農園日誌Ⅱー「活きること」PART25

2019.7.10(水曜日) 雨、最高温度26度、最低温度18度

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             梅雨の中休みの夕暮れ時ー夏野菜達

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 今年、あちこちから電話が入る。
「茄子の様子が変だ」「どうしても茄子が育たず、生き着いている」「何か方策は無いか」など。
ご覧の通り、当農園でも茄子に最適の圃場でもこの通り。正に生き着いている。
農業を始めて、実験農園から通算して25年が経過した。
それでも毎年の気候の変動や異変は尽きない。この茄子も同じである。
その原因が分からないため、方策が打てない。
土は固くしまって酸欠になっているわけでも無く、雨不足のため、梅雨の長雨で蘇ると思っていたら、ますますひどくなってきている。
インゲン・胡瓜・ズッキーニなどの初夏野菜や盛夏の野菜であるトマト・ピーマン系も順調に育っているのに、何故に茄子だけが悪い。
何年やっても農業は分からない。

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大豆は少し時季は早いが、およそ4.5反に種を直播きした。
例年であれば、大豆の蒔き時季は7月中旬頃、この時季は梅雨も終わり水分不足で育たないこともしばしばであったが、今年は梅雨の入りが遅れたため、梅雨の真っ最中に何とか種が蒔けた。
今年は、雑草対策さえ施せば、去年のように坊主と言うことにはならないだろう。

{活きること」PART25

2018.5.2  軽トラ販売
 
 東京において、マルシェ販売を行っている会社がある。二年ほど前から週に二度ほどそこへ野菜を送ってきていた。関東では、野菜のマルシェ販売がブームになっている。
土日のみの販売でとても採算に乗るとは考えられないので、こちらも半信半疑でお付き合いをしてきた。
当農園もメイン市場は関東であり、全国定期購入のお客様の50%が東京・横浜・埼玉に集中していた。
そんな中、その会社でメインの立場にいたH君から、会社の運営を巡り社長と意見が合わず、独立したいとの申し出があった。
かれは取り組み姿勢も前向きで、実にまじめに働く青年であり、当農園も支援の方針を固めた。
東京はショップの大型化が進み、地域の小さなスーパーは全てその波に飲み込まれていき、車を持たない人達の買い物難民化が進んでいた。
そこで思い立ったのが、機動力のある軽トラックでの野菜及び海産物(干物等)販売であった。
農園主がイメージした販売方法は、最寄りの中小型スーパーが配転し、買い物に不便な大型団地の公園
や車止めの空き地に毎週定期的に訪れ、固定顧客を付けていくと言った地道な戦略であった。
彼とは、一年間、独立採算が取れるまで、当農園が一定の手当てを出し、軽トラックも買ってあげ、早速に動いてみることで話がなった。

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H君はすっかりうちの孫達と打ち解けて、固い決意を込めて東京へ帰っていった。皆の期待とちょっぴりの不安を載せて、結いの屋号で旅立っていった。
 
ネーミングは意見を出し合って、「結いの屋」とすることになった。
 
やがて、3ヶ月が過ぎ、一週間に2回、箱一杯、合計2万円ほどの野菜を送った。収支採算が成り立つには、週に少なくとも加工品も含めて10万円の野菜を売らねばならない。
彼からは中々良い報告が届かず、お客様を掴まえ切れていないようである。
麦類・漬物・味噌他の加工品についても冷蔵保管が難しく、野菜以外の商品ラインの展開もはかばかしくできないようだった。
 
今まで、彼は、大きなマルシェ展開の場、つまりは、イベント販売には慣れていたが、個別にお客様を開拓していくことの経験はなく、個人にて売ることの難しさを痛感していったようだ。
また、彼がようやく捉まえた販売拠点が彼の自宅から遠く、ガソリン代などの経費ばかりが嵩み、半年を経過したあたりから、著しい伸び悩みが見え始めていた。当農園のスタッフ達との溝も徐々に広がっていった。
 
そこで、彼に問いかけた。
団地の空き地や公園の片隅での拠点作りはどうか?と、彼の回答はこうだ。
東京と言うところは、公園の車除け地などに駐車していると、すぐに近隣の方から通報が入り、すぐに立ち退かねばならなくなり、半商業地の事業所などの駐車場を借り受けると、一回当たり1万円の駐車代金を後に請求された。東京では、そもそもが、空き地に車を置いて何かの販売行為をすることはもはやできなくなっている。
 
東京での人気のファーマーズマーケット(マルシェ)への出店はどうか?と聞くと、農園主の勧めで青山通りのマルシェを尋ねていくと、そこでは、野菜もあるにはあるが、多くは花屋さん・雑貨店・惣菜店弁当屋が主体となっており、イベント販売に変ってしまっている。
そこに出店する意義は感じない、とのこと。
 
これらの情報を総合的に考えていくと、こうである。
①東京では、行政の規制強化が進み、自由なマーケットとは遠くなってお
 り、住民の意識も実に無機質で、公園横にでも駐車しようものなら、すぐ
 に通報されてしまうなど、暖かみや寛容性を感じないものなっている。
②野菜も含めて食品に対する意識が高い消費者も居るに居るようだが、大多数の消費者は安売り販売や珍しい商品にのみ目が行き、野菜の美味しさや安全性を見極めることに慣れていない。
意識の高い方々への接触は、軽トラは販売では、極めて可能性に乏しいようだ。
 
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虚しく帰ってきた結いの屋号、この車の使い道は果たして如何に?
大分でのイベント販売に使うことになる。

東京のマーケットは、自然栽培の野菜の評価と支持率は低く、値段が高いと言う方が圧倒的に多く、美味しいと言ってはくれるが、その野菜等の価値や意義を認めてくれる人はやはり少なく、かなりの難しさが出ている。
野菜だけで人を集めていくことは難しく、東京の有名八百屋さんすら、惣菜店及び弁当店に変わっていっているようだ。マーケットも大型化するに連れ、野菜の専門家がお客様と遣り取りをし、コンサルを受けながら、野菜を買い求めると言う習慣から、「安近短」化が進み、会話することも面倒に成り、人と人の触れあいを無くして行っている。
となると、日本では、欧州のような農産物の健全性・ナチュラルさを前面に出した農園マルシェが定着することはかなり難しい市場環境にあるのかもしれない。日本では良質で健全な食を手に入れようとするオーガニック市場の形成は難しくなっていると言わざるを得ない。

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    むかし野菜の邑の農産物及び加工品の直売所

 
このようにして、残念ながら、むかし野菜の邑の農産物、東京への進出の試みは、中止にするしか無かった。H君には無理を強いた形に終わった。
それでも彼に事業の立ち上げの困難さを経験させたことは、彼の将来の財産になることを祈る。
唯、真に健全な農産物を作り続けることは、販売において、相当に付加の掛かる市場啓発・啓蒙活動をやり続けねばならないということになる。
これは農産物に限らず、品質の高い「ものつくり」や専門家及び職人の育てにくい市場環境になってしまっていることが実に気がかりとなる。

