農園日誌2010.12末

22.12.29(水曜日)晴れ時々曇り、最低温度4度、最高温度15度
 
12月になって寒気が波状的にやってきて本格的な冬の到来が予感される
ようやく全てのトンネルを張り、急な寒波にも耐えられるよう準備完了。
明日から農作業・出荷はお休み・・・約一人を除いて・・・・
 
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白一色の3番の畑
越冬中の野菜達はトンネルの中でムレや凍結などに耐え、冬を越し、痛みながらも立ち直るの繰り返し。野菜の生命力次第、
どれくらいの野菜達が生き残って
くれるか。はぐったり、閉めたり、
これからしばらく野菜達と会話
しながらの管理が続く。
 
 
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4番の畑の風景
空が抜けるように青い。
空気が澄んでいるんですね。
畑からは荘厳さが伝わる。
私はこの季節が一番好きです。
 
 
 
この一年は料理人の斉藤君が新しくメンバーに加わり、少し楽ができたかな。
 
来年は「料理人斉藤君」が独立する年にしなければなりません。
今、狭間町の赤野の奥に、来年廃校になる「朴木小学校」に本格的な飲食店と
野菜を中心とした加工品(漬物・惣菜・おやつ)及び有機自然農法の野菜販売所
を開設しようかと検討を始めました。
地域の方々や町役場(今では由布市ですが)や県の御協力をいただかなければ
できませんが、なにはともかく何らかのショップ展開を模索する年になりそうです。
 
急に思い立ったことではなく「人」さえ揃えばいつかやらねばならないとは考えておりました。お客様方には申し訳ありませんが、実は私は有機農業がやりたくて農園を開いたのではなく、地域が疲弊していくのを見るにつけ、農業で地域活性化ができないかと考えました。
残された第二の人生にそんな思いをはせて始めた農園=有機農業でしたが、
やりはじめて、とんでもない思い上がりだ、ということに気がつかされました。
圧倒的な自然の力と厳しさにたった一人では何もできないことに、又、野菜作りには
自分を犠牲にした野菜に対する愛情とやさしさが必要であることも・・・
 
このことは折をみて、また書きますが、さて、斉藤君の一生懸命さとがむしゃらさや
すばらしいと思ったことにすぐ飛び込める純粋さに触れ、今の若者は!ということは簡単ですが、何か感ずるものがあったことも確かです。
 
人間は生きているのではなく生かされているのです。この地球とういう自然の中で・・
そうであれば、若しくは、そのように感じ取れるのであれば、もっと謙虚に、もっと何かできることが、もっと人に社会にやさしくなれないか、と考えるのも新しい年に向かって思いやってみても良いのでは?
 
私は斉藤君にこう言いました。
貴方の活きる処はここではなく料理の世界ではないか?
ここから、「有機自然農園、朴木分校」の計画が始まります。
(ちなみに斉藤君は東京・ハワイなどでシェフとして高級料理の実践をしております)
 
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            昨日畑に季節はずれの虹がかかりました。
                   虹の左端は高崎山(おさるの)です。
 
「朴木小学校」(ほおのき)を見た時、このまま朽ち果てていくのは忍びなく思い、
校舎・小さな校庭や遊具・砂場はそのまま残し、乳幼児や小さな子供さんを抱える
若いお母さんたちの憩いの場として、大人の方々には小さい頃のどこか懐かしい
学び舎として教室をそのまま飲食店にチェンジし、美味しい野菜の紹介の場として
活かしていけたらと考えております。
多くの方々がこの事業に参加、あるいは、共感いただければ幸いです。
 
それでは本年中は大変お世話になりました。皆様方に置かれましては良い年を
お迎えして頂きたくお祈りいたします。
日本全体が混迷の年であり、進むべき道を失ったかのように見える一年でした。
それでも、このまま何もしないより、何かに挑戦していき続ければ道は開けてい
けると信じ、進むしかないのではないでしょうか。少なくともそうありたいです。
 
                                            敬具、