農園日誌ーミニ端境期を迎えて

27.6.18(木曜日)終日雨、最高温度22度、最低温度16度

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            伏見とうがらしがまだ幼い木に鈴生り

季節は、今、初夏。と言っても梅雨の真っ盛り。
真にうっとうしい日々が続き、泥んこになりながら、暑苦しい合羽着用の農作業を
疎ましく思い、長く続く雨空を恨めしく見上げる。
農作業が滞り、やらねばならない作業工程が、この後、一気に重なる。
人間なんて勝手なもので、雨が降り続けば、晴れる日を心待ちにし、太陽が降り注ぐ熱い日が続けば、雨を待つ。
今年の梅雨は長くて重い。それでも、この夏野菜にとっては次に来るであろう厳しい
乾季と極暑に耐えるべく、根を張り、子孫を残すため、多くの実を付けるための貴重な準備期間ではある。
露地栽培には、営々と繰り返す自然と人との営みがあり、人間のその場限りの欲や
思いは通じない世界がある。

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今年のトマトは良い、と
自分たちの剪定し、育てた
幼苗を多少は自慢したい
のであろう。
それが農人の気持ちと
言うもの。
こうして一歩一歩、農業者に
近づく。
雑草を除去し、下葉や混みいった葉を摘除し、腐れや枯れを防ぐ作業が延々と続くことになる。


農園は春野菜がほとんど終わりに近づき、初夏野菜へと移っている。
6月の中旬から7月の初旬にかけて、春野菜(葉物中心となる)から、夏野菜へと旬菜が移って行くため、ミニ端境期を迎える。
丁度、梅雨が終る頃に、本格的な夏野菜が最初の収穫期となる。

農園主としては、少し悲しくて、どこかほっとした時季でもある。
5月後半から7月初旬にかけては虫が大量に発生し、湿気も多く、葉野菜にとってはもっとも過酷な時季でもある。
露地栽培を心出す以上、自然の営みではあり、止むを得ないとして、多少無理してでも傷みかかった野菜を出荷するのには、心が痛む。

(完熟野菜とは)

今週の野菜のブログにて少し説明しましたが、「完熟野菜」を手に入れることが現有マーケットでは難しいことを皆様はどの程度ご存知でしょうか?

「完熟野菜」とは、野菜の成長が止まり、次の子孫に種を残すその一歩前の姿です

野菜の成長期には、土壌に窒素分が必要です。窒素が土壌に少なくなると野菜は
成長を止め、内部に蓄えられたデンプン・炭水化物を糖質・ビタミンに分解し、生き残ろうとします。従って、完熟期を迎えた野菜は栄養価が高く甘くなります。
完熟野菜は、成長を止めた分だけ、傷みやすくもなります。
やがて、野菜は命を終えようとする前に、子孫を残すべく花芽を持ち種をつけようとします。健気ですし、又、それが自然の摂理です。

他方で、土壌に窒素過多気味に育てられるのが、慣行農法(化学肥料)であり、畜糞主体の有機農法です。(正確には窒素過多になってしまうのですが)
その土壌で育つ野菜は、成長途上に出荷され、つまりは青臭く、未完熟野菜に
なります。当然に甘みも栄養価も少ないわけですね。
特に流通システムでは、徹底的に、日持ちが良く、変化し難い野菜が要求されますので、完熟野菜を極端に嫌います。
流通途上に傷んでは困るから、当然のことなのですが、市場の野菜評価基準は鮮度・規格・みてくれだけです。・・・マスメディアも良い野菜とは!などとそれを後押し
している。
それに慣らされた消費者は当然に見てくれを選び、これは鮮度が良さそうだからなどと言って、青々としたきれいな未完熟野菜を選びます。
果たして、本当にそうなのでしょうか?疑問を感じないことはそのことを支持している
ことになる訳です。
このようにして流通マーケットから、さらには農業現場から、完熟野菜は徹底的に
排除されていきます。

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初夏野菜の代表的なもの
いんげん豆が旬を迎えて
おります。

畑に巨大な壁が立ちふさがったようです。

太陽が強さを増す7月後半
には花はつけても実は
付けません。
そのためいんげん豆は
初夏が旬なのです。


現在社会では、自然の営みからは、はるかに遠く、欲の織り成すドラマが繰り広げられます。
それは人間であれば、当然のことでしょうが、ことが一国の舵取りを担う人であれば
大きく異なり、自らの恣意を国民に強いることは決して許されない筈。
一見正当過ぎる、勇ましい言葉を支持することは、複雑に国家の利権が絡み、欲よエゴのぶつかり合う国際社会において、甚だ、危険なことと言わざるを得ない。

それは事業を支配する立場の人間も同じことですが、国となるとあまりにもその影響は大きく、未来の子供達に危機が迫っていることを皆様はどのように感じておられるのか、それさえ気付いていない大人たちが多いことのほうを私は危惧しております。
無関心とか無言はそれを支持することに繋がる。
いつの間にか栄養価に富んだ美味しい完熟野菜がマーケットに無くなってしまうのと同じのような気がしてならない。

自然と人の営みから多くのことを感じて頂ければ、幸いです。