農園日誌Ⅱー「活きること」PART24

2019.7.3(梅雨雨)最高温度26度、最低温度19

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                  開封前の本醸造味噌

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 季節は本格的な遅い梅雨入りとなった。
長さ80mの畝が7列、30度を超える日中に、下葉・中葉などの込み合った葉を落とし、風と太陽をトマトに当ててやる剪定誘引作業が続いていたが、今度は、じとじととした雨が降る最中に、合羽を着込んでの剪定誘引作業が続いている。
葉っぱに潜む十星テントウムシやトマトを食い荒らす幼虫を潰しながらの作業は、
どちらも耐え難い作業となる。

それでも、良いのか悪いのか、その雨の中、トマトが第一次の最盛期を迎えようとしている。
この時季は、トマトがほんのりと色付き始めると、雨のため、すぐに割れてしまう。
本当に湿気には、敏感な奴です。
そのため、鬼取りと称して、わずかでも熟れの兆候が出ているまだ青味の残るトマトを無情にも収穫しなければならなくなる。食味も太陽が照り付ける夏とは違って、
やや甘味に欠ける。唯、お客様の元に着くころは、真っ赤に染まってはいる。

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 梅雨時期は、トマトだけに集中してはいけない。ピーマン系(万願寺・伏見とうがらしやパプリカ・黒ピーマン、そしてピーマン)も待ってはくれない。
初期的な支柱はしているものの、小枝が無数に出ており、これも剪定誘引作業が
必要となっている。
明日は梅雨の一休みの頃合いであり、早速に中ほどに無数に出てしまっている小枝を落とし、風と光の途を確保してやらねばすぐに生き尽きてしまう。


「活きること」PART24

2017.12.3.    味噌作り

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大豆の種蒔き作業、この年は空梅雨で、堆肥撒きはうまくいったが、今度はすぐに夏の乾季が襲ってくることになる。
種は蒔いたが、雨が降らなければ、発芽が危ぶまれるし、鳩が大量に襲来し、丹念に撒いた大豆を拾っていく。この対策に追われることになる。
 
 一年を通して消費者にお届けしている無添加醸造味噌は、大豆の収穫が終わった12月頃から始まる。
その年の大豆の出来栄えで全てが決まってしまう。
大豆は夏場、7月に入って、梅雨が終わったらすぐに種蒔きが始まる。処が、梅雨明け時期が問題である。
何しろ、大豆や麦の圃場は、以前田んぼであったところが多く、当然に泥が溜まっており、極めて乾燥状況が悪い。草木堆肥を振るにも、唯でも堆肥を満載して軽トラックがその旧田んぼに入ろうものなら、すぐに埋まり込んでしまう。タイヤショベルを動員して引っ張り出すこともある。
何とか堆肥を無事に振り終えたとしても、トラクターで耕耘する際、まるで泥田に入るごとくである。
そこに大豆の種を蒔き、管理機で土掛けを行う作業も埋まり込んでしまい、まったくうまくいかない。
 
さらに、夏場の種蒔きであるから、梅雨が終わったら、すぐに乾季に入ってしまい、畑はカラカラになり、大豆が育たないこともしばしばである。また、夏草の繁茂は凄まじく、大豆が芽を出したとしても、すぐに草に覆われてしまい、当然ながら草に負けてしまい、大豆が結実しないことも多々ある。
草に覆われる前に、草刈り機で畝下の草を除去しなければならない。
この一連の作業は実に暑い暑い夏場の作業となり、スタッフは汗だくでへとへとに疲れる。
当農園では、当然に除草剤を使わない。これが大豆の出来不出来に直結する。自然栽培とはかくも過酷な農業なのです。おそらく、全国でも稀有な大豆の自然栽培となる。
 
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 何を植えているのか分からないほどに、夏草が多い尽くし、管理機を入れたり、草刈りを行ったりしても、御覧の通りの状態となる。これが大豆の自然栽培の風景です。季節は実りの秋、11月末となる。

味噌作りは、先ずは、米麹作りから始める。そこで使われるお米は平野さんの自然農米。
加工所の竈で蒸され、隣室の麹部屋で麹と混ぜて囲う。二昼夜、付きっきりで管理する。温度が60度以上になると、雑菌が入りやすくなり、何より、麹が傷んでしまう。
常に50~60度程度に留めておくためには、6時間おきにチェックし、高温になりそうだったら温度を下げたり、温度が上がらない場合は、室温を上げたりの調整管理が必要になる。

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お米に麹の花が咲きました。蒸し加減が難しく、水分量も上手くいかない場合も多い。この時は、気温湿度・水分量がほど良かったのでしょう。
唯、食感がやや異なる程度であり、旨味はほとんど全て自然栽培の大豆やお米から出てくると思われる。麹は専用の麹部屋で作られる。


麹が3日ほどで完成したら、大豆を一昼夜水に浸し、竈で大豆を蒸して、中指と親指で挟んで潰れる程度になったら、できあがり。粗熱を取り、米麹と天然塩を加えて混ぜ込み、潰し、味噌玉を作る。
その味噌玉を空気が入らないように瓶に押し込む。上に塩を振って虫や病原菌を予防しながら、8ヶ月間ほど寝かしてようやく無添加醸造味噌が完成する。
米麹の量を増やせば、甘めの味噌となり、麹と大豆の比率を変えながら、毎年実験を繰り返している。
味噌樽を開ける際は、うまく出来ておりますようにと祈りながら、毎年どきどきしている。
この味噌を一年間の間に皆様にお届けしている。

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農園の竈は、味噌作りのシーズンになると大活躍する。以前は、大豆を煮ていたが、大豆たんぱくやアミノ酸が溶け出しして、もったいないな!と思っていた。そこで竈ができてからは、三段重ねで大豆を蒸すことにした。
これだと大豆の栄養価の流失は最小限となり、美味しい味噌ができる。
この竈は、米麹を作る際も使う。
イベントなどがある場合は、みなさんに竈で炊いたご飯が出せる。
 
