農産物の価値(評価)について

24.3.14(水曜日)晴れ、最高温度10度、最低温度0度
 
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    白梅が7分咲き、ようやく農園にも春の気配が・・それでもまだ霜柱が立つ
 
ようやく晴れ間が見え、昨日堆肥を切り返す。長雨で湿り気を帯び、やや腐敗発酵の
匂いがあり、切り替えしにより酸素が補給され好気性微生物が盛り返してくれる。
昨日今日と新しく草木堆肥の仲間に入る由布市庄内の渡辺さんの処に、堆肥を振る
河野農園もこの一時的な晴れ間(雨が3日降らない)を利用して堆肥を二杯、取りに来た。
 
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渡辺さんの圃場、
およそ7畝の畑に軽トラ三杯の
草木堆肥を振る。
親子でここに移り住んで来られた
そうだ。今までは米作りをしていた
土壌は赤土粘土質、お米には
最適な土壌。
これから、3年かけて一部を畑に
変えていくことになる。
他に鶏を飼っている。犬が番犬
となり、鼬などから守る。
彼らにエールを贈る。
 
(野菜の評価)
新しく野菜作りに取り組む人達もいる。仲間が増えて心強いが彼らのためにも考えられさせることがある。
これは一般的なことではあるが、商品の価格とは何?どのようにしてその価値は
決められるのか?
通常、商品の原価(人件費・材料・投下資材など)と販売管理費(販売費や人件費)
に、若干の利益を載せて、価格が決まる。それと市場流通価格との相場により、販売価格はかなりの変動を見せる。
日本の農産物(江戸時代よりお米が中心の時代が長く続くが)は概して他の商品に
比べて安く低迷してきた歴史がある。江戸幕府が崩壊した一つの要因に米価の低落
がある。(石高を中心にした経済の崩壊)
 
それに加えて、現在は大量に流通させるため、農産物の評価が均一な形状=規格サイズを求め始め、流通市場がその価格=価値を決定するようになってからは、一段と農産物の価格が低下していった。
 
その二つの要因によって、農家は原価+販売費+利益を得ることが甚だ難しくなり
農業はその後継者たる子供達から見放され、田舎から農業者が消えていく現実は
もっと重く受け止めなければ・・・と思う。
 
今、農業を心出す人の大半が有機農業になるのも頷ける。
それでも、その有機農産物といえども、その価値は安全安心と言うだけで、価格は
上がらず、さらに、市場流通が求める規格サイズに価値が置かれているのが現実にある。これでは、折角有機農業に取り組み始めた人達もやがてこの現実に気がつき
農業現場から去っていくことを憂う。
 
私が考える有機農産物の価値は少なくとも明日の生活が成り立つことが出来る程度にはなるべきであり、その価値の基準は、美味しさや栄養価であり、安全であること
に至ることを願って止まない。そして、その価格はやはり生産農家が決められるようにありたいものだと切に思う。
勿論、農家にもその価値を探求するハングリーな精神と野菜に対する愛情を持つべきであるとも思うし、消費者ともっと向き合うことを願って止まない。
 
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越冬したブロッコリー
(二番の畑)
 
晴れ間を縫って除草と追肥
中耕(土寄せ)を行い、見違えるようにきれいになった畝。
 
後は暖かくなって、彼らが
成長してくれることを祈る。
もう、芯には莟をつけている。
この畑は最高に旨い野菜が
採れる。
 
 
イメージ 4除草を終え、竹の支柱を
立てたえんどう豆の畝。
(二番の畑)
 
ここには絹さやえんどう・
植えられている。
今年の冬は厳しかったが
この極寒の中、多くの豆
が生き残ってくれた。
そういう年は豆類が美味しい