農園日誌Ⅱー「活きること」ーPARTⅧ

31.3.6(水曜日)雨、最高温度12度、最低温度8度

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                   麦畑(裸麦)の風景

この畑も穀類を作り始めてすでに4年目に入った。
裏作に大豆を植えているので、すでに7回以上は草木堆肥が入っている。
最初の泥田の頃から比べると、随分と団粒化(腐食)が進んだ。
そのため、麦の姿や色合いがしっかりとしてきており、穀類の味香り・旨味が出てきている。今年の麦茶(自家焙煎)や麦御飯セットが楽しみだ。


「活きること」-PARTⅧー「農業経営にもマーケティング的思考を!」

 事業を営む者は、主観的な経営を行い易い。
確かに、商品(物品販売に限らず労務サービス提供も商品に含む)を売る場合は、事業者の思いが詰まったものを売りたい。唯、それが商品となるには、買い手が居なければ成り立たない訳だから、買い手側の欲しがる商品であることが絶対的な条件となる。さらには、類似商品を扱う競合先もあり、その商品には何らかの差別化が必要となる。

それでは、買い手側(ターゲット層)は誰なのか?どのような消費行動を取っている人達なのか?その消費者層はどのような価値を求めているのか?などなどを探るのがマーケティングである。
主体的に商品開発に取組むことは大切であるが、自らの商品を買い手側から客観的に俯瞰することが重要となる。
中国の白圭(商顧の神様と呼ばれていた)と言う商人はこう言っている。
「ここでは不要となっている物を買取り、その商品が必要とされている処に
 売る。しからば、必ず成功する」
これがマーケティングによるターゲット戦略です。自分の思いに振り回されず、商品と人のニーズを客観的に測っている。簡単そうに見えて、事業を心出す者は、自分の思いが強すぎてこれが実に難しいのです。
 
(マーケット分布)
革新層;           1%・・・独自の価値観を有し、常に新た
                    なものを求める層
時代を先取りする市民層;   2%・・・識見が高く、一歩先の時代の
                    価値観を見ている層。
遅れて先取りする市民層;   3%・・・やや遅れて時代の求めている
                    価値観を見れる層。
流行を先取りする大衆層;  10%・・・流行に敏感で、常にそれを追い
                    求めている層
流行に敏感な大衆層;    20%・・・遅れて流行を取り入れる層
一般大衆層;        50%・・・目の前に見える既存の価値観に
                    流される層
頑固な層;         14%・・・頑なに自己の価値観のみを尊重
                    する層
これは一般的な消費者のマーケティングマップです。
 
時代を先取りする特定消費者層とは、全体としてはわずか5%しかいない。そのわずか5%の市民層の消費活動がその時代を牽引している。その市民層の行動を、常に注視している大衆層がその消費形態や価値観を取り入れてくる。そしてその時代のトレンドを形成していくことになる。
例えば、大分の湯布院は、鄙びた寒村であり、そこに湯煙がたなびき、バックには由布岳などの豊かな自然が取り巻いていた。ここを観光スポットとして、取り上げたのが、30代前後の女性達であった。
やがて女性雑誌等の媒体から脚光を浴び始め、当時から温泉宿を生業としていた地域の経営者達と共に、ほぼ20年を掛けて、現在の人気スポットとなっている湯布院を形作っていった。
時代を先取りする市民層の開いたマーケットに大衆層が追随していくことが多く、マーケッターは、この市民層の消費行動を細分化し、その層を「イメージターゲット層」として商品開発を行う。
 
(商品開発)
「商品とは、品そのものの品質・形状・量・価格・パッケージなどを指し、
 店舗・売り方・接客する人・技術・商品説明などのサービスも含んでい
 る」
「商品開発とは、その商品を欲する、あるいは必要とするターゲット層に向
 けて行うものである」
「そのターゲット層の消費行動の様々な要素を細分化し、分析して、商品を
 想定するものである」
「いくら価値があると思える商品でも、それを必要としない消費者層には
 価値を持たない」

