農園日誌ー春爛漫

28.3.23(水曜日)晴れ、最高温度14度、最低温度7度

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今年も農園にはいつもと変わらない春がやってきた。
冬野菜から春野菜へと移り、ミニ端境期が訪れたと憂慮していると、春野菜が畑一面、緑色に覆われ、草取りに追われる日常もいつもと変わらない。
両方の手首が使い傷みか、うずきながらも黙々と草を取る。
取り除いた草は直ちに堆肥場へ運び、破砕していた木屑と葉っぱと混ぜてすぐに堆肥を作る。春先は造園会社からの草の搬入もなく、草が不足する。これもいつもと変わらない。
変わってきたのは、30~40代の若い農人がようやく戦力になってきたこと。
ここで二年間、自然循環農法を学び、一通りの作業工程に慣れてきている。
陣頭指揮を執るのは今は止めて、彼らに自主的に学ぶことを促すため。
自分が今何をしなければならないのか?約一ヘクタールの畑に植わった、あるいは、これから植えなければならない野菜を頭に叩き込み、その成育過程で何が必要なのか、その作業工程を考え始めたようにも思える。

これからは、各野菜の性格や管理手法を野菜から学ばなければならない。
例えば、この時季(春の莟立ちの季節)、莟立ちを抑えるために、成育スピードを上げてやらねばならない。そのためには、個体が成長するのに何が障害となっているのか?除草なのか、間引きなのか、温度なのか、様々に考えていかねばならない

野菜は日照時間が長くなり、温度が上がってくると、寒に当たって育った野菜は
内部に花芽を持ち、子孫を残そうと考え始める。
いやいや!まだ貴方は成長できるのですよ!と莟立ちを思いとどまらせてやらねばならない。
密集栽培している野菜でも大きく育った野菜は莟立ちの時季は遅く、小さいままの野菜はすぐに莟立ちを始めてしまう。その野菜の生理を把握しておかねば、とても自然循環農法(露地栽培)はできない。

まさに自然と共に生きることがこの農園の日常なのだから・・・

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                  除草を終えた6番の畑

自然農と言えば、何も手を入れず、自然のままにと思っておられる方が多いようですが、もし、野菜の種を蒔き、雑草と共にその野菜が育った場合、畑一面は雑草に覆われ、野菜は次第に消えていく。かろうじて生き残った野菜があったとしても、
それは正常な成長過程を辿らない。
例えば、葱系・人参などは完全に雑草に押し負けてしまい、ほぼ壊滅状態となる。
野菜というものは不思議なもので、育つべき時期に育たないと、春などは莟立ちしてしまい、とても食べれる状態にはならない。
そのため、除草のタイミングを逸してしまうと、とても商品にはならない。

本来の自然農とは自給自足の農法であり、家族で安心して食べれるだけできれば良いと言った思想でできた概念である。
この六番の畑には、玉葱・わけぎ・エシャロット・にんにくが主な野菜となっている。
お気づきだろうが、黒マルチ(ビニールの覆い)は使っていない。
多くの農家では、草を生えさせないため、地温を上げるため、水やりを行わないで済むため、などのために黒マルチを張る。最近では自然農作物でも行っている処もある。
当農園では、それは張らない。外気と呼吸しているとは言えないからである。
そのため、除草作業は特に春のこの時季、最も時間を割く農作業の一つとなる。
それは育つべき時季に育ってもらうためであり、莟立ちしなくても良いのだよ、もう少し頑張んなさいと、野菜に教えてあげる作業でもある。

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今年の春は一人の高校を出たばっかりの少年(青年かな)が第二期の研修生として熊本からやってくる。
一期生達はどうなのだろうか?今度は彼らが教えねばならない立場となる。
良い加減なことはできないし、改めて自分たちの足元を見つめなおす良い機会になってくれると考えている。さあ!襟を正して置かないと・・

今まで農園主としてはいらいらとして彼らを見つめてきた。思った通りの動きを見せない際はなおの事。
今度が貴方方の番だよ!と言ってやりたい。

今までの個人所有(各戸独立した農家という意味で)を基本とした農業の仕組みとは、全く異なったグループ営農への試みはすでに始まっている。
それは、個人の自由裁量とグループとしての配分(分配)と言った異なった利害関係を如何に調整できるかが問われてくる。
先ずその第一歩として、一人農業の難しさと孤独さはどうやら理解し始めたようだ。
今では広大な面積と膨大な自然循環農業の農作業をグループで共同作業すると
言った習慣は身についてきたし、それに対する違和感は感じていないようだ。

何しろ個性の異なる大人たちが共同の作業を行うわけだから、これは大変です。

会社で言えば新入社員が入ってくる。
次は後輩が出来るわけだから、春のかったるい気持ちを改めて締めなおして、皆で頑張っていって欲しいものだと、願う。