農園日誌ー秋野菜の種蒔きーむかし野菜への思いPARTⅡ

27.9.9(水曜日)曇り、時折雨、後晴間、最高温度27度、最低温度23度

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              秋野菜の植え込みを待つ二番の畑

農園は、今、急ピッチで秋野菜の種蒔き・苗の仕立て・植え込みを行っている。
「残暑厳しい折から」の挨拶をする暇もなく、秋の装いが早く、畑の空きスペースを
見つけては、即、種蒔きを行っている。
こんなことなら、8月の酷暑の時季に人参の種を蒔かなければよかったと悔やむ。
おかげで、発芽しない種が多く、植えつぎの連続に忙しい。

大根は一列半、聖護院大根は一列、じゃがいもは8列、人参は3列、葉野菜は3列
蕪類は二列などと秋野菜の第一陣を(種蒔き)植え込んだ。
ほうれん草は中国の酸性雨の影響で発芽が弱弱しく、畝を潰して今日、石灰と灰を撒き、改めて種を蒔き直す。研修生達に石灰などの量が少なかったのではと振ると、あれだけ振ったのに!と・・・(弱アルカリ若しくは中性土壌を好むため)
酸性雨の影響で数年前と比較してペーハー調整のため約3倍の石灰等を撒かねばならなくなった。人参葱類なども同じ。地表には化学物質が大量に降り注いでいる。

明日は育てている白菜・キャベツ・セロリの植え込みを行う。
ここで当農園が植え込む秋野菜の一覧の主のものを列挙してみる。

じゃがいも・わけぎ・エシャレット・島らっきょ・赤蕪系2種類・白蕪系3種類・大根系
4種類・にんにく・九条葱・人参三種・セロリ・芽キャベツ・キャベツ・紫キャベツ・白菜
・トレビス・ブロッコリー・カリフラワー・レタス系5種類・青梗菜・小松菜・味美菜・
サラダセット7種類・いんげん豆など・・・
すでに育っている途中の野菜;秋ズッキーニ・筍芋・金時生姜・枝豆二種・牛蒡など・・・
これ以外にはカボス・栗・米里芋・さつまいも・南瓜などはグループの農園が生産している。(秋はこれらの野菜と夏野菜が混合してくる)

畑の空きスペースの確保に悩まされるのはこれでお分かりいただけようか?

秋野菜は同時に冬野菜でもあり、来年3月までの野菜の確保となると第五陣までの
植え込みが必要となる。まだ第一陣の2/3が終ったに過ぎない。
まだまだ先が永い。

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画面中央の機械は剪定枝の
破砕機。高級ベンツの価格

むかし野菜グループには無くてはならない頼もしい奴。
造園業者の人たちが堆肥場へ
持ち込んでくる剪定枝を
大きな枝は破砕し、細かな枝
は葉っぱと分別する。
これはみな手作業。
細かな枝は焼いて木灰にする。
焼畑農業と同じ仕組み。

数日前から、農作業の合間に、時間を見つけては、たまりに溜まった剪定枝の
破砕、分別作業を行っている。蟻に食われながらの作業となる。
草木堆肥の主原料となる、木屑や葉っぱとあちこちの畑の雑草を刈り取り、軽トラに積み上げ、この堆肥場へ集積する。これらの作業が実に大変な重労働となる。
その後、少量の牛糞(おが屑や籾殻が主原料)を加え、トラクターのロータリーで
混ぜ合わせ、タイヤシャベルで積み上げる。この作業が一年を通して行われる。

この忙しい秋野菜の植え込み時季に、ついに堆肥が底を衝いてしまった。
当農園の作業はこの草木堆肥がないと一歩もずらない。ちと遅くに失するが、急遽
堆肥原料作りの作業も急ピッチで行なわねばならない。真に慌しい秋の日。

何故そうなったかと言うと、今までお世話になっていた牧場(乳牛)が乳価低迷のため、廃業してしまったことが一番の要因。そこでは、配合飼料と草を半々にして、
なおかつ、畜舎に敷き詰めるおが屑や草を丁寧に交換していた。
そのため、そこから得られる牛糞は、化学物質が少なく、貴重な牛糞であった。
そのため、あちこちでその貴重な、良質な牛糞を探していた。(ちと、高いが)
やっと同地区に一つだけ、依然と同程度の牛糞が得られる牧場が見つかった。

(むかし野菜への思いーⅡ)

種子への懐疑(F1及び交配種と遺伝子組み換え種子)
有機野菜への懐疑(畜糞多投と薬品及び抗生物質
消費者の自然農への傾斜(農人としての「持ち込まない自然農」への懐疑)
むかし野菜への思い(無農薬栽培への懐疑と浸透性農薬のリスク)

これ以前の農園日誌では続けて以上のテーマについて語って(連載)きました。
私自身が生まれながらの農人ではないことと、銀行員として事業再建をテーマとして、マーケティングなどを学んできたため、他の農業者と少し違う発想を持っているようです。自分では分かりませんが・・・
おそらくは、農業への先入観がないことと、市場細分化及び分析などのアプローチの仕方を知っていることで、学者さんやマスメディア及び社会の常識にしばられずに
自由に発想ができるのかもしれません。