 私が取っている商品開発戦略は、奇抜な種類の野菜や加工品を作ろうとはしない。
例えば、過去に支持されてきた野菜や加工品の味香り・食感・素朴さ、そして何より美味しさを現在に合った形で再現していくことから始まる。それは日本の伝統的な食品だけではなく、広く世界で愛されてきた食べ物は、やはり歴史があり、人々の支持があり、品質があり、重さがあるからです。
但、過去が全て良いと言う訳でもなく、現在の食生活にある程度マッチさせていくことも必要である。
今は廃れている日本の乳酸発酵食品であった漬物があり、麦御飯であり、むかしおやつなどは、少し工夫すれば現在に復活しても支持されると言う自信はある。
 
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      大根を軒下に吊るし、陰干しをしているところ

この大根は、密集栽培を行い、大きく育った大根は、生食として出荷し、
比較的小さめの大根はたくあんとして米糠と天然塩のみでおよそ6~8ケ月漬け込む。
さらに小さな大根は、甘酢漬けとして早めに出荷する。
このように無駄を無くすことが、先人たちの知恵であった。
無添加乳酸発酵の漬物は、腸内細菌を活性化してくれる。欧州にはヨーグルトがあるが、
日本には漬物と言う健康食品がある。

 大量販売を目標とするならば、やはり大衆層に馴染みやすい商品開発となり、当然に90%のターゲット層に向けた商品を開発する。この手法は、 より資本力のある有名大手企業が取る商品開発である。
逆に、名の通っていない中小の事業者が商品を開発する場合、すでに市場に出回っている商品に近い物を作っても大手会社には到底太刀打ちできない。その中小事業者は時代を先駆けする商品にチャレンジするしかない。
その場合、一番難しい特定消費者層(わずか5%)に評価してもらえる商品を開発せざるを得ず、さらにその消費者層にどのようにコンタクトし、その価値を理解してもらうかが第一の関門となる。
その特定消費者層から支持を得られれば、圧倒的多数の大衆層がその特定消費者層に追随してくる。
次は、その大衆層へのコミュニケーション戦略・戦術が必要となる。
むかし野菜などは、その代表的な農産物及び加工品である。
 
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農園では、様々な種類の漬物を作ってきた。(たくあん・高菜漬け・からし菜漬け・瓜や茄子などの粕漬け・甘酢漬け・紫蘇の実の味噌漬けなどなど)ほとんどが乳酸発酵食品であり、むかしはどこの農家でも作っていた。
唯、経験と勘が必要であり、手間がかかり、美味しい漬物作りは難しく、現在では、廃れてきている。
近時、化学薬品漬けの漬物が多く出回るようになり、保存料・甘味料・合成デンプン保存料・酸化防止剤・着色料などもしっかりと加えられている。
(その美味しくない合成食品である)漬物が、消費者から敬遠されて来た一つの要因であるかもしれない。

(差別化)

 差別化商品とは言っても、消費者にとって見たことも無いあるいは、想定もできない特別な商品では、手に取ってさえもくれないし、評価などしてもくれない。
差別化とは、主には、品質のことであり、特別に安い、使い易さ、希少価値などと言う場合もある。
唯、品質の良さで勝負する場合は、やや良いくらいでは、評価され難く、圧倒的な優位性が必要となる。
ブランドとは、有名な商品ではなく、品質の事であり、その商品の信頼のことである。
 
北九州の銀行員時代、瀬戸際にある企業を生き残らせるかどうかの評価基準に、「社会的存在価値があり、生き残っていこうとする努力を行えるのか」に置いたことをお話しした。
その企業への融資を何時打ち切るかどうか(即、倒産となる)毎日悩んでいた時に、社長から会長と会ってくれないか?との話が合った。誰もがその会社に行くこと、会長に会うことを恐れていた。
意を決して、日曜日に私服で夕刻、伺うことを了承した。
当日、坂の上にある駐車場に車を止めて、門前に立つと、赤々とかがり火が参道に灯され、社員達が居並び、膝に手をつき出迎えていた。嵌められたと悟った。
仕方が無い、覚悟を決めて玄関に立つと、緋毛氈が大広間にまで敷かれており、入り口で社長が両手をついて待っていた。
約束が違うと彼を人睨みして先に進むと、広間の中央に小柄な会長が座し、その両脇に3人の屈強そうな壮漢が座り、いきなり名刺を差し出され、○○組の組長と書かれていた。
当時北九州を仕切っていた裏の世界の漢達であった。
会長からはやや甲高い声で、挨拶を受けたが、しばし無言を貫いた。
人という者は絶体絶命の状態に置かれると腹が据わるものらしい。
私は、やがてこう切り出した。

