農園日誌Ⅱー「活きること」PART24

2019.7.3(梅雨雨)最高温度26度、最低温度19

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                  開封前の本醸造味噌

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 季節は本格的な遅い梅雨入りとなった。
長さ80mの畝が7列、30度を超える日中に、下葉・中葉などの込み合った葉を落とし、風と太陽をトマトに当ててやる剪定誘引作業が続いていたが、今度は、じとじととした雨が降る最中に、合羽を着込んでの剪定誘引作業が続いている。
葉っぱに潜む十星テントウムシやトマトを食い荒らす幼虫を潰しながらの作業は、
どちらも耐え難い作業となる。

それでも、良いのか悪いのか、その雨の中、トマトが第一次の最盛期を迎えようとしている。
この時季は、トマトがほんのりと色付き始めると、雨のため、すぐに割れてしまう。
本当に湿気には、敏感な奴です。
そのため、鬼取りと称して、わずかでも熟れの兆候が出ているまだ青味の残るトマトを無情にも収穫しなければならなくなる。食味も太陽が照り付ける夏とは違って、
やや甘味に欠ける。唯、お客様の元に着くころは、真っ赤に染まってはいる。

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 梅雨時期は、トマトだけに集中してはいけない。ピーマン系(万願寺・伏見とうがらしやパプリカ・黒ピーマン、そしてピーマン)も待ってはくれない。
初期的な支柱はしているものの、小枝が無数に出ており、これも剪定誘引作業が
必要となっている。
明日は梅雨の一休みの頃合いであり、早速に中ほどに無数に出てしまっている小枝を落とし、風と光の途を確保してやらねばすぐに生き尽きてしまう。


「活きること」PART24

2017.12.3.    味噌作り

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大豆の種蒔き作業、この年は空梅雨で、堆肥撒きはうまくいったが、今度はすぐに夏の乾季が襲ってくることになる。
種は蒔いたが、雨が降らなければ、発芽が危ぶまれるし、鳩が大量に襲来し、丹念に撒いた大豆を拾っていく。この対策に追われることになる。
 
 一年を通して消費者にお届けしている無添加醸造味噌は、大豆の収穫が終わった12月頃から始まる。
その年の大豆の出来栄えで全てが決まってしまう。
大豆は夏場、7月に入って、梅雨が終わったらすぐに種蒔きが始まる。処が、梅雨明け時期が問題である。
何しろ、大豆や麦の圃場は、以前田んぼであったところが多く、当然に泥が溜まっており、極めて乾燥状況が悪い。草木堆肥を振るにも、唯でも堆肥を満載して軽トラックがその旧田んぼに入ろうものなら、すぐに埋まり込んでしまう。タイヤショベルを動員して引っ張り出すこともある。
何とか堆肥を無事に振り終えたとしても、トラクターで耕耘する際、まるで泥田に入るごとくである。
そこに大豆の種を蒔き、管理機で土掛けを行う作業も埋まり込んでしまい、まったくうまくいかない。
 
さらに、夏場の種蒔きであるから、梅雨が終わったら、すぐに乾季に入ってしまい、畑はカラカラになり、大豆が育たないこともしばしばである。また、夏草の繁茂は凄まじく、大豆が芽を出したとしても、すぐに草に覆われてしまい、当然ながら草に負けてしまい、大豆が結実しないことも多々ある。
草に覆われる前に、草刈り機で畝下の草を除去しなければならない。
この一連の作業は実に暑い暑い夏場の作業となり、スタッフは汗だくでへとへとに疲れる。
当農園では、当然に除草剤を使わない。これが大豆の出来不出来に直結する。自然栽培とはかくも過酷な農業なのです。おそらく、全国でも稀有な大豆の自然栽培となる。
 
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 何を植えているのか分からないほどに、夏草が多い尽くし、管理機を入れたり、草刈りを行ったりしても、御覧の通りの状態となる。これが大豆の自然栽培の風景です。季節は実りの秋、11月末となる。

味噌作りは、先ずは、米麹作りから始める。そこで使われるお米は平野さんの自然農米。
加工所の竈で蒸され、隣室の麹部屋で麹と混ぜて囲う。二昼夜、付きっきりで管理する。温度が60度以上になると、雑菌が入りやすくなり、何より、麹が傷んでしまう。
常に50~60度程度に留めておくためには、6時間おきにチェックし、高温になりそうだったら温度を下げたり、温度が上がらない場合は、室温を上げたりの調整管理が必要になる。

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お米に麹の花が咲きました。蒸し加減が難しく、水分量も上手くいかない場合も多い。この時は、気温湿度・水分量がほど良かったのでしょう。
唯、食感がやや異なる程度であり、旨味はほとんど全て自然栽培の大豆やお米から出てくると思われる。麹は専用の麹部屋で作られる。