農園で消費者の方々全員にインタビューを試みた。
支持率98%とこの醸造味噌は人気が高く、皆様の満足頂ける生産量を確保できないのが、残念ではあるが・・・。
 
かっては、何処の農家でも、また、一般家庭でも自分の味噌は自分で造るということが、そう遠くない時代に行われていた。地場の味噌醤油の醸造元も多数あった。
戦後復興期、生産量を増やせ、産業を興せの大号令の下、都市部に人口が集中し、需要が増加し、巨大マーケットを形作る時代になって、各地の醸造元がとある資本家から集められ、地場の醸造業者が味噌・醤油屋として、合資会社を形成したのが、現代の味噌醤油などの大生産会社の始まりであった。
その会社が生産する味噌醤油の多くは、手間と経験と時間が掛かり、リスクの伴う本醸造ではなく、大豆を絞り、その豆乳のような液体に、塩酸を掛け、味噌の味のするアミノ酸に変化する製造方式にシフトしていった。
それでは旨みや香りが足らないと、旨み調味料や香料を付加し、色が悪いと言って着色料も加える。
ある化学者がテレビでこのように豪語していたのを思い出す。「味噌や醤油などは、化学を使ってどのようにでも作れる」と・・・。
これは何も味噌醤油だけの話ではなく、まるで一つのお菓子を商品開発する工程に似ている。
多くの市販の漬物もそうである。日本の至る所に、化学合成された食品が出回っている時代になっている。
流通の過程で、密封された加工品は、流通及び販売途上に変化しては困る。特に生きている発酵食品は始末に困る。乳酸発酵などにより、流通途上で如何に真空パックに入れようと、生きているものだからやがて膨れあがり、ぱんぱんになってしまう。当然、滅菌処理をしなければならなくなり、もうその段階で、その味噌などは醸造された発酵食品ではなくなってしまう。
それならと、本醸造された発酵食品は大量流通が難しいため、徐々に消えていき、今の化学合成味噌になってしまった。
このようにして、大量の物流・大量の消費社会においては、流通する食品は、何らかの化学薬品漬けにならざるを得なくなっている。東大のある名誉教授は、大量に流通する加工食品には、添加物は不可欠であり、それらが無いと、経済は成り立たず、結果として消費者のためになっていると断言している。

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大豆が蒸し終わると、米麹と塩(減塩12%)と合わせて、ミキサーに掛け味噌玉を作る。これを空気を入れないように甕に押し込む。
ほとんど一日仕事になる。米麹を作るところから行くと3~4日の工程作業となる。約一年寝かして本醸造無添加味噌が完成する。
米・大豆・塩も含めて生産段階から化学物質は一切含まれない完全無添加の味噌が出来上がる。おそらくは、ここまで徹底した味噌は全国にも無いと断言できる。

その添加物等は、安全基準を作って、添加量を調整している。
例えば、1/10ならば安全とすると、もし万一毎日食べても安全ということなのだろうが、他の加工食品も毎日食することになり、一日三食、10種類の味噌・醤油・弁当・お菓子・パン・調味料などを複合して食べると一体どうなるのだろう。
皆様は、この時代のこの現実を如何にお考えになられるでしょうか。
決して不安を煽るつもりもありませんが、一つだけ言えることは、ご自分の体や健康は自分で守るしかないと言うことです。
 
農園主は、野菜・農産物・及びその加工品を消費者へ直接販売している。但し、このように付け加えている。「生きているものですから、なるべく早めにお召し上がり下さい」と・・・
先の味噌の支持率ですが、要らないと答えた方の2%は、自ら味噌を造っているそうです。

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高菜漬けを作っている処。
これもスタッフ全員で天然塩でもみ込み、塩で水分を出し、さらに、とうがらしなどを加えて、本漬けにする。
同じように乳酸菌発酵の漬物は、大根・胡瓜・茄子・瓜などがあり、塩・酢・酒粕・砂糖しか加えない。自然と乳酸菌発酵した漬物には、昆布や鰹節おのグルタミン系も加えず、素材の美味しさを引き出すことにしている。

農園日誌Ⅱー「活きること」PART23

2019.6.26(水曜日)曇り後雨、最高温度28度、最低温度20度

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                    フェィジュアの花

 むかし野菜の邑の社屋の壁際に、プロパンガスのボンベが気になり、ぼろ隠しのつもりで植えた常緑樹ですが、思いの他、艶やかな花が毎年咲いてくれ始めた。
これも実を為し、楽しませてくれる。

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由布市挟間町古市の小原君の圃場に大豆を蒔く。今年は、小麦の刈り入れが順調に進み、幸い、遅い梅雨入りのお陰で種蒔きが間に合った。
農園主・後藤君の圃場も併せて、合計6反(1,800坪)の大豆の種蒔きが全て終わった。残すところ、庄内の4反の圃場のみとなった。そこには、梅雨が終わり次第に、種を蒔く予定です。
麦系・大豆ともに(二毛作)、グループ全体で約1町歩(1he)となる。
今年は自然栽培の穀類の加工品に力を入れていくつもり。
大豆からは、「味噌・黄な粉・蒸し大豆」が、麦からは、「麦茶・麦ご飯セット・ブレンド小麦粉」が、できて、粉を使った野菜万頭やパンを作ることになる。
パンは、当農園では流石に無理であり、北九州の市川製パンさんが作ってくれることになっている。
小麦は製麦しましょうかと尋ねると、「ダメです。全粒粉にしてください。味香りが損なわれてしまいます」とのことでした。


「活きること」PART23
2017.10.3  農園の危機に誕生した、新たな開発商品
 
 テレビ放映のため、新規顧客が急増したうえに、夏の酷暑、乾期と続き、ようやく涼しくなってきたかと思うと、秋を飛び越していきなり冬に変ってしまい、深刻な野菜不足に見舞われ始めた。
このままでは、400名のお客様へ出荷し続けることは難しくなる。
それを見越して、以前から考えていた新たな商品開発(加工品)を模索することになった。
やはり生鮮野菜だけでは、一年間を通して多くのお客様を支え続けることは難しい。特に、めまぐるしく変化する昨今の異常気象の中では尚更であった。
秋、夏野菜の終わり頃になると、青紫蘇が終わり、実を結実し始める。この実を醤油及び味噌漬けにすることにした。これは私がまだ小さい頃、母が紫蘇の実を収穫し、唐辛子系の葉っぱと一緒に漬け込んでくれていた。これがあれば、ご飯を何杯も食べれた。プチプチとした食感が堪らなく美味しい。

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紫蘇の実は、取っても取っても増えない。最後は皆飽いてしまい、「もうこれだけで良いか」と諦めてしまい、いつも、少ししか出来ませんが・・・

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大葉の出荷が終わり、花が咲き、実を為す頃、この紫蘇の実をスタッフ全員でこさぎ取る。手間が掛かること夥しい。さらに、湯通しして、灰汁を抜き、唐辛子の葉っぱを加えて、味噌に漬け込む。さらに少量の柚子の皮を加えて完成。
プチプチとした食感が堪らなく美味しい。

さらに、バジルも終わり頃になると、畝上げの時季が近づく。このバジルを摘み取ってバジルペースト作りを始めた。同時にそれならと、紫蘇ペーストも出来るはず。そうなると、食べ方・使い方も同時にレシピ開発しなければならない。試作の日々が続いた。
これが流石に草木堆肥で育てたことはある。奥深い味のペーストが完成した。唯、これもそんなに大量に出来るわけではない。

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右上が紫蘇ペースト、右下がバジルペースト、左上が裸麦の麦茶、左下が麦ご飯セット(古代小麦ブレンド)。バジルペーストの使い方はお分かりでしょうが、紫蘇ペーストは純和風ソースであり、冷や奴などにも、かなり合います。
 
