むかし野菜の四季ーPART2

2021.10.1(金)晴れ、最高温度30度、最低温度18度

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                サラダセットの畝

 

夏野菜が終わりに近づき、ようやく葉野菜の代表であるサラダセット(数種類の

野菜のセット)や小松菜・青梗菜が虫に食われながらも何とか育ってきた。

 

本の出版などがあり、しばらく、お休みしておりましたが、今月から農園日誌

を掲載して参ります。

「失われた先人達の叡智」が自然栽培の入門編でしたが、今回掲載していく

ブログは実践編の出版を念頭に置いた内容となりますので、やや難しくなって

くるかもしれません。よろしくお付き合いください。

 

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           土寄せする前の九条ネギの畝

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           土寄せが完了した九条ネギの畝

 

土寄せは除草作業と根元に酸素を供給してやる作業を兼ねています。

畝下の土をネギの根元に掛けてやり、同時に草を埋め込んでいきます。

そして、この土寄せは深く掘りあげることによってネギの根に酸素を供給して

やることになります。白根の部位が地中に埋まりますと、光合成をするために

さらに上に伸びようとします。

この作業を2~3回繰り返し、太く立派なネギに育ちます。

尚、九条ネギは分厥品種であり、一本のネギが数本に増えていきます。

香りの九条ネギ、味の一本ネギと言われております。

 

1.プロローグ 「日本の農業の歴史」

 

むかしは肥料と言えるものは、草・葉っぱ・柴・人糞くらいしかありませんでした。

それらを混ぜ合わせてほぼ1年間熟れさせた草木堆肥を田畝に施肥しておりました。

それに加えて肥え坪が必ず畑の角にあり、人糞を入れては草や藁などを加え、熟ら

せてから施肥しておりました。子供の頃はよくその肥え坪にはまっていました。

小学校3年生の頃から肥たごを担いで畑に出ておりました。

イカと瓜が好きでそれが食べたい一心でした。私が子供の頃は、スーパーなども

無く、野菜やスイカなどは自分で作るしか無かったのです。

草木堆肥は土作りのための元肥と呼び、肥え坪は野菜を太らせる肥料でしょうか。

 

19世紀、欧州において硫安と言う化学肥料が誕生し、近代の農業は化学肥料に

より野菜を量産する農業へと次第に変わっていきました。農産物の生育期間は

およそ半分に短縮し、生産量は飛躍的に伸びました。

ただ、日本に化学肥料が普及し始めたのは戦後ということになり、戦前の日本は

肥料栽培と言う点においては農業後進国だったわけです。

私がまだ幼少の頃までは、畑の角に草木堆肥場が残っておりましたが、束の間の

記憶にしか残っていませんでした。

日本では戦後、化学肥料肥え坪肥料の併用期間がしばらく続き、昭和30年の

後半になると、肥え坪も無くなり、日本古来からの草木堆肥作りも急速に姿を消

していきました。

化学肥料の普及とともに、農薬の種類も増えていき、化学肥料と農薬の併用を行

う近代農業のことを慣行農業と呼びます。

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             草木堆肥の切り返し作業
ど迫力でしょ。菌類や微生物が増殖中ですからその発酵熱で煙が出ているのです

この草木堆肥の中に無限大の菌類が棲んでいるのです。

コロナの真っ最中ですが、人間も菌類の一つであることをお忘れ無く・・・

 

 

日本が近代農業(慣行農業)に向けて突き進んでいる時期に、欧州では日本の戦

前の農法である有機農業を学び、オーガニック(有機)農業が近代農業のアンチ

テーゼとして行われるようになりました。誠に皮肉な話と言うしかありません。

これに合わせて日本でも有機農業の復活を唱えるグループが出始めました。

その農法は様々でした。牛糞などと藁を混ぜて厩肥を作ったり、海藻や骨粉・

魚腸を米糠に混ぜ込んだり、米糠・油粕を発酵(ぼかし肥料)させたり、様々な

有機農業が生まれていました。その多くは、土作りのための堆肥(元肥)と言う

より有機肥料と呼ばれるものでした。

この有機野菜の時代が約20年間続き、それこそ群雄割拠ともいうべき様々な工夫

がなされていました。

今から15年前頃、日本では有機JAS法なるものが国によって一方的に制定され

有機JASの認定を受けないと有機野菜と言う名称は付けてはならないと言うこと

になり、多くの有機農家は自尊心を傷つけられ、有機JAS認定を拒み、かつ、

高齢化も進み廃業していった有機農家が多かった。

 

有機JAS

有機物ならば何を使っても良い、化学合成された肥料及び農薬は使ってはな

らない」と言うことが基本ではあるが、様々な制約があり毎年煩雑な報告書を

提出し、商品を出荷する際は一枚50銭のシールを貼らねばならない。その規約

にはとても現実的とは言えないようなものもあり、いかにもお役所的なものも多

く、農業現場から見ると首をかしげるような部分も多い。

一番問題となるのは、一度取得してしまえば、事実上立ち入り検査も無く逆に緩

い法規ともなっていることです。

多くの消費者も何が有機栽培なのか分からなくなってしまいます。

その煩雑さと曖昧さから、年々有機JAS認定の農家が減っている。この法規には

規制のみで、有機農家へは国からの保護や支援はほぼ無いに等しいのです。

 

政府の農業軽視の姿勢が顕著になり始めており、農業人口の減少に歯止めがか

からない。

このまま無為無策が続いていると近い将来、深刻な食糧危機がもたらされること

を憂慮しています。

地球温暖化と異常気象により、成長が早く見栄えの良いハウスなどの施設栽培が

主流となり、天候に左右される露地栽培農家は減少の一途にあります。

本来、自然とともにあるべき有機栽培もその主流はハウス栽培へと傾きつつあ

ります。

 

異常気象の連鎖の中で害虫の異常発生が繰り返され、除草剤や危険な種類の農

薬が日常的に使われており、農産物の安全性が脅かされている。

県の広報室からこんなニュースが流される。「農家の皆様、ただいまカメムシ

異常発生しております。一斉に農薬を散布してください」

これは農産物をカメムシ被害から守るためには県全体で一斉に農薬を散布しなけ

れば効果が無いからです。

そんな状況下で、近年は「有機無農薬」という概念が先走り、これは流石に国も

非現実的であるとしてこの用語を使うことを禁止せざるを得なくなったのでしょう。

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       9月末、むかし野菜の邑の農園マルシェの風景