麹が3日ほどで完成したら、大豆を一昼夜水に浸し、竈で大豆を蒸して、中指と親指で挟んで潰れる程度になったら、できあがり。粗熱を取り、米麹と天然塩を加えて混ぜ込み、潰し、味噌玉を作る。
その味噌玉を空気が入らないように瓶に押し込む。上に塩を振って虫や病原菌を予防しながら、8ヶ月間ほど寝かしてようやく無添加醸造味噌が完成する。
米麹の量を増やせば、甘めの味噌となり、麹と大豆の比率を変えながら、毎年実験を繰り返している。
味噌樽を開ける際は、うまく出来ておりますようにと祈りながら、毎年どきどきしている。
この味噌を一年間の間に皆様にお届けしている。

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農園の竈は、味噌作りのシーズンになると大活躍する。以前は、大豆を煮ていたが、大豆たんぱくやアミノ酸が溶け出しして、もったいないな!と思っていた。そこで竈ができてからは、三段重ねで大豆を蒸すことにした。
これだと大豆の栄養価の流失は最小限となり、美味しい味噌ができる。
この竈は、米麹を作る際も使う。
イベントなどがある場合は、みなさんに竈で炊いたご飯が出せる。
 
農園で消費者の方々全員にインタビューを試みた。
支持率98%とこの醸造味噌は人気が高く、皆様の満足頂ける生産量を確保できないのが、残念ではあるが・・・。
 
かっては、何処の農家でも、また、一般家庭でも自分の味噌は自分で造るということが、そう遠くない時代に行われていた。地場の味噌醤油の醸造元も多数あった。
戦後復興期、生産量を増やせ、産業を興せの大号令の下、都市部に人口が集中し、需要が増加し、巨大マーケットを形作る時代になって、各地の醸造元がとある資本家から集められ、地場の醸造業者が味噌・醤油屋として、合資会社を形成したのが、現代の味噌醤油などの大生産会社の始まりであった。
その会社が生産する味噌醤油の多くは、手間と経験と時間が掛かり、リスクの伴う本醸造ではなく、大豆を絞り、その豆乳のような液体に、塩酸を掛け、味噌の味のするアミノ酸に変化する製造方式にシフトしていった。
それでは旨みや香りが足らないと、旨み調味料や香料を付加し、色が悪いと言って着色料も加える。
ある化学者がテレビでこのように豪語していたのを思い出す。「味噌や醤油などは、化学を使ってどのようにでも作れる」と・・・。
これは何も味噌醤油だけの話ではなく、まるで一つのお菓子を商品開発する工程に似ている。
多くの市販の漬物もそうである。日本の至る所に、化学合成された食品が出回っている時代になっている。
流通の過程で、密封された加工品は、流通及び販売途上に変化しては困る。特に生きている発酵食品は始末に困る。乳酸発酵などにより、流通途上で如何に真空パックに入れようと、生きているものだからやがて膨れあがり、ぱんぱんになってしまう。当然、滅菌処理をしなければならなくなり、もうその段階で、その味噌などは醸造された発酵食品ではなくなってしまう。
それならと、本醸造された発酵食品は大量流通が難しいため、徐々に消えていき、今の化学合成味噌になってしまった。
このようにして、大量の物流・大量の消費社会においては、流通する食品は、何らかの化学薬品漬けにならざるを得なくなっている。東大のある名誉教授は、大量に流通する加工食品には、添加物は不可欠であり、それらが無いと、経済は成り立たず、結果として消費者のためになっていると断言している。

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大豆が蒸し終わると、米麹と塩(減塩12%)と合わせて、ミキサーに掛け味噌玉を作る。これを空気を入れないように甕に押し込む。
ほとんど一日仕事になる。米麹を作るところから行くと3~4日の工程作業となる。約一年寝かして本醸造無添加味噌が完成する。
米・大豆・塩も含めて生産段階から化学物質は一切含まれない完全無添加の味噌が出来上がる。おそらくは、ここまで徹底した味噌は全国にも無いと断言できる。

その添加物等は、安全基準を作って、添加量を調整している。
例えば、1/10ならば安全とすると、もし万一毎日食べても安全ということなのだろうが、他の加工食品も毎日食することになり、一日三食、10種類の味噌・醤油・弁当・お菓子・パン・調味料などを複合して食べると一体どうなるのだろう。
皆様は、この時代のこの現実を如何にお考えになられるでしょうか。
決して不安を煽るつもりもありませんが、一つだけ言えることは、ご自分の体や健康は自分で守るしかないと言うことです。
 
農園主は、野菜・農産物・及びその加工品を消費者へ直接販売している。但し、このように付け加えている。「生きているものですから、なるべく早めにお召し上がり下さい」と・・・
先の味噌の支持率ですが、要らないと答えた方の2%は、自ら味噌を造っているそうです。

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高菜漬けを作っている処。
これもスタッフ全員で天然塩でもみ込み、塩で水分を出し、さらに、とうがらしなどを加えて、本漬けにする。
同じように乳酸菌発酵の漬物は、大根・胡瓜・茄子・瓜などがあり、塩・酢・酒粕・砂糖しか加えない。自然と乳酸菌発酵した漬物には、昆布や鰹節おのグルタミン系も加えず、素材の美味しさを引き出すことにしている。