それでもまだまだ商品は足らない。そこでこれも以前から考えてきたことを実行に移そうとした。
野菜屋さんが、あろうことか、海産物を商品にしようと模索した。大分県はむかしから海の幸も豊富であった。
スタッフ達には相談をせず、銀行・県・市役所などに連絡を取り、できるだけナチュラルな海産物加工品を探してもらうことにした。紹介のあった海産物加工所を訪ね回った。
そこで愕然としたことが、干物がすでに干物ではなくなっていた。さらには、干物は現代では、冷凍食品となっていたことであった。むかし天日で干した美味しい干物があったが、今では、そんな手の掛かることはしないとのこと。塩に漬け込んだ魚を冷蔵乾燥にするのが昨今の干物である。さらには、無添加干物は無く、必ず保存料・酸化防止剤・着色料が入っている。
と言うのも、漬物・味噌も含めてすべての加工品が添加物だらけとなっていた。
これは20年前に定められたPL法(製造者責任)の影響が色濃く出ていたことによる。
細かい規定はさることながら、要は、流通に流れる商品(加工食品)は、何かあったら、全て製造者の責任が追及されると言うもの。例えば、流通(販売)段階で保管が悪かったために、商品事故を起こしたとしてもと言う意味です。製造者はその責任を逃れるために、添加物に頼ろうとする。
こうなると、日本の食品添加物が3600種類にも上り、米国が1600種類なのに比べてもその許容範囲が異常に広くて、添加物はとどまるところを知らず増えてくる。
しかも、驚いたことに、原料及び加工段階での添加物はノーカウントだとのこと、商品に仕上げ、出荷する段階のもののみを表示すれば良いと言うことになっている。
 
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消費者の方も最初は面食らったかと思います。但、事前に皆様へ紙面にてインタビューを試み、OKを頂いてからの配送とした。嬉しかったのは、佐藤さんが勧めるものは、間違いが無いので安心して食べれますとの回答が多く寄せられ、身が引き締まる思いでした。
結果は、大好評で、ほっと胸をなで下ろす。

無添加干物を探し回り、かつ、説得した結果、ようやく二社から無添加干物の製造OKの返事を頂く。
次に待っていたのは、「お客様は野菜を待っておられる。何故海産物なのか?」との女性スタッフからの激しい抵抗であった。農園主は、このように彼らを説得した。
「お客様は、そんなに安くも無い送料を掛けて野菜を取って頂いている。その野菜の箱の中に、美味しい海産物が入って、食卓を彩るとしたら、きっと嬉しいと思っていただけるお客様もいるし、リーズナブルに感じて頂けるのではないか。さらに、当農園は、自然に沿った食を提案しており、無添加干物はこの時代、実に貴重である」
私は、食の安全が脅かされているこの時代だからこそ、同じナチュラルな食を模索している製造者とは今後とも手を組んでいかねばならないと考えていた。つまりは、同志として、仲間としてです。
それが消費者の食の健全性を守っていると言うわが農園の理念であり、自負心だと思うからです。
 
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実に丹念なおばあちゃん仕事でした。「2,000個、作り終えたら、指紋が消えていたのよ」とにこにこしながら、話して下さった。
この後、野菜・加工品・海産物、そして山の幸がむかし野菜の商品を彩ることになる。

次に、長年、県会議員などを通じて探していた山の幸=山菜などを採ってくれる人を探していたところ、
朗報が入る。それが、山里の平野さんと言う老夫婦でした。早速、訪ねて行った。
軒下に干し柿が2,000個以上吊り下げられていた。彼らにこう言った。
私が都会地に住んでおられる消費者の方々に食べさせたい干し柿は、からからに干した柿ではなく、外側が乾燥し、中がまだ柔らかい干し柿です。私が子供の頃、母が干し柿を作ってくれていました。
まだかな、まだかな!と待っているうちに、からからになる前に、ほとんどすべての干し柿を食べてしまっていました。そのほうが美味しかったからです。
さらにこう伝えた、平野さんは山菜取りの名人だと伺っております。例えば、こごみ・タラの芽・干し筍
・銀杏などです。最初は遠慮していたのか、あまり積極的ではなかったこの老夫婦も、次第に山菜などの出荷が増えていった。
 
こうして、この年は、天候不順からくる農産物商品の不足にも何とか持ちこたえて、休園を皆様にお伝えせずに済んだ。何とか凌ぎ切ったのでした。

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        曼珠沙華がたわわに実り始めた田園風景に溶け込む


農園日誌Ⅱー「活きること」PART22

2019.6.19(水曜日)晴れ、最高温度27度、最低温度18度

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                       料理体験会

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健全な食を考える農園セミナーの後、素材を活かした手軽な料理体験会を行う。
バインダーにはレシピを挟んでいる。子供さん連れもおられ、サラダセットを手で
千切っている。
後でお聞きすると、皆さん異口同音に楽しかった!と、それが一番ですよね。

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 発送作業を終えて、残り時間で、剪定枝の破砕作業と溜まった大枝などを燃やしているところ。燃やした灰は草木灰として、堆肥と一緒に畑に振る。
闘いくれて日が暮れて・・・ようやく長い一日の作業を終える。午後7時。

「活きること」PART21
2017.8.5 KBC九州朝日放送主催「水と森の祭典」への参加
 
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事前にテレビクルーとコメンテーターが農園に訪れ、早速に取材が始まった。お馴染みに「あさです!」の番組スタッフ達。採れた麦のクッキー・スコーンと麦茶(裸麦を自家焙煎)・おしゃれにフレッシュハーブティを添えて・・

3年ほど前に、KBC放送のテレビ局が取材にきたことがあった。何故そうなったかはどうしても思い出せないが、その際の縁であろうか、博多駅前での夏のイベントに参加して頂けないかとのお誘いがあった。専用のテントとブースを用意してくれているそうだ。
そこまでして頂けるのであれば、そのイベントを盛り上げる努力は致しますと答えた。
断る理由もなく、と言うより、私は様々な人の縁で支えられてきたとの思いがあり、人との良き出会いは大切にしてきた。これは私を育ててくれた母親の影響を強く受けているのかもしれない。
私がまだ幼い頃、周りにはいつもよく知らない大人の人達がいた。父が職業安定所に勤務しており、失対(失業対策事業)の人達や荒くれの男の人達が我が家に出入りしていた。
飯が食えない人も多く、母が卵どんぶりを作ってやっていた。入れ墨をした荒くれの男達が、母の説教を聞き、涙を流しながらどんぶりをほおばっていた。母は理より、情義の人であり、他人との信義を交わす姿が、極く普通にあったように覚えている。
 
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番組スタッフ達のために、焼いたパンと野菜スープなどの農園ランチが振る舞われた。


先ずは、7月の初めから、イベントに出品する農産物商品やら農園の日常や風景などの取材や撮影が始まった。熊本の災害復興も兼ねており、そこのパン屋さんもコラボするとのことで、まだあまり自信のなかった麦類ではあったが、パンの素材とすることにした。
お米は、普段食べ慣れているせいか、その味香りの違いはすぐに分かるが、パンにはそれが無い。
今まで、小麦の粉の味や香りなどは気にもしなかったが、この熊本のパン屋さんの焼いたパンには明らかに麦の香りがした。
パンの親である酵母を培養するために当農園の小麦粉を餌にして、パン種を作ったそうだ。
従来の小麦粉と比べて力強い味がするとおっしゃる。
確かに、小麦の味香りがそのパンから漂ってくる。これなら、草木堆肥を入れ続けて5年ほど経過すれば、土もできてくるはずであり、味香り豊かなパンができるのではないかと期待し始めている。
 
