農園日誌ーこの国の行方ー序章 PART1

28.11.30(水曜日)曇り、時折晴れ間、最高温度15度、最低温度11度

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             玉葱二万本が植わっている5番の畑

来年は保冷庫ができるというので、全体では5万本の玉葱を植え込んだ。
それとても一年は持たない。
順次収穫をし、広い新社屋の軒下にまずは吊るし、適度に乾燥させてから、保冷庫に取り込む。いきなり保冷にかけると、腐ってしまう。手間がかかる。

今日は、午後から、由布市庄内の4反の畑に野焼きをし(間断なく降り続ける雨で中々に乾燥してくれず、草を焼くにも骨が折れる。
今日からメンバーに加わった窪田君も含めて総勢7人で赴く。
今年最初の麦蒔きを行う。この調子でいくと、4反全部、草を焼き、草木堆肥を振って、耕し、焼き灰・牡蠣殻なども振って、種を蒔くと、おそらく4日を要することになる。
ここには裸麦(大麦)と中力粉(地粉)の二種類の麦を蒔く。

他には、由布市狭間町の1反余には、ローマ時代から栽培されていた古代小麦
(一粒小麦)を蒔くようにしている。これは、交配〈改良〉を重ねてきた現在の小麦とは異なり、おそらくは、小麦アレルギーにもならない品種になる。
今から楽しみだ!

去年生産していた中力粉小麦が(苦労を重ねて天日干しを)ようやく粉になって帰ってきた。みな、その出来栄えにやや興奮気味。
食糧の糧の字は「かて」と読み、正しく主食となる穀類のこと。やはり、野菜生産とは異なり、どこか荘厳な重みを感じるから不思議だ。当グループで生産する穀類は、全て自然農生産である。
来年の春頃から新たに建設する製粉所にて粉にして、皆様に送ろうと考えている。

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いよいよ、壊滅状態にあった秋野菜の配送再開が来週から始まる。

いつもは当たり前にあった野菜達ではあったが、例年になく苦労を重ねて、マバラに育っている秋野菜が
人一倍、愛おしい。

苦難を乗り越えて、
出荷の時を迎える。


―この国の行方―序章、PARTⅠ 農業を取り巻く厳しい社会的環境
 
 人が生きていくには、食べ物が要る。
それでは、どんなものでも良いか?と言うと、皆、安全で栄養価のあるものが良いと答える。
 
前職の銀行では、人の欲の世界の複雑さとその限りない色合いと深さを随分と体験させられてきた。特に、事業再建に取り組むことの多かった仕事内容から経営側の苦悩や経営者たちの生き様も見てきた。そこで学んだものも大きかった。
当時は、日経新聞を毎日欠かさず目を通し、世界の動きや日本の経済のトレンドを注視してきた。
前職で身に付けたものが、人の欲求とニーズ、価値観と思想などの人の心の動きや、自然地形、立地、気候風土などの地理的条件を、細分化することによって市場動向を探るマーケティング的考察能力であった。
 
人間の欲に振り回され続ける組織人としての会社員を脱し、重たい鎧(肩書)を脱いで、自由人として残りの人生を如何に生きるかを自らに問いかけてみると、どうしても「食」の分野しか残されていないように思われた。
会社員時代に、国の農業白書を数年分読んだり、世界の農業の状況や保護政策の仕組みを読んだり、小さな畑を借りて、様々な農法を試したり、などの結果、日本の狭い国土に見合った現在の自然循環農法(むかし農法)に行き着いた。
 
 この農法で生産された農産物なら、中山間地を多く抱える日本の国土でも十分に、外国産の大規模機械化農法(化学肥料・農薬による粗放農業)による安い農産物にも対抗し得ると踏んだ。それは、日本の先人達の叡智による農法でもあった。
実験農園を始めてから25年、ある程度その農法の野菜生産技術も確立した。生産者や消費者に対して、市場啓蒙・啓発の活動も続けてきた。
去年頃からは、小麦・大豆・とうもろこし・雑穀などの穀物生産にチャレンジを始めている。
何しろ、全ての化学物質を排除した自然農生産のため、道標は、わずかに先人達の農法しかなく、手探り・試行錯誤の連続であった。
今まで農業を全く知らない若手の農人の養成(後継者育て)も数年前から本格的に始めている。今では研修生も含めてスタッフ10人のうち、若手は7人である。前からの同行の生産者7名を加えても、わずか17人しかいない。

