27.9.23(水曜日)曇り時折晴間、後、雨、最高温度26度、最低温度19度
初秋の久住連山、すすきの向こうに三股山を望む
農園恒例の秋の山登り、最も子供達が主役ですが・・
子供も小学生にもなると様々な行事があり、調整の結果、9.22日の山登りとなった
5歳~9歳までの子供達と最高齢66歳のジージまで総勢9名(大人4・子供5)での
久住山縦走を決行した。全行程二時間半(大人の足で)の道のり。子供にとっては
かなりヘビーなコース。どうなることやら・・・
午前10時半、
三股山の山裾から出発
雨ガ池コースという林間コース。
最初はだらだらと緩やかな
登りが続き、林間特有の
涼しさがあり、木の香りが
清清しい。
5歳の男の子は元気そのもので、先頭を行くと張り切る
ジージと頭を取る。
30分もすると、次第に遅れ始め、とうとう、最後尾になる
母親に甘えだす。
これはいかん!と
母親を先に行かせ、ジージとの苦行となる。
おだてたり、なだめたり、
すかしたり、頑張ったものの
ついに、最初の休憩を取る
一方の5歳の女の子は
中々に堂々とした足取りで
先頭を登る。
約二時間後、雨ガ池に到着
残念ながら今日は池は干上がっており、幻の雨ガ池となった。
高山植物の写真を撮る。
12時30分、昼食を取る。
腹が減っていたのか、
おにぎりをお腹一杯に
詰め込む。
研修生の後藤君とその彼女
子供達はすっかり打ち解けて
甘えている。
山ではみなで助け合う。
これらも子供達は肌で
学んでいく。
午後1時半、
雨ガ池を出発。
三股山の山裾をぐるっと
一周する。次の目的地は
(山の中に湧き出る天然の
温泉ー宿泊施設もある)
鬱蒼と茂る木々の間から
見える広大な坊がつる。
今度は緩やかな下りが続く。
この山登りは、佐藤家の長女が5歳頃から続いている。
そのせいか、子供達は皆、山登りに慣れている。
大自然の中では、自分の足で歩くしかなく、誰も助けてはくれない。
厳しさと、きつさ、頑張った末の雄大な自然、刻々と移り変わっていく風景、頬を撫ぜる風、登り切った充足感と達成感、少しの冒険心、自分の心の弱さに打ち勝った満足感、そして、自然のやさしさを学んでいく。
幼子達の網膜の奥にしっかりと焼き付け、大人になってから思い出して欲しい。
ー次回に続くー
季節はずれの人参が出荷の時季を迎えようとしている。
(草木堆肥歴15年目を迎える二番の畑)
これは6月の雨の中、
無理を押して種を蒔いたもの
季節に合わないため、いびつな形ではあるが、しっかりと味香りはある。
左は8月下旬頃に蒔いた
大根。親指位に成長して
いる。
(むかし野菜への思いーPART Ⅳ)
今日、隣の畑のおばあちゃんから、「今年は野菜の育ちが悪い。肥料が足らんのじゃろうか?○○さんの野菜は成長が早いね。肥料(化成肥料)を一杯あげとるようじゃけど」と聞かれる。
「主に家で食べる分でしょ。肥料(窒素分)が多いと成長は早いけど、少し苦味が出ますよ。肥料は少なめで丁度良いのでは?そのほうが美味しい野菜ができますよ」
ー高窒素の土壌の場合は、デンプン質が多く蓄えられる。デンプン質が多く含まれる野菜は苦いーこれは有機栽培でも同じこと。
成長スピードは、農法でも異なる。露地栽培での9月の葉野菜で比較してみる。
遅い順に、
持ち込まない野菜である典型的な自然農(約3ヶ月)、
次に草木堆肥を施す自然循環農法(約二ヶ月半)、
畜糞主体の有機野菜(約二ヶ月)、
化成肥料の近代農法(約一ヵ月半) となる。
ーこれをハウス栽培で行うとそれぞれ約半月間は早くなるー
ついでに野菜作りの手間と労力で比較してみる。
労力の少ない順に、
