連日の台風対策により、茄子・ピーマン系は背が低く、誘引作業を頑張ったため、比較的被害が軽微で済んだものの、背の高い棚(胡瓜・トマト・ゴーヤ)などはほとんど倒されてしまった。
前日は復旧作業に追われ、その半分程度は何とか引き起こし、野菜の回復を待つしかない。この後、一週間で補修作業を行う。
しばらくは風で痛めつけられた夏野菜の頑張りに期待するしかない。
今回は進行方向の右側ということで全滅を覚悟していたが、奇跡的な軽微な被害に、祈りが通じたのか、必死の頑張りに微笑んでくれた自然の神様に感謝、感謝。
正直、疲れましたが・・・

それでも秋野菜の植え付け・種蒔きは待ってくれない。今日は小松菜・サラダセット
の第一陣の種を蒔く。明日はほうれん草・じゃがいも・島らっきょ・わけぎ・エシャレットなどの植え込み作業を行う。

イメージ 2台風襲来の前日の風景
(三番の畑)

きれいに整然と剪定誘引作業を終えた畑は美しい。
全滅した時のために撮って
いた。
様々な緑色の葉が並び、
夕方一日の仕事を終えて
しばし、とどまり、静然とした畑を眺める。


(自然農という概念)

日本の農業は、戦後、化学肥料と農薬の普及により大きく転換していった。
それまでは、わずかな畜糞と草木により、堆肥(元肥え)を作り、土を耕し、肥料として人糞をこならせてから畑に撒く。(窒素分の補給ですね)
これを有機農業と言って良いのか、定かではない。

今から120年前、硫安(窒素肥料)が使われ始めてはいたが、戦後の食糧増産を目指して、劇的に変わり、化学肥料・農薬全盛期が到来した。
その頃、ヨーロッパでは緑色の血液を持つ子供が現れ、大騒ぎになり、化学肥料・農薬の近代農業に対して警鐘がならされ、戦前の日本の農業を手本にして、オーガニック農業と言われる農法が現れた。

その農法が今度は逆輸入されてヨーロッパに遅れて日本でも有機農業として試みる
人が現れ、近代農業全盛期において、農業者からは奇人変人として阻害され、村八分にされることも多かった時代を経て、国の有機JAS規程が定められた。
その規程では、有機物さえ使用すれば、化学合成しない農薬を使用すれば、有機野菜と認める(但し、民間の審査機関の認定を得なければならない)となっている。
一度認定されれば、後は定期的な報告を行えば良いとされている。
そのため、事実上、農業者の善意(?)に任されているのと同じになる。これも問題ではあるが、さらに課題が大きいのは、その有機物のほとんどが畜糞となっており、(米糠・油粕もある)大量に投下するため、大概は窒素過多の土壌となる。
しかもさらに問題とされたのが、畜糞に(飼料)含まれる化学物質や抗生物質などの大量の薬品である。

この課題に対して、現れた農法が、自然農と言う概念である。
持ち込まない・持ち出さないがその中心的な概念であり、雑草により畑は覆われ、
強い野菜のみが食糧となる。雑草の根が土を掘り起こし、枯れた草が有機物残渣と
なり、窒素分やミネラル分を土壌に還元してくれるので、他から有機物を持ち込むことは必要なくなる。
むしろ、畑に持ち込む畜糞や米糠・油粕などは、虫の大量発生を引き起こし、農薬などが必要となってしまう。この自然農法を維持継続していけば、虫も居なくなる。
即ち、自然の摂理に任せて野菜を育てることが自然の理に適っている。
これが自然農の概略と思われる。

イメージ 3ミニパプリカ

露地栽培で育った野菜は
自然な光沢があり、実に
艶やか。

このミニ品種は確かにかわいいが、収穫は実に大変。
おそらくは料理も手間が
かかるのではないかと
危惧している。


現在、健康志向や食に対する不安から、「無農薬野菜」を求めて様々なところから
野菜を求めようとする動きが活発になってきている。
但、極く最近では、あまりにもきれいな有機野菜に、畜糞の多投に対して、疑問を抱き始め、今、最もトレンディなのが、自然農野菜である。
有機野菜と言う概念には、私も以前から疑問を持ち、特に国の定める有機JAS法には最初から反対ではある。
少しでも野菜を育てたことのある方はお気付きでしょうが、特に日本の高温多湿の風土で害虫に食べつくされていく自分が大切に育てた野菜を目のあたりにして、
愕然とした方も多いかと思います。特に最近の気候変動は異常なほど。

