農園日誌ーもうすぐ端境期

30.3.7(水曜日)曇り、後雨、最高温度10度、最低温度3度

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                     麦踏の風景

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約三反の畑を全員で麦踏を行う。
3時間半を要した。

何故麦踏をしなければならないのか?
いろいろの説があり、定かではない。

踏んでみると、何となくこうなのかとも思う。


冬の間に霜柱が立ち、根が浮き上がっている。力強く踏んでやると根が埋まり込む。
踏むことによって、根が大地に力強く根を張り、丈夫な麦穂が出る。
人も踏まれ続けると、立ち上がろうとする。生命の営みと言うか、強さと言うか、何となくわかったような気がする。自然の摂理がそうなのかもしれない。
私たちの世代の少なからざる者たちは、そのようにして育ったように思える。

昨今の若者(だけではないようであるが)は、この立ち上がるという気力が弱くなっているように見えるのが気になる。
永く押さえつけられ続けていると、反乱がおこり、時の政権を倒すような力が出る場合がある。それは歴史が物語っている。
昨今の日本も含めた世界では、権力を握った者たちが、自己の考え方を国民に強要しようとしている。
人達が長い時間をかけて、多くの血を流し、勝ち取ったはずの「自由」が損なわれようとしている。どことなく思苦しさが漂っているように感じるのは私だけでしょうか・・

人が生きていくのは簡単なようで難しい。唯生きているならば、さほどは難しくはないのだろうが、人は煩悩の塊であり、圧力を掛けられるのは誰しも好きではない。
それでも自分の意思や思いを押し通すことは、傲慢に繋がり、さりとて、人に気を使い過ぎて、周囲に合わせて生きていくことは楽でよいが、いつしか自分を失ってしまう。個人の尊厳と自由は何よりも尊ぶべきことだと、思うのだが・・・

野菜を育てていると、自然の脅威や流れに身を委ねながら、それでも何とか抗しようとする。
そんな中で学んだことは、自分は栄養価の高い、美味しい野菜を作っているという考え方はいつしか消えていき、天候や微生物・放線菌などの自然の営みの中で、
野菜が育っていく。自分たちはその手助けをしているに過ぎない。こんなに、美味しく栄養価の高い野菜は人が作れるものではないと言った考え方に変わっていった。

人の傲慢さは自然の中ではゆっくりと浄化されていき、人は生きているのではなく、
生かされているのだと感じられるようになった。少しばかりの煩悩と一緒に・・・

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先日、春の嵐が農園を襲った。
竹の支柱は折れ飛び、ビニールトンネルは乱れ飛び、足の踏み場もないくらい。
それでも農園スタッフは黙々と翌日から一週間かけて修復作業を行う。
ついでにトンネルの完全撤去作業を行う。

トンネルの中で育った野菜達は、急に暖かくなり、一斉に莟立ちを始めている。
この後、二三週間以内にそれらの野菜達は出荷せざるを得なくなる。
一時的に送る野菜が増えることになるが、その後、農園では深刻な野菜不足がやってくる。これが春の端境期である。
勿論それに対応すべくスタッフ一同は連日の畑作り、畝上げ、種蒔き、定植作業を
行っている。春の雨をかいくぐりながらの作業となる。

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男性スタッフのみならず、女性陣の手も借りる大忙しさである。
農園主は、次の出荷可能な野菜を9枚の畑から絞り出すことを考え始めている。
連日の草取り・畝つくり・種蒔き・植え込み・味噌つくり、そして出荷作業の段取りを
つけるべく、農園主の頭の中は大忙しとなる春の畑である。
なるべく早くこの忙殺される頭から解放されることを願っており、次世代への想いや
今後の農園の展開に、さらにまた、頭をひねる。

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佐藤自然農園の卒業生、後藤君の圃場(9番)に「わけぎ「」がきれいに育っている。
ようやくむかし野菜の邑の戦力になる畑が3年目にして育ってきたことがなにより
嬉しい。