私が農業、特に有機農業を目指したのは、以下の理由によります。
日本のどこにでもある山に囲まれた地域、あるいは、農業しか産業が無い地域は
年々高齢化が進み、特に中山間地では、疲弊がひどくなり、田園風景が壊れ、人の結びつきや営みが壊れつつあります。後継者の居なくなった中山間地は実に近い未来は荒野になっていくしかない状況にあります。
そこでできることは、傾斜面に永い年を経て作られてきた段々畑の狭い圃場での
農業しかありません。

私はこのように考えました。

国が言うように単作農業を推進して、大規模農業や機械化農業(農業の近代化)を
推し進めることは、農業現場を知らない一部の官僚や政治家の妄想に過ぎません。
欧米のように大型機械が入る広大な平野がどこにあるのでしょう。
現にそのことにより、現在も農村部疲弊の深刻さがさらに進んでおります。

「もし、有機農業そのものの商品化ができ、高集約農業ができれば、穀物の内外価格差問題や地域農業の疲弊に対処できるのではないか」と・・・

県内の農村部の首長や助役達を説いて、地域の農業者を集めてもらい、有機農産物の商品化やグループ農業及び結の制度などを説いて回りました。
そこで見たものは頑迷な年配者と硬直化した行政の厚い壁でした。
それではと、自身で有機農業の商品化と農業者のグループ作りを目指すことになりました。これらのことは近いうちに語ります・・・

今回は、畑への化学物質の持込を出来るだけ排除する取組とその除去について
体験から得た考え方を述べてみます。

イメージ 3草や葉が堆肥へと変わる過程

草や葉が白っぽく見える処があります。
これは放線菌(黴)です。
勿論、微生物はあまりにも
小さすぎて見えません。

画面下の黒っぽい部分は堆肥化が進んだ処です。



自然循環とは、地球上に最初に誕生した微生物や放線菌が主役です。
もし、地球上に黴や微生物が居なかったなら、動物の屍骸はいつまでもそのままですし、朽ちた木は永久に倒れたままです。
つまりは、微生物達がその分解能力により自然の浄化作用を果たしてくれているからこそ、自然の秩序は(循環機能)保たれている訳です。
そこに人類が人為的に分子結合させ化学物質を持ち込んできたため、自然の浄化作用(循環機能)は変質せざるを得なくなりました。
人間(生命体)にも同じことが言えます。自己治癒能力(再生能力)がそれです。
元来生命体には不必要、若しくは害となる物質は排除されます。但し、次から次と体内に入ってくる化学物質は排除しきれなくなってきます。親から子供へと遺伝子にも
取り込まれていき、癌・アレルギー・アトピーなどの症状が発生してきます。
まるで残留農薬のようにです。

現在社会での環境汚染は、地球の永い歴史から見ると20世紀以降に突然に現れた凶悪な害虫のようなものかもしれません。
化学物質を完全に排除することは到底できません。
そこで、できうる限り畑に持ち込まないような工夫が要ります。
過度な化学肥料・過度な畜糞・過度な残留農薬などです。
(ここで申し上げて置きますと、あえて「過度な」と言う表現を使います)
それでも美味しく栄養価のある農産物を育てるには、適度な窒素・燐酸・カリが必要ですし、ミネラル分も補充しなければ圃場からミネラルが持ち出されるばかりになります。
そこで考えたのが、むかしの農人が行っていた農法は?ということになります。

微生物・放線菌は実に悪食です。
分子結合した農薬・化学物質・石油・ダイオキシンなど、あらゆる物を食べます。
(勿論一種類の微生物ではありません)水銀・カドミュームなどの元素は分解できません。
但し、過ぎたるものは食べ切れませんし、逆に次々と投入されると、負けてしまいます。つまりは死滅してしまいます。
自然も人間と同じように自己治癒能力を持ってはおりますが、生命が死滅した土が回復するにはそれこそ永い時が必要になります。

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自然農で栽培している
大豆畑。
由布市庄内地区)
ここには、緑肥・草木灰
牡蠣柄・ミミズの酵素有機物の分解促進)などを
入れている。

前作は分かりませんが、
化学肥料・農薬などは
相当な期間使用されて
いないようです。

土は化学物質や畜糞の匂いも無く、実に土臭い香りがしておりました。

私が言いたかったことは、浸透性農薬や過度に使用して残留する農薬・過度に投入する畜糞・化学肥料などでなければ、適宜に適切に少量使用される農薬や少量加える畜糞などに神経質になるのではなく、日常食する薬品漬けの加工品のほうが
化学物質がむしろ人間の体に蓄積していくわけですから、余程悪い影響を及ぼしていることです。
農業現場を知らない無責任な世評に振り回されずに、美味しい野菜を探してください。そうすれば、必ずその野菜は栄養価に富んだ野菜ですので、その農人を信じてやってください。
「美味しい野菜=栄養価のある野菜」、そして健康な野菜については、次回詳述
致します。