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当日は、2,000人を越えるお客様達がこのイベントに集まり、唯でも暑いのに、一日中ごった返しの忙しさであった。
農園主はと言うと、何もすることが無く、荷物の運搬やクール車の番をしていた。唯、時折、呼び出され、カメラの前でしゃべらせられた。


イベントの開催は何故か、暑い盛りの真夏の博多駅前広場である。
当日は朝から30度ほどの暑さであった。クール車をチャーターして、駐車場でもエンジンを掛けたまま、野菜や加工品をイベント会場まで補充し続けねばならないといった劣悪な環境で行われた。
出品商品は、夏野菜・無添加発酵食品である漬物・麦茶・麦御飯セットなどである。
スタッフにKBCTVのレポーター・ディレクターなどが協力して販売を行う。おかげで完売となった。
翌日KBCの職員が倒れてしまったほどの炎天下でのイベントとなった。
 
一夜明けて、ようやく日常に戻り、ほっとしていると、今度は、携帯電話は鳴りっぱなし、家の電話やFAXは回線麻痺状態、パソコンは、一秒単位で問い合わせのメールの山。アクセス件数5,000件以上。ついに、携帯や家の電話は切らざるを得なくなった。
KBCテレビの「アサデス」の放映に翻弄される日々がその後、約一ヶ月続いた。
毎晩夜3時まで、パソコンの前でお問い合わせへの回答(返信)メールに向かうこととなった。
「お試しセット」の受付条件のハードルを上げざるを得なくなり、
2,500名の方に絞り、最終的には500件のお試しセット発送になった。改めて「アサデス」の威力に驚いていた。
 

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野菜の発送作業の風景。早朝から収穫作業、そして野菜の整理、箱詰め作業
、スタッフ全員でかかっても、当日発送締め切りの6時には到底終わらない。運送会社に頭を下げて何とか間に合わせて頂く日々が続いた。
相当に売上が上がったのでは?とのお話もあるが、唯、忙しいだけで、終わってしまいました。何故なら、自然栽培は、当時の現有スタッフと畑の面積では、生産量に限りがあったからです。
それでも折角のお申し込みですから、また出会いですから、一所懸命やらせて頂きました。
闘い暮れて日が暮れてでした。


スタッフ全員の前で、このように切り出した。
「みんなご苦労様でした。一気にたくさんのお客様の問い合わせがあり、喜ばしいことです。但し、これは一つの危機です。一応、お試しセットの受付条件のハードルを上げ、500余名の方にお野菜を送ろうと思います。しかし、有頂天になって、高飛車な対応をしてはいけない。自然循環農法による野菜は生産量に限りがあります。新たな方々に野菜を送るのは良いのですが、むかし野菜を慈しんで頂いている既存の仲間達(定期購入のお客様)に迷惑は掛けられません。
一人のお客様に送る野菜の量は一時的に少なくなりますが、お詫びするつもりです。
6ヶ月もすると、おそらくは、半分に減り、1年も経過すると1/4になると思います。それでも、お問い合わせ頂いたお客様に不愉快な思いをさせてはいけません。良い口コミは一人の顧客から0.5人程度しか広まりませんが、悪い口コミは千里を走ります。それを恐れるのです」
 
それからが実はさらに大変でした。野菜はすぐに底をつき、高回転で野菜を育てねばならない。発送時刻は遅れ、収穫発送作業に追われ、スタッフ全員忙しい日々が続いた。
結果として、一人当たりの農産物の量は減り、忙しいだけで、売上総額が増えたわけではない。何故なら、生産量には限りがあるからです。結局は、既存のお客様には迷惑をかけることになった。
さらに、読み通り、半年でお客様は既存客も含めて半減、一年後には、元の人数に戻ってしまった。
それでも、新たなお客様もでき、新たな出会いの場とはなった。
KBCTVのスタッフの皆様には、感謝です。

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農園日誌Ⅱー「活きること」PART21

2019.6.12(水曜日)晴れ、最高温度26度、最低温度18度

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         初期設定(剪定誘引作業)を終えたフルーツトマト

 今年はトマトが良い。降雨量が少なく、晴れた5~6月の気候の影響。
代わりに茄子・ピーマン系・胡瓜などの成長が遅く、茄子などはようやく生きている
状態で、太らない。

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胡瓜は二回植え替えた。二回目は雨を待って植え替えたのがよかったのだろう。
ようやく個々までに成長した。

毎年、気候が変る。もう慣れっこになってしまった。これからの農業、特に露地栽培は、先ずは、気候の先読みから始まる。それに対応できただけ野菜が育つ。
今までの気候のセオリーは通用しない。但、経験を積み重ねることは大切であり、
要は、その経験値の応用力が試されているのかもしれない。


「活きること」PART21

2017.4.30.  むかし野菜の邑のオープニング

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朝から大勢のお客様がお見えになり、農園のお披露目に合わせた収穫体験は主には、子供さん達が主役となった。
 
最初は、新築記念のセレモニーも考えたが、やはりうちに似つかわしくないと思って、かって開店10周年に協賛させられた福岡のフレンチレストランである「ジョルジュマルソー」へ、一緒に、むかし野菜の邑オープンに参加しないかと問いかけた。
招待客は、既存の定期購入のお客様とマルソーのお客様達、県及び市職員・金融機関の社員・地域のお年寄りの方々とした。

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この日に合わせてマルソーのスタッフ全員が駆けつけてくれた。何しろ、高級フレンチがこの農園で楽しめるのだから・・
 
来園者は120名程度と予測して、その受入の準備作業に入った。
椅子・机は白木の手作りのものを用意する。スタッフは鍬から金槌に持ち替えた。
広報・販促活動のスタッフは、スコップから筆に持ち替えて看板からチラシ等の準備に忙しい。
農園ランチは、女性スタッフ達の仕事。今まで農園体験で培った料理の集大成となり、麦ご飯を竈で炊き、作り溜めた乳酸発酵の漬物を添え、春野菜の様々な総菜を用意する。食器も新たに買い足した。
おやつには、古代小麦や中力小麦をブレンドしたやせ馬に同じく自然栽培の大豆を焙煎し、黄な粉を作る。お茶は、裸麦を焙煎し、麦茶を用意する。
さらに、麦の味香りのする素材感豊かな皮で、春野菜を包む野菜万頭を作る。
何しろ、飲食店並の量と種類の食べ物を用意しなければならないから、大変である。
 
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ご覧の有様。ごった返し、餅搗きあり、団子汁あり、やせ馬(小麦粉を湯がき、黄な粉をまぶす)あり、その賑やかなこと賑やかなこと。
勿論この後、マルソーのフレンチ量に舌鼓を打った。


参加者は、思いの他多くて180余名に昇り、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態となってしまった。
かねてからお付き合いのあったKBC九州朝日放送・地元OBS放送なども取材に駆けつけてくれた。
農園での収穫体験の後、農園ランチとフレンチの共演となり、来園された方は、お腹いっぱいの笑顔で帰って行かれた。準備やおもてなしにスタッフ達はやつれ顔だったが、他方では、チラリと誇りの笑顔も覗かせていた。
 
