農園日誌ーグループ営農への試み

27.12.29(火曜日)晴れ、最高温度13度、最低温度4度

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  この子達はみな農園で育ってきた。屈託のない笑顔が明日の日本を支える

年末、仕事納めの日。一年間の垢を落とすため、倉庫・育苗ハウスなどの整理を
行う。農園主だけは一日中、脱穀した大豆の整理作業に追われる。

昨晩帳簿の整理をし、一年間の売り上げを算出していたら、年初に180人の個人顧客数が年末には240名になっており、一年間で60名の仲間が増えていた。
しかも、月毎の売上は山や谷が無く緩やかに微増している。
つまりは年間を通して農業生産現場に必ず訪れる端境期が無いことになる。
これは農業の世界では特筆すべきことである。変動する季節に応じて端境期を
埋め合わせる作物の栽培計画を立て、スタッフ全員が頑張ったおかげであり、
さらには、野菜の出荷を受け入れて頂いた多くの仲間たちのおかげである。
畑では、無数無限の微生物・放線菌達が働いてくれている。自然の営みに感謝。
冬季に雨が多かったため、暮れは最後にバタついたが、ようやく落ち着いた年の瀬となった。明日からはスタッフ一同はやや長期のお休みに入る。
明日は、ゆっくりと9番までの畑の野菜達に挨拶をして回ろうと考えている。

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絹さやえんどうの花

これは2~3月の写真
ではなく12月の写真。

数十年ぶりの大きな
影響だろうが、こんな
暖冬は記憶にない。
絹さやエンドウの花が
狂い咲きを始めている
エンドウ体内のDNAが春を感じたのだろう。


グループ営農への試みPARTⅢ-公平な分配とは?

当グループが行っている露地栽培・自然循環農法では、化学肥料や農薬を仕入れるわけでもなく、有機肥料仕入れるわけでもなく、仕入れはほとんどが種代金や
補完的な農業資材であり、現在農業での施設園芸でもない。
あるのは、圧倒的な人の労力と汗であり、自然と向き合う実践と経験の繰り返しである。
となると、個々で行う農業であれば、圧倒的な労力の多さやきつい農作業に追われる毎日に打ち勝つだけの強靭な精神力と体力が求められる。
現在人にそれを求めるのはやはり辛いと言わざるを得ないし、それを強要することはできない。

日本には古来から「結い」の仕組みがあり、邑単位で相互扶助や共存共栄が行われていた。勿論一つの共同体ではあったが、必ずしも均一な分配が行われていたわけではない。頭を使い、努力や工夫を行う農人は富み、しない人は痩せる。
脇道にそれるが、そこから、次第に身分制度が生まれてきた。貴族(支配者)とそこに奴属する階層のことである。

それでは現在人である「むかし野菜グループ」内での「結い」の仕組みはどうすれば良いのか?これが今回のテーマである。

例えば、第一期研修生三人はスタートは同じである。来年、形の上では独立していくことになる。この農法では最初の三年間は土作りに費やす。その間、その圃場からは満足のいく農産物は見込めない。従って明日の生きる糧が得られない。
当初三年間は、佐藤自然農園を中核としたむかし野菜の邑からの収入(そこで働いた労力で糧を得る)がある。
その間に、互いの新規開拓の圃場の土作りや農産物生産を全員で行う。
その圃場はほとんどが田圃であり、先ずは穀類からスタートして、ほぼ土が出来てから(団粒構造の土)野菜生産に切り替えていくことになる。
ーこの形も結いの仕組みであるー
(その穀類はむかし野菜へ納入し、味噌などの加工品となったり、そのまま穀類として、消費者のもとへ届けられる)

やがて、三人はそれぞれの途へ進むことになる。
一人は三人の生きる糧となる収入をもたらす佐藤自然農園を守り、むかし野菜グループを支える。一人は、半独立して、野菜つくりにチャレンジしていくことになる。
さらに一人は、平飼い・有精卵・自家製飼料の養鶏の途へ進む。
三人ともに、野菜の他に穀類の生産規模を拡大し続けることになり、そこから出てくる穀類糟や端穀類は鶏の飼料となっていき、養鶏事業を支え続ける。
それぞれは、むかし野菜の邑の出資者として、各部門の責任を負い、経営に携わっていく。
当然に彼らは次の世代への責任があり、新たな研修生の受け皿となっていく。
ーこれも結いの仕組みの一つの形であるー

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今年の芽キャベツの発育が早く、
なにより丈が長く、多くの芽を付け
ている
来年1月には早々に第一次出荷が
可能となりそう。
早春の代表的な野菜となる。

冬の越冬ブロッコリー
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三年後に養鶏事業に進んだ研修生は、最初の一年半はほとんど収入がない。
養鶏事業を行うにも、元手が必要となり、むかし野菜の邑からの支援で養鶏場を建設し、その経営が一段落する(軌道に乗る)までにさらに二年は要する。
その間、他の二人が働いて得た収入により支えられることになる。
その調整弁(分配システム)が(株)むかし野菜の邑となる。(グループ内全ての農産物はむかし野菜を通して消費者へ販売される)
つまりは、むかし野菜の邑によって、一人農業では決してできない共存共栄の仕組み(公平な分配システム)が働くことになる。
やがて独り立ちできるようになった養鶏事業の仲間がほかの仲間を助けていくことになる。
ーこれが現在版「結いの制度」の仕組みの基本形となっていくー

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人は皆、金銭欲・物欲・名誉欲・権勢欲などの様々な欲を持っている。
国家もそうであり、その欲が織りなすドラマが政治であり、外交であり、戦争などの様々な悲劇を招く。どこかの国の総理が己の欲や理想を満たすために振るう権勢が多くの国民を苦しめ、悲劇に導くことは決して許されることではない。それを深く考えずに支持している国民も、無関心な国民もまたそうである。

その様々な欲を制御していくことが極論すると経営なのかもしれない。
むかし野菜の邑では、その欲を制御する仕組みが必要となる。
殷の国の宰相、伊は、その裁量、「秤」のごとしと讃えられたと聞く。
それほどの傑人は求むべくもなく、「公平な分配とは何?」を考え続けられる農人=農業経営者を一人でも多く育成していき、仕組みを作ることが、最も難しく、最も大切なことかもしれない。
小欲は捨てさせ、大欲を育てていくしか途はないのかもしれない。
そのためには次々と新たな目標を課していこうと考えている。

むかし野菜の邑の挑戦の項は、「催事等・・・」のブログに続く