農園日誌ー

30.7.11(水曜日)晴れ、最高温度34度、最低温度24度

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              ピーマン系野菜の畝揚げ作業

梅雨の間に雨によって固められた土壌では、野菜達は呼吸ができなくなるため、
中耕により、根に空気を送り込んでやる。その際に除草と追肥(草木堆肥)を行う。
この作業は梅雨明けの重要な作業となっている。

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ピーマンと黒ピーマン。

他には、夏の定番野菜となっているパプリカ・万願寺及び伏見とうがらしなどがある。

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梅雨明け時、
一本葱・九条ネギ
などの除草兼土寄せ
作業が待っている。

この作業にもこつがある。
畝揚げ作業によって、草を上手に土で覆ってやる。
このことで、面倒な
除草作業が省ける。



イメージ 5梅雨明けと同時に
トマトが色付き始め、
今が最盛期。
一番・二番果の一部は
地面に近いため、湿気で茶色く変色し、腐っていく。

それでも毎日40キロ以上は採れる。
当農園は定期購入の方への直接配送ですので、最盛期にはどうしようかと悩んでしまう

この時季、瑞栄トマトは一家族当たり毎回1キロお送りしている。
その他に、今年はフルーツトマトも当たり年となり、毎回300~400gも別途、お送りしている。ご迷惑かなとは思いつつ、出荷している中、嬉しいメールがお客様から届いた。

「やはりむかし野菜さんのトマトは格別ですね。待っておりました」と・・・

むかし野菜は、定期購入のお客様(仲間達)ばかりであり、皆様、固定客である。
そのため、トマトに拘わらず、旬の時季はそれこそ一杯採れる。
トマトに関して言うならば、7月~8月初旬にかけて、毎日40キロ以上の収穫があり
それから徐々に減っていき、9~10月は一日数キロしか取れなくなる。
今度は、一回当たり、300g程度しかお送りできなくなる。しかもそれは幸運な方のみともなる。
旬の時季は、単価も下がり、かなりリーズナブルな価格となる。
露地栽培であり、自然の恵みです。仲間達へは、その自然の恵みを応分に分け合って食べてもらう。
これが固定客のみの販売方式の原点です。

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フルーツトマト

剪定作業の合間、畑の炎天下、温度は35度を軽く超えてくる。
目がくらみそうになると、割れてしまった(これは本当は一番美味しいのですが)トマトをたまらず、口に放り込む。旨い!

草木堆肥しか使わない生産農法は、おそらく、日本の中では、オンリーワンに近い。
世界では例が無い。
それだけに、この自然の恵みを食している方は、むかし野菜の定期購入のお客様だけとなる。となるとむかし野菜の仲間達と言うことになる。

最近、近くに自然農の野菜販売店ができて、そこで買うようにしましたので、定期購入を中止しますというメールが届いた。
「待ってました」のメールの方とは、何が異なるのだろう。
単に価値観の相違とは言えないものがあるように思える。

兎に角、むかし野菜に魅了された、(私もその一人だが)方しか続かないのかもしれないなどと、思っていると、このむかし野菜の農法は、若しかして、世界で大きく動き始めているスローフーズや農業の原点回帰の動きを先取りし過ぎたのか?と考えていたら、この世界の動きに逆行した国の政策が決定した。

「種子法」の改正である。と言うより改悪かな。
新たな種子法は、工業化農業への転換を意味しており、怖いことは、枯葉剤を使っても死なない遺伝子組み換えの野菜(大豆や小麦)を導入しようとする思惑が見えてくる。

賢明な消費者を少しでも増やす動きをしなければ、と馬鹿な農園主は思ってしまう。


 
世の中には、様々なタイプの人が居る。
その中で、一見、世渡りがうまくクレバーなタイプの人が居る。
最近の政治家や経営者には、このような人達が多くなっている。
時の権力者に取り入り、権力者が「これは白い」と言えば、例え黒っぽく見えていたとしても、「白ですね」と言って憚らず、忠誠を尽くす。「忖度」と言う言葉が流行しているように、部下や周りの人達を押さえつけても権力者の意向を守り、生き残る。やがて、力を付けていき、時が来れば、自分の信ずる生き方をしようと思っていたとしても、権力者になると、忠誠を尽くしていた権力者と同じことをしてしまう。
 
かっての政治家や経営者には、自らの信ずるところを貫いていこうとする人達もいた。
何かの事業を成し遂げる人は、概ね、孤独に耐えきる人であり、敢えて取り巻きを作ろうとはしない。そんな人達はひたすら真っすぐに突き進もうとする。
勿論馬鹿ではないので、変化球を駆使しながらでも、最終的な到達点は曲げない。そういった生き方に賛同していく純良な人達も周りには多く居た。
 
しかしながら現在は、情報化が進み、価値観が多様化し、他の人のことを思いやろうとしない不寛容さに満ちた社会となり、空気の読めない人とは言われたくない、孤立することは避けたい、そのため、他の人と同じ行動を取ろうとする。所謂、仲間意識の固まりとなり、なんとなく和気藹々としていることで安心する。多分そのほうが居心地が良いのだろう。
 
事業とは、事の業(なりわい=生業)である。つまりは、生きていくための事業のことであり、ライフワークであり、多くの人達が関与していくものである。
今は、先行きの読めない不安に満ちた混沌とした時代。常に新たな事業を目指す人は、横並びの発想はしない。時代の先を読みながら、挑戦していこうとする。
そんな人達は、常に孤独であり、どのような批判や非難を受けようと、しっかりと前を見据えて事を起こそうとする。
現在は、そんな人達が現れにくい環境があるのかもしれないが、時代は変革を待っていると思いたい。