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マルソーのオーナーシェフに無茶振りをして、家庭で出来るフレンチなどの実践を即興でやってもらった。みんな興味津々ではあった。


一夜明けて、ようやく農園の日常が戻ってきた。
これからが実は大変である。
むかし野菜の邑のメンバー構成は、二つのグループに分かれる。
 
一つは、外部の協賛農業者達で、みんな、自然循環農業を行うメンバー、数人は出資者となり、共同出荷を行う。

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・自然栽培のお米と梨を生産している(彼には年長者であり、社長を引き受けてもらっている)

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・露天原木椎茸栽培(庄内産の餅米で丸餅を製造してもらっている)

・南瓜・さつまいもを主力としている、
・栗・さつまいも・里芋・かぼすを主力としている、
・南瓜を主力としている、
・山菜採りの名人も加わっている等々の農家の面々。
それぞれが、得意の分野で農産物をむかし野菜の邑の出荷場まで持ち込んでくる。
 
二つ目のグループは、インナーの農園主やスタッフ達。
佐藤自然農園は、年間百種類以上の野菜を生産するむかし野菜の邑の中核農園、すなわち私である。
男子4名の将来的に農園主として独立していくスタッフ達。
女子3名のむかし野菜のスタッフ達。
このインナーのスタッフ達は、共同生産・共同出荷・共同加工を行う。
このグループは、「結い」の相互扶助を理念として、働いた分は等しく分配を受け取れる仕組みとして完成させていかねばならない。
このグループはむかし野菜の邑の中核を担う農業後継者達である。
 
この邑では、農業の知識経験も無く、資金力も持たない若者達が、身一つで飛び込め、数年を掛けて
独立し、10年を掛けて、自立していくことをその事業の核にしている。
さらには、自然循環農業を市場に広め、多くの消費者に理解して頂かねばならない。
スーパーに常に並んでいる比較的安い農産物を食べ慣れた消費者に理解してもらうことは簡単ではない。
我々がどれだけ手間と労力をかけて、安全かつ健全な農産物及びその加工品を作ったとしても売れるとは限らない。有機野菜であろうが、自然栽培であろうが、消費者は概念で食べ続けられるものではない。
やはり野菜や農産物は、栄養価が高くて、美味しくて、品揃えがあって、食べて楽しいものでなければいけない。そして、何より、体が美味しいと言ってくれなければ高品質農産物とは言えない。
そうした努力や価値を評価して頂ける消費者を味方に付けることがもっとも重要となる。
そうしない限りは、折角復活させた自然循環農業は、そして、日本の先人達が作ってきた健全かつ高品質な農産物作りは、結局は消滅していくことになる。
健全かつ持続可能な農業生産者とその農産物を支持してくれる消費者達は一つのグループ、仲間達と考えている。このことが、むかし野菜の邑の精神であり、思想なのです。
 
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この精神や思想を一方的に若い農業者に押しつけることはできない。何しろこの労力の塊のような農業を維持し続けること、及び消費者との絶え間ないコミュニケーション活動には、不屈の精神力が求まられます。これが農園主の大きな命題であり、苦悩となるのです。
必然的に、むかし野菜の邑は、生産する農産物の品質のことを消費者市場に知ってもらうため、絶え間ない市場啓発・啓蒙活動をし続けていかねばならない大きな命題を抱えている。
 
農園主は、今までの数多くの消費者とのやりとりの中で、こう考えている。
自然循環の農法(低窒素・高ミネラル)で育てた野菜及び穀類は、それぞれの農産物固有の味香りがあるものなのです。そして、甘さだけではなく「旨み」があります。
所が、野菜であれ、穀類の加工品であれ、消費者や料理人達は、その農産物固有の味香りの無さに慣れすぎており、つい、味付けを濃くする習慣がついてしまっていることです。調味料・ドレッシング・旨み調味料などです。
その感覚や意識は、農園主も農業を始める以前はそうでした。
一つの例として、麦を草木堆肥で育て、始めて、麦ご飯として食べた時でした。

炊きあがったご飯を噛みしめたとき、今まで感じたことのない味と香りが口いっぱいに拡がっていきました。これには、我ながら驚きでした。裸麦を焙煎し、麦茶として飲んだときはさらに驚きました。
本来の麦って味香りがあったんだと・・・
これが美味しいと言うことなのだと改めて実感させられました。
消費者の感覚や価値観も様々です。この美味しさが口先だけのものなのか、体が美味しいと感じているのか、この違いは大きいように思います。
そして、美味しいとは、健全で、かつ、栄養価が高い農産物であることを決して忘れてはならないと思います。

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農園日誌Ⅱー「活きること」PART20ー本社社屋建設

2019.6.5(水曜日)晴れ、最高温度29度、最低温度19度

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                       麦物語

 今年も第一陣の麦の収穫を行った。
早速、皆様に焙煎した麦茶をお送りした。折悪しく蒸し暑い日々が続き、汗を流しながらの焙煎作業であった。
麦茶は当農園では裸麦で作る。市販のもの(大麦)とは異なり、一味違う味と香りがしてくる。たとえて言えば、暑い盛りにごくごくと飲み干すのではなく、テーブルの上に茶托を置いて、ゆっくりと味わう。そんな表現がぴったりとくる味です。

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早速、お客様から催促のメールが届く。
「麦ご飯セットはまだでしょうか?待ちきれなくてご連絡を致しました」
これは裸麦8:古代麦2の割合でブレンドした麦ご飯です。お米カップ1杯に大さじ
1が基本にします。これも香しい味と香りがするご飯となります。

さらに農園の直売所で、お客様から催促がありました。
これが表題の写真の野菜万頭です。
具の中には、キャベツ・玉葱・乳酸発酵の漬物などが入っており、それはそれで美味しいのですが、何といっても、この万頭の特徴は、皮にあります。
噛んでみると、最初は具の美味しさが出てきますが、最後は皮の味、即ち、麦の香りが突然と表れてくるのです。
これは、中力小麦8;古代小麦2を粉にしたものです。

麦の圃場(大豆も同じ)が草木堆肥による土作りが進んで、一段と美味しくなりました。むかしの人達は随分と美味しい穀類を食べていたんだな!と実感しております。
課題なのは、低窒素自然栽培であるため、収量が慣行農法(化学肥料や牛糞)に
比べて半分もしくは2/3にしかならないことです。


「活きること」ーむかし野菜の新社屋建設
2016.12.22 六次産業化事業育成補助金の交付

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軒下二間(360センチ)、広い外空間がある。ここには、玉葱・にんにく・干し大根と野菜が大量にぶら下がる。所謂、乾燥ヤードとなり、同時に、野菜などの整理を行う。農家にとっては大切な土間となる。この空間が以前より欲しかった。
イベントやセミナーなどの際は、机・椅子が所狭しと並べられる。
この空間にも農林水産省はかなりしつこく問い合わせがあった。

