今週の野菜ー大きな気候変動

26.8.13(水曜日)曇り時折晴間、最高温度32度、最低温度25度
 
イメージ 1
              秋野菜(葉物野菜)の種蒔き(三番の畑)
 
最早、異常気象ではない。これは気候変動と言うしかない。
露地栽培において、8月のこの時季に秋野菜の種を蒔くことなど、記憶に無い。
農人としての感覚が種を蒔けと言っている。今までも二三回、葉物野菜の種を
蒔いたが、これはできる訳ないと思いながらの種まき、所謂遊び感覚。
今回の種蒔きは、本気でできるのではないかとの予感がする。
関東方面は熱地獄のようだが、九州では逆にこのところ、雨が多く、日照不足気味
かっとした夏特有の暑さはなく、じめじめとした蒸し暑さが続く。
台風12・11号が過ぎてからは、最高温度が32度前後とやや低く、夜などは、
ひやっとした涼しさを感じる日もあるほど。
何だか秋の気配も漂っている。人も地球上では一つの生き物に過ぎない。農人と
なると、特に露地栽培をしているとその感覚が動物に近づいているのかもしれない
但、雨が長く続き鍬仕事は滞り、草は伸び放題になり、たまりに溜まった剪定枝の破砕作業もできないし、作業が大きく滞り、いらいらが続く毎日。
 
イメージ 2茄子が雨の多い気候の
ために、やや元気に育ち
始めている。
茄子・胡瓜等は水を欲し
がる作物。
 
9月には本格的な出荷を
迎えられるかもしれない。
あとは、日照時間かな。
 
台風対策で誘引作業が
進み、木が安定してきて
いるのも好条件のようだ。
 
 
最近、低価格が商品・サービスなどの価値であるという概念にマーケットではやや変化が見られるようになってきた。ここにきてようやくかという思いもあるが、余りにも長くこの低価格と横並びの価値観が続いたため、生産者や流通及び飲食などの
サービス業界では、表面を繕う見てくれきれいな価値観が主流となってしまっている
そうでないものは、マーケットでは、商品として価値が無いという風潮が支配している。画して、本質的な価値は評価を受けず、全てが「うわべ」を尊ぶようになる。
 
物作りニッポンが世界を席捲してきた時代、品質の良い物、勿論この時代は為替
価格が低かったせいもあり、世界的には、低価格ではあった。
為替相場が上がり、日本製品は高いという評価を受け始めたが、品質の良さ(ブランド価値)がまだ日本の商品を支えてはいた。
やがて後進国の追い上げに合って、ブランドジャパンは急速に競争力を失い始めた
ただそうなのか?と疑問を持たざるを得ない。
表面を取り繕う価値観が蔓延し、本質的なブランド力(品質の良さ)やイノベーションを失いつつある日本の現実がそこにはあるのではないか?
 
逆に農産物は、関税によって守られてきたと言うか、保護される対象となり、横並び・画一化した農産物が一般化し、他の商品とは異なり、個性や差別化、品質、
、コミュニケーション力などの競争に晒されず、単なる食糧として扱われてきた
ように思える。品質に変わる価値観として「見た目・きれいさ・規格サイズ・低価格」
と言った価値観が全てであった。すでに商品ではなくなっていた。
そのかわり、低価格で守るべき食糧として、国によって保護される対象であった。
そのことが、日本では農産物が自由さを失い、生産者が創意工夫して「美味しさ・
栄養価・安全性」を競い合うことすらしなくなった要因になった。
美味しく栄養価の高い安全な野菜は、労力を要し、生産リスクも高く、コストがかかる。さらに買ってもらうための伝達能力(コミュニケーション能力)が必要となる。
 
このことを知っている、あるいは、実践できる農人は数少ない。
そうなると、農業者の地位はいつまで低く、壁は高く、一部の無謀な若者を除いて
農業の世界に残れる若者は限りなくゼロに近づく。
国は相変わらずの大規模化・法人化しか言わない、と言うかその方策を知らない。
農協改革など長く続いた保護政策などの癒着の構造が妨げになり、進むわけもない。
地域が崩壊していく様を見ているのは辛いが、新たな芽が出るため必要なことであれば、それも仕方がないことなのか?
私達ができることはしれているが、絶え間ない消費者との語らいをしばらくは、続けていくしかないのかもしれない。潮目が変わるまで・・・
 
イメージ 3
ようやく太り始めたバジル
 
今日、農園スタッフ達と
夕飯を共にする。
 
その際、トマトとバジルの
パスタ(アンチョビ和え)を
食べた。
 
奥さんの料理も旨いが
そのトマトとバジルの風味
の相性が抜群。皆、
お代わり・・・の声・・・