農園日誌ーこの国の行方-PARTⅢ 地域復興への新たなる試み

28.12.14(水曜日)曇り、時折雨、最高温度17度、最低温度8度

イメージ 1
                  由布市庄内の小麦畑にて

 今日で6日目、除草し、焼き畑をし、草木堆肥を撒き、耕耘し、小麦ー裸麦(大麦)・地粉となる中力小麦ーの種を蒔き、土掛けを行う作業を4反すべて完了する。
大型機械を使わない手作業のため、総勢7~8人での共同作業だからできる。
3人の研修生達はグループ営農の大切さを肌で実感したようだ。

イメージ 2
イメージ 3










近くの田北さんがトラクターで耕し、佐藤自然農園スタッフ全員で堆肥を振り、種を蒔く。できた実りはむかし野菜の邑に参加する皆で分け合うことになる。
今日、田北さんの椎茸の圃場を訪ねた際に、最初に蒔いていた小麦の新芽がちいさく芽吹いていた。最初に蒔いてから二週間目であった。

イメージ 4
イメージ 5










ようやく5・6番の畑に蕪類が育ってきた。まだまだ小さいが、今年の秋(冬かな)最初の出荷となった。
この時季の蕪・大根は、線虫痕もなく、きれいに仕上がる。
土壌に化学物質が入っていないナチュラルな野菜はとにかくきれいな色をしている。
長野で大規模農園に勤めていた研修生の窪田君の評であった。

イメージ 6
畑に11月下旬、初霜が下りた。
例年より半月遅れの
初霜であった。
その意味では、今年は暖冬なのかもしれない
おかげで11月休園に追い込まれた農園も
12月初旬から再開に
踏み切れた。
但、こういう年は、油断がならないと自らに戒める。


―この国の行方―PARTⅢ 地域復興への新たなる試み(地域産業の芽生え)
                      
 農園主は銀行を中途退職し、いきなり、収入ゼロの農業を始めた。
蓄えはなし。子供三人を社会に送り出すために、給与は全て使い果たした。
中途退職とは言っても、54歳であった。妻には大いに迷惑な話であったろう。
それから15年、家族だけでやってきた農業も、研修生も含めて今では10人・協賛する農業者は8名の大所帯となった。
農産物の共同出荷販売のために()むかし野菜の邑を設立し、さらには、穀類生産事業も始め、それらの農産物加工の施設を作ろうとしている。
 
(結いの仕組み)
このむかし野菜の邑グループは、日本の風土で芽生えた「結い」の仕組みが根底にある。
共同作業を基本として、助け合うことができる処は相互扶助で行い、一家族による農家の独立支援を促し、さらには分配の仕組みを作り上げようとしている。
 
他人の畑に対する共同作業は労力(労賃)の再配分を行い、作付計画はグループ全員での話し合いで決する。共同出荷だからできることでもある。
このことによって、労力の塊となり、高集約農業となる自然循環農法の困難さが解消できるし、作付品目による有利不利の課題は、グループ内協議によって大部分は解消できる。
 
例えば、穀類の栽培は野菜生産とは異なり、一農家でも3~5反の面積が必要となる。
しかも、除草剤・化学肥料・農薬を使わない自然農であるため、労力の塊となる。
5反であれば、一家族総出で行ったとしても延べ一週間毎日その作業をやり続けても終わらない。現在の若者達では、作業の膨大さに心が折れてしまう。
そこに、一気に10人のメンバーやその家族総出で共同作業を行えば、わずか一日で済んでしまう。その作業の合間に、家族たちの交流は進む。
 
今育っている若手メンバー達も、この共同作業に何の違和感も感じておらず、一生懸命に作業に勤しんでいる風景がそこにある。
 
(一集落の小さな産業の芽生え)
農業継続の力を失いかけている中山間地の一集落がある。そこから、小さな製造産業が生まれつつある。
 
そこでは、専業農家は只の一人。他は全て兼業農家である。その専業農家(当グループの一員となっている)は、その地の農耕継続が出来なくなった水田5haを委託され、低農薬の米栽培を行っており、家業でもあった露天原木椎茸の栽培も行っていた。そこの地域の米は庄内米といって美味しく地域ブランドともなっていた。
彼(田北さん58歳)は、農園主が「美味しい野菜作り」というテーマで農業セミナーを開いた際に出会った一人であった。                    
椎茸の圃場を訪れ、その自然な栽培方法をみさせてもらい、分厚く香り豊かな椎茸を手に取った際に、当グループに加わることを勧めた。
今では、当グループの人気アイテムとして、最高級な「どんこ生椎茸」がお客様の食卓に並んでいる。(市販の生椎茸の多くは、ハウス及び菌床栽培であり、薄っぺらい香りのないものがほとんどであり、このどんこ椎茸の販売事例は他に類を見ない)
 
さらに、彼に語り掛ける。
お客様は元来、我儘でもある。如何に美味しくとも椎茸だけではすぐに飽きが来る。
なめこ」・「ヒラタケ」・「キクラゲ」などの研究をしてはどうか?と言って、現在、他のきのこ類の試作に入っている。
失敗を繰り返し、今日、おそらくは、全国でも初めてかもしれない露天原木栽培のヒラタケが少量届いた。得意そうな田北さんの奥様の顔がどこか誇らしげに見えた。

 また、折角、美味しいお米を作っており、その集落で必ず毎年行われるお祭りや正月にはお餅を搗くだろう!都会地の消費者は九州のまるめたお餅など食べたことがないだろうし、元々、日本人はお餅が大好きだと勧める。
今では、年末から3月の初旬頃まで断続的に出荷し続けており、これもお客様の支持率は98%と高い。田北さんももち米の生産面積を広げている。
量も増えて、集落の農家の奥様達も集まってみなで一斉にお餅を丸める作業を行っている。
勿論集落の若手奥様総出で・・・
 
次の試みとしては、むかしおばあちゃんが七輪で焼いてくれていた「かきもち・あられ」を模索しようとしている。
これらの試みは、勿論商品として送り出す以上は、原料にも拘らねばならず、粗野であってもいけないし、美味しくなければさらにいけない。
素朴で、ナチュラルで、かつ、健康的な、失われつつある日本古来の伝統の田舎菓子を現在の市場にマッチしたおしゃれな「むかしおやつ」として蘇らせようとしている。
この小さな集落での小さな産業に、()むかし野菜の邑の加工所や商品開発力が必要となる。

後継者の育成
むかし野菜の邑の設立当初からの事業目的の一つに、自然循環農法を伝えるため、若い農人を育てて、跡取りの居ない農業者の後継者育成をしようと言う申し合わせがあった。

農村で育った若者たちは、未来の見えない農業を嫌い、みな都会地へ出ていく
年寄り達(親)は夢の無いきつい農業を継がせる言葉を持たない。
ここ庄内地区も子供の声を聞くことが少ない。
田畑で働いている者は、70代を超えようとしている高齢者ばかり、という
現実がそこにある。国の政策を待っても虚しさしか残らない。

むかし野菜の邑の社長を引き受けていただいた平野さんもその一人。
農業を知らない若者達が研修生も含めて5人揃った。
現在、佐藤自然農園にて研修を積み、うち二人は自立へ向けて巣立とうとしている。
来年より、平野さんの圃場で、全員で自然農の稲作を学び、一人、あるいは、共同作業にて、彼の後継者となる準備を開始する。
すでに佐藤自然農園では後継者達が育ちつつある。

→PARTⅣへ続く。