農園日誌ーむかし野菜への思いPARTⅢ

27.9.16(水曜日)終日雨、最高温度24度、最低温度21度

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                    由布市庄内の大豆畑

小さな花が咲いていた大豆に実がつき始めた。グリーンも一段と濃さが増し、11月の収穫は期待できそう。
お客様へは今年の12月頃には第一陣の大豆の出荷を行う予定。
12月には味噌の仕込みも行い、来年には、お餅と一緒に煎って黄な粉も出荷できればと考えている。
最近の健康志向の流れで、大豆の良質な植物性タンパクを求めている方も増えている。
この圃場では、緑肥・焼き灰・牡蠣柄の他には、肥料や農薬も除草剤も使用していない。(除草作業はスタッフ全員とグループの田北さんの8人で行った)
豆類は窒素固定化植物の代表格。根に共生した根粒菌が空気中の窒素を取り込み、植物の成長に不可欠な窒素肥料を施肥しなくとも育つ。むしろ、余分な窒素分を施せば、葉っぱだけ茂り、実付きが悪くなる。
自然農に最適な穀類である。広大な面積を使うため、唯一の欠点は、除草作業が半端ではないこと。(そのため、種を蒔く前に除草剤を使っているところが多い)

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今日の雨でしっかりと根を降ろし、極寒の2月頃から出荷
が始まる。
左はようやく最盛期を迎えた
酷暑の時季に耐えて、
涼しさを増した初秋からが
本格的な出荷時期となる。
夏場はとんでもなく辛いものが混じってお客様にも迷惑をおかけしたが、旨みが増しております。

夏の時季、農園の長い取引先フレンチ(福岡市)ジョルジュ・マルソーでの出来事を
思い出す。
店内から突然の声が沸き起こる。「俺を殺す気か!」と・・・
万願寺とうがらしを食べたお客様があまりの激辛にびっくりしての怒声であった。
これで子供さんが野菜嫌いになったらどうしよう!真に悩ましい野菜ではある。

これからは、甘みと旨みが増して、11月初旬頃に落ち野菜時季を迎える。

(むかし野菜への思いPARTⅢ)

有機農業を目指して、農園を開く前、約10年間、化学肥料こそ使わなかったが、
先ずは草木堆肥作りから始めて、肥料がないと育たないとの思いから、追肥(肥料)として、牛糞を手始めに、米糠・油粕・骨粉などの施肥を試みた。

ところが、肥料を与え続けると、成長はするものの、病気が発生し、味香りが薄く
子供の頃に食べたむかし懐かしい鼻につんとくる甘い香りや野菜の味がしない。
害虫も異常に発生し、虫取りに追われ、当時勤めていたため、畑に日参することができず、その多くは、収穫に至らなかった。
近くの農家からは、薬をやらないとまるで駄目だよ!と言われ続け、途方にくれた毎日であったように記憶している。(今から25年前のことです)

県立図書館に通い、微生物・放線菌のことやむかしの野菜作りの文献を漁る。
微生物の役割のことは、実践を通じて理解できたが、何しろ、むかしのことであり、
日本の先人達の野菜作りの方法など探しようも無い。
その時、日本むかし話が頭を過ぎる。
焼き灰を撒いた「枯れ木に花をさかせましょう」の花咲かじいさんのこと。
「おじいさんは山に芝刈りに」「おばあさんは川で洗濯」、これは桃太郎でしたか、

「花咲かじいさん」では、むかしからの農法に重なる焼畑農法があり、これはどうやら
ミネラル分のことらしい、と思い当たる。バランスの良い、豊富なミネラル分は焼いた灰の中に凝縮している。

「おじいさんは山に芝刈り」の故事では、当時、林に入って落ち葉を沢山集め、草とわずかな牛糞と混ぜ合わせて草木堆肥を作っており、その際、事前に林の柴や蔓を刈り取って置かないと、草が集めにくいことに気が付く。
なるほど、おじいさんは山で事前に柴を刈って葉っぱを集めやすくしていたのか!と
気が付く。