 
大分市へ社屋建設に向けた開発許可手続きを進めながら、六次産業事業育成補助金の申請・折衝を行っていた。
国の補助金など始めてのことで、適合資格や前提条件などがやっかいなことは覚悟はしていたものの、これがまた、開発許可申請以上に規則・適合基準判断の狭さや前例主義に阻まれた。
民間の常識ではあり得ない役人の常識があるらしい。
 
設計図と施設利用計画書を送ると、施設の利用図を提示するようにとして、大分県及び大分市を通じてこのような回答があった。
 
①更衣室や事務所は補助金対象外であり、事務机・ロッカーは置けない。
②社員用便所は対象外。
③多目的施設や部屋は認められない。使用目的を限定すること。
④外部への排水施設工事一式は対象外。
 
この施設は、集荷した野菜の整理ヤード・箱詰めなどの出荷ヤード・農産物の加工ヤード・製粉室及び竈や麹部屋・加工品及び野菜のストックヤード・訪れた子供連れの休憩ヤードからなっていた。
 

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この施設は、常には、農産物の収穫整理及び発送作業を行うが、時には、加工作業・加工品のストックヤードとなり、農産物直売所となる。
そのため、温もりのある施設にしたかった。

①②の更衣室や休憩ヤードは補助金対象外建物として、別途建築することにして、社員用便所もそちらに付けた。④はこちらで折衝する事を諦めた。
この時点で、補助金2/3に減額されたため、当初計画していた借入金は7百万円増加し、計画していた収支計画や返済計画は大きく狂っていた。
 
国や県の対応が余りにも紋切り型で官僚的でもあり、補助金申請を断り、施設計画も変更を決意して、熊本の農政局支所(九州の本部)へ質問状と共に、大分へ出向いてくるように強く要請した。
県及び市の担当者同席の上、熊本農政局の担当者と向かい合い、その場で、このように切り出した。
 
「貴方方は、国の農業振興を担う重要なポジションにおられる。日本の農業は大きな曲がり角に来ており地域農業の壊滅の危機に瀕している。農業者が真に独立しなければ、今後の日本の農業は衰退していくしか無い。そのための、一次産業である農業生産と二次産業である加工産業及び販売サービス産業である
三次産業の融合を目指しているのが、この六次産業化ですね。その点の確認ですが、よろしいですか?」
 
皆を見回していると、市の担当者だけが納得している顔をしていたが、他は渋々一様に頷く。
 
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竈(おくどさん)は、昔の農家にはみなあった。
職人さんがかなりこだわってくれて、このような味のあるものになった。
ここは、味噌作り(米を蒸し、麹を作り、大豆を蒸し、味噌を仕込む)には大活躍することになる。
年に数回繰り返す農園体験会・セミナー・料理体験会などでは、美味しい美味しい竈炊きの御飯ができる。

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かなり雑然としているが、ここには、乾燥機・製粉機・精麦機・大豆等の色彩選別機・篩機などがあり、穀類にとってはもっとも大切な施設となる。

「トイレ・更衣室・事務所などが無い施設は、最早、事業所でも無く、福利厚生以上に問題である。
この点において、貴方方と議論するつもりはありませんし、その補助金を認めなさいと言うつもりもありません。呆れかえって、諦めました。この補助金というものは、私達の血税からなっているものであり、社会の常識とかけ離れた貴方達役人の恣意によって運用されるものではありません。
今日お呼びしたのは、多目的利用は補助金として認めないと言う一点です。
そこでお聞きしますが、この六次産業化の補助金は一体誰に対して助成するものですか?
貴方方の言い分をお聞きしていると、一つのスペースを一目的にしか使用してはならないと言われておりますが、大量生産を行う大企業ならば、そうでしょうが、この補助金を活用する農業者は元来が零細企業ですよ。例えば中央の一つの小さなホールは、ある時は、野菜の整理ヤードであり、それが終わると今度は出荷ヤードとなり、別の時は加工品製造ヤードになり、またある時は、お客様への売り場に変ります。お昼などはスタッフの昼食ヤードにも変ります。
そうしなければ、莫大な投資を余儀なくされ、中小零細企業は成り立ちません。
この施設は、私の個人事業では無く、地域活性化・農業の振興・農業後継者の育成・グループ営農による農業者の自立を目的にして、一部個人の資材を投入し、国の補助金助成を求めたものです。
この計画は大きく遅れてきており、実質損害も発生しております。これ以上議論する時間も余裕もありませんので、今すぐに回答を求めます。そうでなければ、この補助金申請は今日引き下げます。
但し、その際は貴方方も覚悟しておいて下さい。国の六次産業化育成事業の補助金は、その適用において大きな問題を抱えていることやこの交渉経過や子細を、本局に抗議に行きます」

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庭は、農園主の手作りです。昔取った杵柄と言うか、学生時代、造園会社に
下宿しており、そこで3年間、庭作りのアルバイトを行った経験があり、それが役に立った。

 
実に疲れたやりとりであり、不毛の議論でした。
この後、大きく減額は受けたものの、何とか補助金は認められ、とにもかくにも、むかし野菜の邑の新社屋着工に漕ぎ着けた。
 
国の様々な補助金助成金は、不正利用を排除するために、ある程度は制約を加えざるを得ないのは分かるが、あまりにも硬直化しており、汎用性に乏しく、現実に即さない形で過度に限定し過ぎている。
そのため、その施設は、事業者が意図した用途に使われにくくなったり、無駄が多くなったり、資金が掛かり過ぎたりして、紋切り型の事業となり易い。この国の形は、どこかおかしい。
何より、与えているとの意識は、国会議員や公務員が公僕であると言うことを忘れている現れであろう。
 
市の開発許可取得、規制だらけの補助金申請に難航し、予定より一年半も遅れて、ようやく、新社屋が完成した。担当してもらっている公認会計士から、「佐藤さんが、まさか制約だらけの国の補助金の申請を行うなんて、国の補助金行政は、使う会社はほぼ限定されており、優良企業は使いませんよ」とも言われた。
とは言っても、小さな農業グループに、そして先も残り少ない農園主が数千万円の投資をして、農業の未来を託すべき若者達の将来のために、新たな事業と仕組みを作るのだから、やはり負担はできうる限り、少ない方が良い。唯、その交渉折衝は私にとって苦痛であり、上から目線の態度は屈辱的でもあった。

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保冷庫が二つ。その一つがこれです。収穫した穀類・じゃがいも・玉葱などを10度以下にてストックしておく。もう一つが漬物ヤードです。
この保冷庫ができたおかげで、安心して農産物や加工品を保管できるようになった。

農園日誌Ⅱー「活きること」-PART19ー新社屋建設へ向けて

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                     トマトの剪定誘引作業(5番の畑)

 今年もトマトの管理作業の季節になった。
日差しは5月と言うのに強く、畑に這いつくばって作業をしていると、ふーっと意識が遠のくような感覚に襲われる。熱中症の症状である。次にはクシャミが出て、あくびが出る。ついには、寒気がし始め、悪寒が走る。
もっともそうなる前に水を飲み、軽トラックに逃げ込み、しばし、休むことにしている。
他のスタッフは出荷作業に追われており、日中炎天下の一人農業となる。