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そこに立ちふさがってくる巨大な壁が、いかにも大きい。

一つは、国の従来からの政策である量の拡大・規模の拡大・単一栽培農業・大型機械化政策にある。
この政策によって生み出された商社化した全国農協組織であり、農産物知識を必要とされないスーパーなどの巨大流通組織がある。
そのシステムでは、安心・安全・栄養価・美味しさなどの農産物に本来的に必要な品質は評価されない。
評価されるのは、量・見栄え・規格サイズ、そして価格である。
 
二つ目は、荒廃し始めた日本の大部分の面積を占める農村地域である。
その荒廃は、主に地域の大部分を占める兼業農家の心にある。
地域には専業農家を探すのも難しく、担い手の居なくなった圃場は地域にわずかに残った専業農家に農地の維持管理を託さねばならなくなっており、限界に近付いている。
先祖代々から受け継いできた日本の貴重な財産である水田で米作りを行い、用水路を維持整備してきた地域の担い手の老齢化(平均年齢67歳、実態は75歳とも言われる)が進行中。
彼らの後継者はその生活を嫌い、将来への希望が持てず、地域からすでに去っている。
 
かっては、お米の裏作に、小麦や大豆などを植え、農閑期には、建設土木の作業員として生計を支えてきたし、ある意味、豊かな農園風景を維持形成してきたのだが・・・
わずかに残った専業農家はすでに農協離れが進み、自立への模索を始めている。大部分の兼業農家は文句を言いながらも肥料・農薬・農機具・農業資材の購買から農産物の販売まで農協に託さねばやっていけず、正しく従属している。
 
 そこでは、良質な農産物を生産するという農人の誇りも失いかけている。
未来への希望もなく、子供達へ農業を続けてほしい、祖先からの農地を維持して欲しい、との言葉をすでに失っている。
地域の維持すら難しくなっており、農村の崩壊が進み、治水・国土保全が難しくなっていく。
 
最後の三つ目は、都会に住む消費者達の無関心さにある。
3.11の大震災後の原発放射能汚染という不幸な人災が起こった後、主に関東を中心とした消費者に農産物等の健康・安全への関心が一気に深まった。
時間が経過するにつれ、その関心も薄れつつある。
食の安全とは、放射能汚染のことではなく、化学物質漬けになりつつある農産物も含めた食品のことではないかということにお気づきの方はあまり多くは無い。
日本では、放射能汚染や遺伝子組み換え農産物のみクローズアップされがちであり、化学薬品漬けになっている食品については、安全性・栄養価・美味しさなどの品質に向けた関心度や知識は極めて薄い。
核心を突けないメディア報道も問題ではあるが、農産物への品質に対する消費者の価値観が広がりを見せない現状が、最後の大きな壁となって立ちふさがってくる。
 
これらの三つの大きな壁が、日本の農業の変化を阻んで、規制となって立ちふさぐ。
有機JAS野菜・有機無農薬・自然農などと定義されている野菜ですら、三つの壁(規制)に阻まれている。
安心安全の無農薬野菜が実は日本の気候変動によって農薬なしでは難しくなっているという農業現場の現実は歪められ、建前ばかりが伝えられ、真実の声が伝わっていない。
このことにまだ多くの国民は気が付いていない。
 
むかし野菜の邑での試みは、未だあまりにも小さく、その緒についたばかりである。
この先の展開を待つには、時間がかかり、如何にして生産者の育成・市場啓発活動などのスピードを上げていくか?が問われている。

私に残された時間はあまりにも少ない。
農園でくったくのない笑い声をあげている若い農人達の時間は、長い。
 
→PARTⅡへ続く。