農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

2021.4.28(水)曇り後雨、最高温度20度、最低温度12度

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                じゃがいもの花

 

じゃがいもの花が咲いたら、およそ3週間で収穫の適期となる。

春作では、じゃがいもの種類は多い。男爵・アンデス(赤)・メークイン

シャドークィーン(紫)・北あかり(黄)とそれぞれ用途は違う。

 

(戦後日本の農業推移ーその一)

 

 むかしは肥料と言えるものは、人糞くらいしかありませんでした。それも

そんなに大量に確保することはできません。肥え坪が必ず畑の角にあり、

人糞を入れては草や藁などを加え、熟らせてから施肥しておりました。

それだけでは足らず、草木堆肥を数年掛かりで作り土を育て、むかしの農業は

全て低窒素農業でした。

18世紀、欧州において硫安と言う化学肥料が誕生し、近代の農業は肥料によ

り野菜を育てる農業へと変わっていきました。農産物の生育期間はおよそ半分

に短縮し、生産量は飛躍的に伸びました。

日本に化学肥料が普及し始めたのは、戦後ということになります。

農業後進国だったわけです。

私がまだ幼少の頃までは、畑の角に草木堆肥場が残っておりましたが、束の間

の記憶に過ぎません。

日本では戦後、化学肥料と人糞の併用期間がしばらく続き、昭和30年の後半

になると、肥え坪も無くなり、日本古来からの草木堆肥作りも急速に姿を消し

ていきました。

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           ジャーマンカモミールの花が満開 

3番の畑にはこぼれ種で毎年カモミールの花が咲く。

この時季に合わせて、春、フレッシュハーブティセットをお客様にお届けしている。

 

野菜は本来、味香りや五味や食感などにそれぞれの個性があり、時には微効な

毒素を含んでいます。これは虫などの外敵から身を守るためのものです。

化学肥料や畜糞などの高窒素肥料で育った野菜はこの個性を無くしていきます。

そのため、害虫の絶好の食糧となります。そこで化学肥料の開発が進めば進む

ほど、農薬が不可欠となって行きます。近代農業では化学肥料と農薬がセット

で開発が進められました。

勿論、自然栽培でも害虫の発生は抑えられません。よく自然農であれば害虫は

寄りつかなくなると主張しているサイトがありますが、自然界にそんな農場が

あったら怖いですね。念のために・・・

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3月初旬、種を蒔いたビーツ。5月中旬頃、出荷予定。赤い茎が一際目立つ。

「野菜の血液」と言われ、血管を開き、コレステロールを除去してくれる。

女性にとって血液の循環を良くしてくれる優れものの野菜です。

 

 高窒素栽培で育った野菜は生育期間は短く急成長するため、倒れないように茎

には固い繊維があり、葉肉は薄く、食べると繊維が口に残り歯切れが悪く、

苦い味がします。野菜には炭水化物とデンプンが蓄積され続け、糖質やビタミ

ンへ変換されないまま出荷されます。デンプンは苦いのです。

野菜は基本的には窒素で生長します。地中に窒素分があれば野菜の中に成長

酵素ミトコンドリア)が発生し続けます。そのため、慣行栽培(化学肥料

と農薬)、若しくは畜糞栽培の場合、土中の窒素分が消えない限りは、野菜は

成長し続けることになります。

それらの野菜の中に吸収された窒素分は野菜の体内で硝酸態窒素(毒素)とし

て残ります。野菜は困ったことに土中に窒素分があればあるほど吸収してしま

う性質を持っているのです。

化学肥料施肥の歴史が長い欧州において、戦後すぐに「血液が青いブルーベー

ビー」が生まれたのです。地下水脈が繋がっている欧州では化学肥料によって

地中に硝酸態窒素が染み込み、飲み水が汚染され始めていたのです。

当時これは大騒ぎになり、有識者達が低窒素栽培の農法を探し、見つけたのが

日本の昔ながらの有機栽培でした。

こうした経緯があり、欧州にて「オーガニック野菜」が生まれました。

 

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