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         これは本支柱を立てる前のトマトの初期設定作業

斜め45度にトマトを傾け、一つのトマトに3~4本の枝を伸ばすための準備作業。
枝を左右に振り分け、角度を変えて枝が交差しないように伸ばしていく。
根元に近い葉や重なった葉っぱは落とし、風の通りを良くし、太陽の光を木漏れ日のようにトマトに当ててやる。かなりな経験が必要となる。
ハウス栽培の場合、ベテランの農家は13~15段までトマトが成るように設定する
露地栽培の場合は、雨風に晒され、とてもそんなに枝を伸ばすことは出来ないが、
それでもうまく初期設定作業ができると、10段近くまでは可能となる。
枝の長さは最大5メートルにまで伸ばすことが出来る。


「活きること」ーPART19ー本社社屋建設に向けて

2015.4.20  開発許可の取得
 
2003年に佐藤自然農園を開いてから12年が経過していた。
この頃、定期購入のお客様は飲食店8軒と個人220余名であり、全て直接販売であった。
この頃、直販型の有機野菜生産農園は一農園に100余名の個人客と飲食店数軒といった規模が、実情であり、全て家族経営で行っていた。その通常モデルから考えると、当農園は、かねてから考えていた次の段階、グループ営農集団を形成していく時期にきていた。
そのためには、佐藤自然農園が生産から販売・加工を全て行うことを止め、新たに(株)むかし野菜の邑を設立し、その販売と加工部門を会社に担わせ、当農園は一生産農園の位置に置くべきであると考えた。
現状は、当農園がむかし野菜の邑の販売額の85%を占めており、この比率を下げるべく、この会社に参加している個々の農業者の力を強くしていく必要がある。
また、当農園を研修終了後、若者達を農園主としての独立させるため、彼らの育成に全精力を注ぐことにした。

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偶々、国が六次産業育成事業(補助金助成)を行っていることを地域振興局から知らされ、又、その申請の打診があり、(株)むかし野菜の邑の新社屋建設を行うことにした。
これ以前から、無添加醸造味噌・乳酸発酵の漬物は製造しており、その貯蔵する保冷庫を必要としていたため、製粉機・乾燥機・精麦機・色彩選別機などの施設と併せて、農園直売所・出荷ヤードも兼ねて
数千万円の建設予算を組んだ。
農産物全売上が18百万円に比べて大きな投資となる。国や金融機関からはやや無謀ではとの意見もあったが、自信はあった。銀行員時代、総借入額が売上の2倍以上になると危険と言う判断基準がある。
そのことを見越して、生産面では、穀類の増産と、その加工品製造を企図してきた。さらに、特定市場に向けたコミュニケーション戦略(販路拡大)も考えていた。
 
社屋建設予定地は、佐藤自然農園の作業小屋に近接する大分市の市街化調整区域内にあり、開発許可が必要であるが、その許可申請において、大分市の開発課との交渉折衝は難航を極めた。

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          むかし野菜の邑新社屋建設地

雑木林の覆われていた用地は切り払われ、業者によって切られた雑木は全て堆肥場にて燃やして、草木灰とした。
向こうに見えているのは、社会福祉法人の建物。社会福祉法人の施設の場合は良くて、農業施設には難しいと言うことは無い筈。

※市街化調整区域とは、市が上下水道の設置が困難な場所に設定した区域であり、基本的には、住宅や店舗の建設が禁止されている区域のこと。但し、農業に供する目的の建物や社会福祉のために使用するものであれば、例外的に建設が認められている。
 
日本の役所の事勿れ主義に辟易し、このように行政担当者には告げた。
大分市の開発許可の行政立法の細則をここに出しなさい。その中には、市街化調整区域に於ける例外規定があるはずであり、開発許可を出せない正当な理由を示せ。君たちは、日本の農業の危機的な状況を分かっているのか?貴方達の言う様に調整区域に農業目的の建物を許可した前例が無いから許可できないと言うのであれば、農業しかできない調整区域は益々、衰退し、農業もやっていけなくなるでは無いか」と・・・
日本の行政(国の法律)は、規制でがんじがらめにされており、身動きが取れない。その運用に当たって、役人達の前例主義や腰の重さはそれを増幅させている。正に規制国家と言われる所以である。
日本の行政及び役所という処は、江戸幕府の役人と一向に変っていない。これが結果として江戸幕府を終わらせた一つの要因であったのだが、このような状況を続けていけば、地域が凋落し、民力が衰え、やがて国も立ちゆかなくなっていくことになるだろう。
これを唯々諾々として受け入れている国民にも大きな問題があると感じていた。何故、正当な権利を主張しようとしないのか、兎に角、一歩も引き下がる考えは無かった。
その後、ようやく約一年間を要して、開発許可を何とか取得したが、私の思いも先行き暗雲が立ちこめていると感じた。
 
衰退していく農業、そして、その再生を行うしか立ちゆかない地域の現状は、暗いものがあり、有機農産物及びその加工品製造によって、何とか地域の衰退を食い止める、との思いから始めた農業であった。
そのために、県内の市町村を回り、首長(市町村の長)に問いかけ、有機農業の勧めやグループ営農の必要性を説いて回り、農業セミナーを何度も開催したこともあった。

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      由布市で開催した美味しい野菜作りのセミナーの風景

 有機農法や自然栽培の話しはメモを取り、熱心に聞いてはくれたが、肝心のグループ営農の話しに移ると、急に熱が冷めていく。一体何時の頃からだろうか、村落で助け合って農業をしていた「結い」の精神の記憶はすっかりと消えていたようだ。
これに失望して、結果として、自らが農園を開くことになったのだが・・・

有機農業の農法の話は、興味を持っている農業者も多く、熱心に聞いてはくれた。但、一人農業では、慣行農業(近代農業)による農産物で占められた巨大流通には立ち向かえないことは分かっており、広い意味の有機農業のグループ営農の必要性を説いてみても、農業者の関心は引かなかった。
農業者に向けた有機農業セミナー開催も無駄だと悟り、自ら農園を開き、ようやく12年間でその橋頭堡だけは確保できた。
唯、12年間も要した。年齢も66歳になっていた。
とても一代でできるとは思っては居なかったが、農業の、自然循環農業の奥の深さは、私の予測を大きく上回っていた。
その思いもあって、グループ営農の拠点を作るためには、どうしても新社屋は必要となっていた。
 
以前は有機農業に関心を寄せていた農家の人達も、歳を取り、気力も衰え、やる気は無くなっていた。その子供達の世代はと言うと、農業そのものを嫌っている。
今や、農業や農地を自分の子供達に受け継いでいくという農業及び農地の基本的な政策や考え方は、すでに崩壊している。
通算10数回の農業セミナー開催を通して、意欲の衰えた既存農業者や農業を嫌う農業後継者を説得していくより、農業を知らない若者達を育てて行った方が早道であると感じていた。

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        大豆生産の後、野焼きをしている風景