農園日誌ー冬の訪れ

26.11.28(金曜日)晴れ時折曇り、最高温度18度、最低温度10度
 
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 夏野菜撤去後の畝に秋冬野菜、ビニールトンネルの数が増えていく(四番の畑)
 
今年の秋は暖かく、いつまでも夏野菜が残っていたが、来週はじめ頃から、本格的な冬の寒波が訪れ、農園は一気に冬景色となりそう。今週末にはピーマン・パプリカ系の野菜の最後の収穫となり、落ち野菜でこの夏は終わる。
 
例年であれば、11月の中旬頃、第一次の寒波が襲来し、夏野菜は一気に萎れてしまい、落ち野菜を収穫する暇も無いのに、今年は皆様に落ち野菜が届けられる。
スーパーに並ぶ規格野菜とは異なり、露地栽培では様々な旬菜が楽しめる。
(走り旬→中旬→終わり旬→最後は落ち野菜)
それぞれに味も固さも調理の仕方も変わってくる。そのことに皆様方はお気づきで
あろうか、今年は珍しくその露地栽培野菜の移り変わりが明確に現れた年であった
 
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収穫され、天日干しの後、
手作業で脱穀される大豆。
自然農ならではの風景。
 
脱穀された白大豆、味噌の
原料となる。埃まみれの作業
 
 
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トウミにかけたり、振るったりしてゴミを飛ばし、
一粒づつ、選別し、ようやく大豆となる。
 
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今日のお昼ご飯。
ほとんど毎日啓子さんが
時折寛子さんがおかずを
作ってくれる。
何しろ、腹っぺらしの大きな子供達が控えているから、
それがよく食うこと、おびただしい。
 
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中でも一際、美味しかったのが、この味噌汁。
葱・大根からの旨みが出て至福の味となる。
茸は田北より頂いた自然栽培なめこです。
味噌は今週から送っている自家製の自然農味噌。
あまりの美味しさに「これはもう出さないでおこうよ」
とのスタッフの声・・・?そう言うわけにはいきません。これは農園主の声です。
今年は昨年の倍以上の大豆の収穫があり、12月は味噌作りを行う。
 
前回のブログは研修生の後藤君(福岡出身)の作。
 
現在社会の中で迷える若者の正直な声が初めて聞こえてきた。
最初は生意気で斜に構えている姿勢、今の社会の閉塞感が覗える若者達の有様
なのかもしれないが、一年を共に過ごし、自然と野菜に向き合う毎日、それこそ、
朝早くから夜にかかるほど遅くまで農業漬けの毎日ではあった。
 
「仕事をする」とは仕すること(仕える)ことであって、私事(わたしごと)することではない。という内面の正直な言葉を聴いて、もうこの若者は大丈夫だなと思えた。
これも野菜のお陰かな?今後は目標を目指して真っ直ぐに生きていけるでしょう。
来年はざっとした研修は終わりにして、一つ一つ確実に自分の頭で考えた野菜
作りを覚えてもらわねば・・
一日でも早く農園を乗っ取れ!とはっぱを掛ける来年になりそう。
 
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葉野菜の生育が遅れていたが、トンネルをかけて強制的に大きくした。
 
太陽が出る日には剥ぐってやりお日様の光を浴びて
しゃんとした姿勢になる。
 
夏野菜が終わればすぐに
必要となる葉物野菜。
サラダセットはこれで何とかなりそう。同じような畝を
4つ、時間差植えしている。
 
 
社稷と言う言葉がある。これは「社」=やしろであり、「稷」=食、即ち、食べ物のことである。
もう一つ、会社と言う言葉がある。これは「会」=集うことであり、「社」はやしろのことである。
社稷も会社も本来的には同義語であり、太古の人たちは、日々の食を求めて働き
自然神への畏れと敬いを持っており、明日の食を祈って「やしろ」に集うことである。
ついでに社長とは、「やしろ」に仕える一族の頭(長)のことである。
 
現在社会において、会社は自分のものであり、社員は会社に奴属するやからと考えているようであれば、まさしく私する事であり、一族(社員)のために、社稷に仕えて
いると言った太古の理念とは大きく乖離していることになる。
 
現在社会では、これに加えて、「社会的存在価値」を見失っている会社が多く存在することになっているようだ。
自分達(会社)が社会に有益な何かを利する、あるいは、資することのできる商品を送り出しているといった自負心や誇りがないとすればこれは不幸なことである。
 
後藤君はこのことを言いたかったのではないだろうか・・・
 
現在では忘れ去られようとしているこの理念を研修生たちが持ち続けてくれることを、祈っている。
間違っても儲けて何が悪いですか、などの精神はむかし野菜の邑にはない。