化成肥料→畜糞主体の有機農法→持ち込まない自然農→むかし農法
となるが、単純に比較はできないが、むかし農法は化成肥料の約5倍はかかっていると思われる。
さらにそのおばあちゃんとの話は続く。
「ほうれん草に焼いた灰が良いと聞いたが、よかろうか?」との問い掛けに、
「木や草の草木灰にはカリの他、バランスのよいミネラル分が含まれ、しかも
アルカリ質に土を整えてくれる」・「良いことだらけですよ」と答える。
「草木堆肥に焼いた灰をうちは加えていますよ。これは日本の先人達の知恵ですよ
むかしの人達はよく働き、よく勉強していたんですね」
農法はともかくとして、野菜の価格は、様々ですが、一番安いのは、
「道の駅」などのおじいちゃん・おばあちゃんが作った野菜です。
ーその多くがプロの農家と言うより、時間があり、小遣いが入る訳ですから、肥料の量や農薬の量などはあまり考えずに作られている方が多いように思えるー
次に安いのがプロの農家さんたちです。主に農協に属し、肥料や農薬の使い方は
安定している。
野菜の価格はこのプロの農家さんたちの野菜が基準になる。
農家→農協→市場→小売店のルートを通り、価格が決められる。
ここでは、かかった労力や肥料農薬の費用などとは拘わり無く、需要と供給の原理で決められており、農家には決定権は無い。
そのため、美味しさ・栄養価・安全性などの本来大切な価値とは無縁の世界であり、
それは「みてくれ」・「鮮度」・「規格サイズ」により等級が決められる。
当然に、プロの農家は農協等が定めた価値の物差ししか持ち合わせてはいけないことになる。
除草中のわけぎや島らっきょ
の畑。
9月頃に植えつけられ、
葉っぱが成長し、極寒時季
に一度枯れて、来年の春
3~4月に再生し、出荷
する。
その時は根は成長し、甘く
旨みのある野菜へと
変貌する。
野菜の価格はその労力や手間及び生育リスクを知っている農家が決めるべきものなのですが、そうでなければ、できるだけ手間や労力を掛けずに、しかも、美味しい野菜作りの勉強ではなく、規格サイズに揃うような勉強をして、野菜を生産するしかなく、そのプロの農家の作った野菜を基準として価格が決定される。
一般的に、現状での野菜の価格は自然農が一番高く、基準値の約2倍程度、
有機野菜では、約1.1~1.2倍程度になっている。
むかし野菜では、本来費やす労力や生育リスクを考えれば、2倍~3倍の価値はあると考える。
但、極く普通の方々に食べて頂きたい、これからのある子供さん達に、病に懸かりやすくなっておられるご年配の方々の健康のために食べて頂きたいとの思いから、この農法に辿り着いた。
農園発足の一つの理念である「日常的に食する野菜(主要農産物)を作りたい」との
思いから、現在は、市場価格の約1.2倍程度に抑えている。
その分はむかし野菜を志す農人の汗を流せば済むわけですから・・・
大量に持ち込まれる剪定枝の破砕や分別などの膨大な作業をしている際、
自らに言い聞かせながら行っている。
只、思うことは、送られてくる野菜に対して、常にその野菜の向こう側にある農人達の流す汗を見て頂きたいと願う。
それを理解して頂ける仲間達に支えられていると言う思いも同時に私達にはある。
それは、我々の自負心でもあり、心の支えなのですから・・・
研修生たちともよく話す。お金儲けのためであったら、こんなことは絶対にしない。
そこに彼らのプライドがある。心が折れることなく、むかし野菜の農法を進化・継続
していって欲しい。
後は、彼らに託すために、今自分でできる範囲の足跡と形を残そうとしている。
→次回は最終章。「日本の農業の存続に向けて」