農園日誌ーこの国の行方Ⅱ

26.3.12(水曜日)晴れ、最高温度12度、最低温度2度
 
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                この時季、選別場に一杯の野菜達
 
朝から6人で収穫をして選別・水洗い・袋詰めを終えたのがようやく午後4時頃。
春のこの時季には、極く一時的に野菜が溢れる。
去年から植え込み種蒔きをして、トンネルを懸けて、越冬して育った野菜達は、
春になるとその大小にかかわらず、一斉に莟立ちを始める。
ある学者さんがこのように得意げに主張していた。
アブラナ科の野菜は最低温度5度以下にすると、必ず莟を体内に持つようになる
だから、5度以下にしないことが肝要です」と・・
いかにも机の上で発見したアブラナ科野菜の習性であり、それはそうでしょう。
但し、そんなことが露地栽培で可能なのかは誰が考えても無理だと分る。
しかして、農家にとっては何の意味も無い学説となる。
 
越冬野菜はトンネルを懸けたり、剥いだり、織布のベタ懸けをしたり、様々な工夫
を施して、この莟立ちの時季を調整しているのだが、長く寒い冬が続くと、最近の
ような春の陽気に晒されるとその努力も報われず、一斉に莟立ちを始めている。
そのため、早期の出荷を行うために、この時季一時的に出荷野菜が溢れかえる。
 
その後には、いつもの通り頭の痛い出荷野菜不足の季節が今年もやってくる。
 
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春の野菜の種蒔きを待つ
6番の畑、奥は5番の畑、
 
ここには早稲の大豆を蒔く
7月頃、枝豆となる。
農園では黒大豆の枝豆
と決めている。
見てくれは悪いが味が良く
初夏の味覚となっている
 
この早稲大豆の出荷が
終わる頃、秋の黒大豆
の種蒔き時季を迎える。
 
先日、何気なくテレビを見ていたら、「農業が変わる」といった番組でしたか、
農業の企業化・大規模化・近代化により、農産物を輸出産業に変えようとしている
国の農業の一大転換策であるかのように報じられていた。
大規模化によってコストを抑え、効率化をすすめることによって優秀な日本の
農産物を世界と戦える産業に替えることができる。高名な経済ジャーナリスト
さんが力説していた。
 
以前からどこかで聞いたような話ではある。何のことは無く、日本がアメリカに
追随して農業の近代化・大規模化・機械化を戦後長く進めてきた方策とは
何ら変わらない。膨大な補助金漬けの農業政策により、さらに日本の農業は
悪化していった。今回は補助金なし!ということか?
国の国土保全に、あるいは、産業の復興のためには、地域農業の存続が不可欠
となっている筈であるが、そこに考えが及ばないとすれば、この国の行く末は
かなり暗い。
 
イメージ 3人参の草取り(三番の畑)
人参・葱系は最初のこの
草取り作業をしないと、
皆、草に負けてしまう。
そのため、小さな人参の赤ちゃんを避けて一本一本
草を除去していく。
まさしく消耗戦となる。
 
こんな地道な作業が農業
であり、除草剤を撒き、
広大な畑を作る大規模
農法とは異なる世界が
ここにはある。
 
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にんにくとわけぎの草取り
作業風景(5番の畑)
 
ほぼ一週間をかけて
にんにくの畝の草取り
作業を行っている。
 
この草は、畑から持ち出し
草木堆肥の大切な原料と
なる。
まさしく労力の塊り。
根気のいる作業である。
 
 
 
日本の国土は干拓地以外は一反(300坪)、あるいは3~5畝(100~150坪)
単位の農地が地権者が入り組んだ形でしか存在していない。
さらに平野部以外は山間地や中山間地が多く、斜面にしがみつくように農地が
点在している。
由布市のある議員さんが当農園に来られて憤慨していた。市の農業系の職員
が国のそのような大規模化(相変わらずですが)や企業化の方針の中、
「国は我々のような地域をすでに見放している。だから何を企図しても無駄であり
地域の農業政策など止めた方が良いのでは」と言っていたことに対してのようだ。
 
当農園のように、草や葉っぱを集め、剪定枝を粉砕し、草木堆肥を作り、高い
品質の野菜を集約的(高労働)に生産する農法でしかこのような山間地では
生き残っていけない。
日本の大部分の農地が地域がそうであり、日本の国土を無視したような国の
農業政策にいつまでも期待し、農業者の創意工夫を怠れば、今までと何ら
変わらない。
日本の多くの地域の農業者が諦めと無力感に捉われており、工夫や努力を
惜しむ体質が現在の日本の農業現場の実態となっている。
この状態を変えていくには、農業を知らない若い世代の農業現場への参加が
不可欠であり、そこに新たの農業の芽栄えが生まれてくることを期待したい。
そのための佐藤自然農園であり、むかし野菜の邑グループであることを、
新たに参集した若い力に伝え続ける。
これを頑固と言うのかな?今日も腰が痛む。腕が上がらない。やや気持ちが
焦る。早い春の訪れを願う。