そんなきれいな有機野菜について、有機農家もお客様から無邪気に農薬を使っていないのですね?との質問に、
「はい、まったく使用しておりません」と答えざるを得ない苦しさは農家としての善意を激しく揺さぶられることでしょう。

有機野菜に接してみて違和感や懐疑心を持たれた賢明な消費者達は、新たな安心・安全な野菜の概念を求め始め、それならと、害虫(土にはそのさなぎさえ居ない)が発生しない、畜糞は使用しない、より安全安心と主張されている自然農野菜へと関心が移って行く。このようにして関東方面では有機野菜離れが進み、自然農野菜がもてはやされ始めている。

ここで自然農野菜の説明に対して、大きな疑問が生じてくる。もっともこれは消費者側ではなく、野菜を実際に現場で育てている人たちからですが・・・
それではその害虫のさなぎはどこに行ってしまったのでしょうか。都合よく自然農をしている畑には棲み付かないのでしょうか?畜糞や米糠・油粕などを使用している畑に虫達が集中して(それこそそれらの農家は極端に少ないのですが)おり、自然農を永く続けている畑には虫が生息しなくなるのでしょうか?
腐葉土に溢れ、自然循環が行われている野山に小動物・虫・微生物・放線菌達の
生命のドラマが繰り広げられている。それこそが自然界の摂理である。
そうなると自然農の概念は自然循環の仕組みを根底から覆すことになります。

さらに、野菜が育つのに最も必要な養分の一つに窒素があります。
窒素は空気中に含まれ、窒素固定化植物と言うより、根粒菌ですね。
根粒菌は野菜の根に取り付き、空気中の窒素を吸収し、野菜の成長に必要な窒素を取り込んでくれます。但し、その野菜は成長は遅く、全ての野菜が根粒菌と同居できるわけでもありません。やはり、最低限の窒素分は土壌には必要です。
さらに言うと、窒素だけではなく燐酸やカリなどのミネラル分も必要となりますね。

自然農の最大の欠点はこのミネラル分の欠乏です。
同じ圃場で野菜を育てていくと、何年も経過すると陥るのがこのミネラル欠乏症です。「持ち出さない・持ち込まない」は良いのですが、野菜は持ち出しており、確実に
ミネラル分はその圃場から失われていきます。
そのため、自然農の野菜は透明感のある味はしますが、極端に少ない窒素土壌によりデンプン質やタンパク質や脂質は少なく、完熟してもデンプン質が少ないため、
糖質やビタミンへの分子変換が進みません。
(完熟すると野菜の中に蓄えられたデンプン質が糖質やビタミンに転換される)
ミネラルも少なくなり、当然に味香りは薄くなります。そうであれば、栄養価の面では疑問符が付いてしまいます。

イメージ 4蕪類を蒔いた三番の畑
(白い織布をかけている)
これから畑は夏野菜と秋
野菜の混成した風景が
11月まで続くことになる。

晩秋の夏野菜は収量も落ち
実の成長も遅い。
但、その味はさらに濃くなり
見てくれは落ち、逆に食味は増す。夏野菜の撤去時季は
いつも農園主の悩みの種。

自然農では野菜の収量は極端に減り、そのため、農家が継続していくためには、
野菜の単価を大幅に引き上げねばなりません。少なくとも2~3倍になります。
しかもこの気候変動の中ではさらに収量は実に不安定で、まったく収穫なしということも少なくありません。その極めて高い労力とリスクを一体誰が払うのでしょうか?
自然農の最大の課題点は実はここにあります。

それではと、時代を最初に戻します。

日本人の叡智が作り上げた農業の世界、それは今から遡ること120年前の農業に戻ってしまいます。里山などから持ち出した草木とわずかな家畜から得た畜糞により草木堆肥を作り、追肥として貴重な人糞を施し、それこそ手間を掛けて高集約農業を行っていた時代に戻ります。
現在言われている自然農の農法や概念はむかしの日本にも無かったのですね。
日本人が営々と築き上げてきた農法は果たして今の有機農業なのか、はたまた、
自然農なのか?それは貴方自身が考え、判断することです。
但し、確実に言えることは、永い永い歴史のある農法は、実績の積み上げですから
重みがあり、真実があるように思えてならないのです。
それは、現在では、ほとんどその事例を見かけなくなってしまった農法で育てられたむかし野菜と自称している野菜が物語っているとしか私は言えません。

賢明なる消費者(仲間達)の方へ、

                               佐藤自然農園、農園主より、