となると、むかし農法は、里山に豊富にあった草や葉っぱを集め、家畜として飼っていた農耕用の牛や馬及び鶏などの少量しか取れない畜糞を発酵促進剤として草木堆肥を作り、畑の元肥として土作りを行ってきたんだな、と思い当たる。
野菜の鼻に抜ける甘い香りや味はミネラル豊富な土壌からもたらされていることに
ようやく気付く。
窒素分の少ない土壌だから、野菜は野菜の味がし、旨いんだとも気付く。

これが先人達の叡智の結晶であり、日本の風土に根付き、永く続いてきた実績のある自然循環農法というものなんだとの確信を持つ。
それから農園を開いて、米糠・油粕などの有機資材の肥料も一切使わない、草木堆肥だけ使用したナチュラルテイストの「むかし野菜」作りが始まった。
それは西欧でのオーガニック野菜とも、日本の有機JAS規程の野菜とも、神がかり的な自然農法とも異なり、日本古来の農法としか言いようが無い。

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堆肥撒き・畝作りなどの
重労働に疲れて、一人で
黙々と除草している南君。
当農園に来てから9カ月目。

彼の志望はとにかく鶏肉が
好きで、養鶏を始めたいとの
こと。食べるために養鶏を
すると言うのは初めて聞く
話ではある。
そのためには、自家製飼料作りから始めねばならない。

先ずは自然循環農法を学び、野菜作りから穀類生産を学び、3~4年後は、むかし野菜のお客様が希求している「平飼い・自家製飼料・有精卵」の養鶏を目指さねばならない。当然に、野菜屑や穀類の脱穀粉などは不可欠になる。
グループでの穀類生産及び加工が軌道になれば、次の目標は養鶏となる。

今まで化学肥料・農薬を多投する近代農業、畜糞主体の有機農業、持ち込まない・持ち出さないで自然の力だけで育てる自然農の説明をしてきましたが、安全・安心
というテーマのみを追求していくのが消費者が真に求めている野菜なのか?
より安全な農産物を前提にして考えれば、真に求めている野菜は、

「安全・安心できる野菜」
「美味しい野菜」
「栄養価の高い野菜」

などに集約できそうですが、もう一つ普通の家庭でも買える「リーズナブルな価格」
の野菜もそうなのではないでしょうか?
これは次回のテーマと致します。

「美味しい野菜とは?」「栄養価の高い野菜とは?」

土壌が高窒素・高燐酸になると、専門的には「塩基濃度」と言って、養分過多になっております。元来、野菜の根や本体のほうが、土壌より養分が濃いはずです。
もし塩基濃度が濃すぎると、これは逆転して、土壌のほうが養分が濃く、健康な野菜ということにはなりません。
この健康な野菜こそが栄養価が高く美味しい野菜と言うことになります。
野菜は成長するにつれ、内部に炭水化物やデンプンを蓄えます。
それが完熟する際に、でんぷんが分解して糖質やビタミンに変わっていきます。
これが完熟野菜です。
土中に血窒素分が多すぎると成長し続けるために、完熟しないうちに市場へ出荷されます。つまりはデンプン質の野菜が青臭い灰汁の多い野菜ということになり、
わずかに苦味を覚えます。

低窒素土壌で育てないと野菜は完熟しないので、糖質の薄い栄養価のない野菜と言うことになります。その意味では自然農の野菜(量が出来れば良いのですが)の
ほうに軍配が上がります。
但し、問題なのは、デンプンが少なすぎる野菜は完熟期を迎えても分解するはずのデンプンが揃っていないため、甘みは薄く、(糖質・ビタミンの乏しい)淡白、若しくは
透明感のある味になります。
やはり適度に土壌に窒素分がないとデンプン形成が少なく炭水化物が多い野菜となってしまいます。

むかしの人達はそれらの知識が無いのにも拘わらず、草木堆肥をやり続けることによって、適度な窒素を土壌に与え、あるいは、焼き灰によって味香りの元となるミネラル分を補給してきたんですね。

文明が、科学が如何に進もうと、長い年月をかけて実践してきた経験と知識やノウハウを捨て去って良いものか、考えさせられます。
先人達の知恵の偉大さに乾杯です。