農園日誌ー晩秋のトマト

24.11.9(金曜日)晴れ、最高温度19度、最低温度10度
 
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                  今が盛りの晩秋の小菊
 
農園は、今、秋冬野菜植え付け、種蒔きの最後の追い込みを掛け、急ピッチで模様替えの真っ最中。冬が駆け足で背中に迫ってきている。
レタス系・キャベツ系野菜が種蒔き専用トレイにぎっしりとポット上げを待っている。
冬前に植え込みができるか?こちらも気が気でない。少し種蒔きをゆっくりとし過ぎたか
ややあせりが・・
 
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5番の長い長い畝、畝立て中、
黒大豆の収穫が終わったばかりの畝に
来年用の玉葱を植え込む予定。
今年は25、000本植え込む。
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隣の畝では極早稲の玉葱と大根系の
野菜が育っている。こちらは今一成長が遅く、やきもきとさせられる。
 
 
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左は出荷が間近に迫った白菜(9月定植)
虫の活動が最も活発な時季に植え込んだ
葉は無残になだれ状態。
芯はかろうじて出荷が可能な状態。
 
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右は10月になって定植した白菜
ようやく巻き込みかかっている。
虫食いの跡も比較的少ない。
こちらは12月初旬頃の出荷予定
 
 
(農園主の独り言)
 
今年の正月には我が家に子供三人の家族が勢ぞろいする。孫達も合わせると14人に
なる。
私の場合、子供が小さいうちは毎年、家族旅行をし、子供達は海や山に連れて行った。
なるべく自然の中に放り出し、子供達の豊かな感性を育て、厳しさや優しさを身を持って
知らせるように心がけたつもりだ。
他の子供達よりは少しはものの哀れやものの価値観が分るとは思うが、悔やまれるのは、中学高校、そして社会人になる際に、仕事が忙しく、一緒に考えてやれなかったことで、小さく固まってしまっているのを感じてしまう。世間一般がそうであるように・・・
 
せめて孫たちはという思いが強く、そのせいか、若しくは、少しこちらにも余裕ができてきたのか、できるかぎりの抱っことゆったりとした愛情をかけてやろうと思う。
 
今の日本人は小市民的な自己中心の思考が強いように思う。それはそれで良いのかもしれないが、世の中が大きな変革期に入っており、ものの価値観が大きく変わろうとして
いるにもかかわらず、多くの大人達はあいかわらず自己中心型の思考から抜け出ようとはしないように思われる。
 
本来の個人主義とは、自己の周りを個々の人たちに囲まれているというのが本質では
なかったか。だからこそ、他を思い、もののあわれを感じ、自己の価値観を大切にする
むかし、農村には「ゆい」の制度があり、個は皆と助け合って一つのコミュニティ(秩序)を作り上げていた。
これが今の社会には決定的に欠けているのではないか?寂しい思いが強い。
農業をはじめてからは、「自然(社会)との折り合いの中でしか生きていけない」ということが今までよりははるかに見えるようになってきたのかもしれない。
 
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タイヤショベルに乗ったサーヤ
次女の一人子。
 
あまりにもむずかるので、抱っこしての作業中の一齣、娘がうれしさで写真を撮る。
 
この孫達の世代になった時、
人を思いやり、価値観が分る
社会になっていることを願う。
 
私は、若いお母様達にいつも
このように伝える。
子供達の舌は敏感です。
それは何も穢れていないからこそ、ただ美味しいことに反応します。美味しい野菜の価値観を一番理解してくれているのはこの子供達ではないでしょうか。
そんな価値観の分る子供達に真に美味しい野菜を食べさせて、感性を育み、優しさを教え、ものの大切さを教え、強くて優しく元気な子供さんに育ててください、と・・・