農園日誌

28.4.13(水曜日)曇りのち雨、最高温度20度、最低温度10度

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                 とうもろこしの植え付け開始

この畑は4月に借りたばかりの圃場。先ずは、穀類を植え込んで様子を見る。
草木堆肥と灰・牡蠣殻を施肥する。
土は柔らかそうであるが、こぶし(球根系のやっかいな草)が蔓延っているようで、
苦労しそうな圃場。九番の畑となる。これで佐藤自然農園としては、約1.4ヘクタールの総面積となる。
今年独立する後藤君の圃場が0.4ヘク。南君の圃場が0.14ヘク。
むかし野菜の邑グループの他のメンバーの圃場を合わせると、5ヘクタールの
総面積となる。(15,000坪)
そこではお米・大豆・小麦・とうもろこしなどの穀類、梨・椎茸・野菜などを生産する。
15年前、0.1ヘクタールの圃場から初めて、仲間が増えて、随分と広くなったものだと思う。

とうもろこし生産に拘るには理由がある。
カラスに狙われ、狸やキツネが出没する。外周はほとんど食べられてしまう。
未来を担う子供たちやいつまでも元気で最後は寝たきりにならずに穏やかに最後を迎えたいと願うお年寄りたちに、安全で健康的な、美味しく栄養価に富んだ野菜を食べてもらいたいとの願いから、野菜生産を始めた。
それでも、当初から手掛けたかったことがあった。
食の基本は穀類である。お米は自然農の生産者がすでにいた。
自然農では、どうしても手に入らなかったものが、大豆であり、小麦であり、とうもろこしである。
大豆は味噌などの純発酵食品ができるからよいとして、小麦やとうもろこしの粉がどうしても欲しかった。
子供のころ、唯一のおやつは、お焼きであった。小麦粉・とうもろこし粉・粟黍粉などをブレンドした焼き菓子は香ばしくて美味しかった。
現在の子供たちは、そんな素朴な美味しさを知らない。添加物の塊のようなお菓子類しか食べていない。素朴な「むかしおやつ」を現在に復活させたいとの思いが強くあった。
まだまだ実験的な生産段階ではあるが、自然農で生産された米粉・小麦粉・トウモロコシ粉・大豆粉などがあったなら、様々なブレンドが可能となり、てんぷらの衣や
ベタ焼き、包み焼など様々な食べ方ができるし、それぞれの家庭でのブレンドも可能となり、楽しいだろうな!ということも発想の一つではあった。
ある意味では、次の世代に伝えたい壮大な大人の夢かもしれない。

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草木堆肥を振って
草木灰も振って、
夏野菜の畑を準備している処。
熊本からわざわざ大分に来た高校生(卒業生)まさしくフレッシュマンです。よろしく!
昂太君です。

まだまだ体が出来ておらず、線が細い。
逞しく育ってほしい。


当農園を中核としたむかし野菜グループは、今年の夏、加工場・貯蔵庫・選別出荷場、そして、体験施設が完成する。この施設は会員他皆様に開放するつもりではあるが、先ずは加工場としてスタートする。これも農園を開いた時からの一つの目標ではあった。
加工場に次いで、考えてきたものが、平飼い(放鳥場を持つ)・有精卵・自家製飼料
(自然農で生産された飼料)の養鶏事業。
これは日本の何処にも無い養鶏場とはなるだろうし、こんな施設から生み出される卵はそれこそ何処にも無い。現在試算中の段階。

放鳥場を兼ね備え、オール自家製飼料となると、飼育数が限られてしまうためだが
どうしても一個当たりの卵の価格が高くなってしまう。如何に鶏にストレスをかけず、健康な卵を産んでもらうかがポイントとなる。
このような卵は、現在、一個100円はするようだ。
これを一個50円程度でなら、何とか市場性も出てくるだろうがと悩んでいる。
但し、その場合は、運営者は霞を食って生きねばならなくなる。正しく仙人となる。
この運営者、具体的には、南君だが、彼をグループ全員で支えていかねばならなくなる。どうしたもんだろうと思考中。

それでも何とかしようとするのがおバカさんたちの集まるむかし野菜のメンバー達であり、日本の梁山泊の面々である。
施設建設から二年間はほとんど収入が無く、軌道に乗る(?)のには5年以上を要する。そのため、来年頃から始動しなければ、私の歳が許さない。

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数段階で用意している
夏野菜の幼苗たち。
この中から、順次、
植え込みができるものから、定植していく。

すでにトマト・ピーマン
・パプリカ・茄子・インゲン豆の一部は植え込んだ。
これだけの野菜を植え込む畝作り作業を考えると気が遠くなる。


思うに、現在の若者達(ゆとり教育世代)は、争わない、闘わない、夢を持てない
など、私たちの世代と比べると、随分とお行儀が良い。
言い換えると先を読むだけの力がなく、事業を起こす実行力もない。
それでは、これから益々厳しくなってくる農業を取り巻く厳しい環境を乗り越えてはいけない。流されてはいけない、10年、20年、30年の先を見据えて今を考えて
行動しなさい。もっと闘いなさい。
60代後半の私でさえこんなに闘っているのに!と言っても、分かっているのか定かではない。これがゆとり世代なのか、と考えてしまう。
それでも、終わりの近づく私たちの世代が、今、何かを残してやらねばと考えてしまうのは私だけなのだろうか・・・