農園日誌ー春の兆し

26.1.14(火曜日)晴れ時々曇り、最高温度9度、最低温度2度
 
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梅の花が遠慮しながら咲き始めている。春の訪れを誘う花。
今年は厳寒になるとの予想だったが、農園は今の処、氷点下3度にはならず、
比較的穏やかな天候が続いている。とは言っても、野菜の成長は遅く、春が待ち
遠しい。
 
農園では、高菜の漬け込み、味噌作り、お餅付きなど、冬の行事が続いている。
育苗ハウスには、トレイの中に春野菜の種蒔きを行い、電熱器を入れて発芽を
促す。
畑は一面のビニールトンネルに覆われ、小さな命が育っている。
 
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ほとんど毎日、ビニールを剥
ぐり、野菜の成長を確認する
 
現在は、成長に応じて5段階の葉野菜・蕪などが育っている。
 
今日も6段階目の青梗菜・蕪
小松菜などの種蒔きを行う。
 
まるで子供の成長を確認する
かのような日常。
 
出荷は一段階目の野菜となる
この種蒔き作業を繰り返す。
 
 
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時折、お日様一杯の暖かい日
や冬の貴重な雨の日には、
トンネルを全開にして、自然の
やさしさや厳しさを教えてやる
そうすることによって、寒暖の
差で、野菜は美味しくなる。
 
今ではどこでも見られなくなっ
露地栽培だけの白い世界が
ここにはある。
なにしろ、ハウス栽培全盛の
時代である。
 
 
 
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先日、研修生達を連れ、
田北農園の椎茸の圃場を
見せに行った。
約1500坪の圃場は新木に
変わり、肉厚で質の良さを
感じさせる椎茸やなめこ
芽吹いていた。
 
田北さんも頑張ったようだ。
誇らしげな目がそれを物語って
いた。
 
 
 
天候に左右される安定供給できない露天栽培の欠点をホダ木を増やすことで補っ
ている。以前、チームでむかし野菜の供給をすることの責任を説いたことが、今、
良い形で現れてきたのか?彼もむかし野菜の邑の一員としての自覚が出てきた
ことがなによりうれしい。
 
昨日、その田北さんから、ぽつっと、グループ営農の話が出た。
彼の住む集落でも、山間地農業の厳しい現実、農地の維持管理ができなくなって
いる。その責任者になってくれないかとの依頼がきているそうだ。
国は、農業の振興策として農業の法人化やグループ営農の両面を推奨している。
これは振興策というより、農業離れや農地放棄により地域の環境維持ができなく
なってきていることへの対処療法になっている。TPPの問題よりこのほうが深刻。
 
このグループ営農の場合、そのグループに対して補助支援金がでるが、もし、
最初の申告面積から減ずれば、グループに対して補助金の返還が求められる。
そうなれば、それを事実上被るのは田北さんということになる。
ここにも国のあるいは、霞ヶ関官僚達の無責任な策が現れており憤りさえ感じる。
農業問題に、対処するため、対策を講じましたと、またまた、免罪符的行政を押し
けられる地域はたまったものではない。
何らかの知恵と助言を必要としているようだ。又、私の出番かな?
 
偶々、正月にテレビを見ていると、政治家や官僚及び高名な学者先生たちが、
TPPの問題や農業や地域のことを語っていた。
 
突き詰めて聞けば、彼らが言わんとしていることは、マクロな経済や農業政策の
ことであって、今現在、地域崩壊の危機を迎えている住民達や地域の環境のこと
ではない。明日が見えない農業に飛び込む、あるいは、引き継ぐ若者はいない。
 
マクロ的な説や対策のことはここではなんの意味も無く、どのような農産物を、
どのような農法で作り、そのような方法で誰に販売するのか?それらが全てであり、
その指針や方法論を具体的に実践的に論じるならば、少しは報われるのだが・・
 
マクロ経済(農業)や国の考えていることは、農産物の「量の確保」が全てであり、
農産物の「質や商品」ではない。マスメディアもそれに乗っかっている。
産業革新や新しいマーケットは、まさしくその質や商品の革新であって、それは
現場の人達の努力や叡智によって生まれる。
 
「現実」は会議場で動いているのではなく、「現場」で動いている・・・・。
 
今年は、「むかし野菜の邑」の立上げの年。論ずるのではなく、実践することに大き
な意味があると、新年早々思いを馳せる。思うように動かなくなった体がいつまで
持つか?やや心もとない。
 
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えんどう豆の幼苗
 
笹の付いた竹の枝を
霜よけ代わりに刺す。
 
晩秋に植え、厳冬期を
耐え抜き、春に花を
咲かせる。
 
そのため、あまり大きく
育てても寒でやられて
しまう。ほどほどの大きさが良い。
身の丈を知れということかな?