「本日はお招きを頂いたが、出直して参りましょうか?私はてっきり、会長と指しで話ができると思って参りましたが、どうやら違うようですね。このような丁重なるおもてなしを受けるとは」
その話が終わる前に、その漢達から怒号が発せられた。すかさず私はできうる限りの大声でこう遮った。
「一つの会社が消えようとしている。この会合がその一つの会社の命運を握っているとはお考えにならなかったのですか」と、会長の目を真っ直ぐに見て話し終えた時、
流石に恥じたのか、その小さな体を座布団から滑り降ろし、私と向き合う姿勢を取り、一言、申し訳なかったと。
それから、3人を去らせ、社長と3人だけの話し合いに移った。
 
 その中で、この会社が生き残れる可能性について、こんな話をした。
「重量物解体組み立て・運搬事業は、一つ間違えると、大惨事になる。そんな危険な仕事であり、一つの指揮に全員が一糸乱れず集中できるかが問われている」
「そんな危険な仕事を熟せる会社は多くは無い」
「これからの日本は、旧態の産業構造が変る節目にあり、そんな仕事が増えていくことが予想される」
そんな一糸乱れぬ組織体を貴方は作った。それがこの会社の唯一の財産である。
但し、余りにも借金が巨大になり過ぎており、しかも貴方が居ることによって、皆が恐れ、他からの協力が得難くなっている。
私の条件は会長が辞し、全ての権限をこの社長に譲ることです。
聞き終わった会長がやさしい親の顔に変じ、重荷をようやく下ろすことができたと、一瞬ほっとした表情をした。そして、その時から私と社長との長い苦闘が始まることになった。
 
 数億の資金調達とは別に、小松製作所フォークリフトなどの大手企業との直接折衝に、二人三脚で移っていった。今でこそ少し様変わりしているが、当時は、大手企業との直受けは中々できなかった。
上場企業の上組の下請けとして、誰もが嫌がる危険な仕事に積極的に取組、徐々に信頼を勝ち取っていき、様々な方策を講じ、二年後には、念願の直受け企業として認められた。
この現場の指揮官の指示に絶対的に従うという、会長が作り上げた事業体質がもたらせた結果とも言える。その仕事への信頼こそが、差別化と言うことになるのです。

 今でも、社長(今では会長)とは、同志としての変らぬ付き合いが続いているが、座っている姿はむかしの会長そのものであった。
初代が作り上げた企業体質(指揮命令絶対遵守のワンマン体質)が二代目までは、有効に機能(いえ、さらに強力になっていた)していたが、三代目となると、同じようには行かない。融和・協調体質へ移行せざるを得なくなった時、この会社の差別化と言う商品は、薄れていき、全く異なる差別化商品へと変貌していかねばならなくなる。
三代目の社長が長男ではなく、次男になったこと自体がその難しさを現わしている。
 
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            大豆を蒸している処

この竈は、米を蒸し、麹を作り、大豆を蒸し、味噌を作る。イベントの際は麦御飯を炊き、みそ汁漬物などと一緒に食べる。農園の重要な母なる竈です。

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         米麹と蒸しあげた大豆と天然塩を合わせている処

これをミキサーに掛け、味噌玉にし、味噌樽に漬け込み、約8~10か月ほど熟成させ、
農園の固定顧客にお配りしている。支持率98%の人気商品となっている。
お客様に様々なデプスインタビューをお願いしたところ、あるお母さんから、野菜嫌いの子供たちが、この味噌で具沢山のみそ汁を作ったら、野菜を食べてくれた。
その後、この味噌を作っている農園の野菜なら食べる!と言って、野菜嫌いがすっかり野菜好きになりましたと、報告がありました。


農産物市場について言えば、化学肥料・農薬常時散布の慣行農業では、施設(ハウス)栽培全盛の時代であり、単一品目栽培の時代であり、有機農業では、畜糞肥料主体の栽培のため、いずれも高窒素栽培で、大量生産型・規格野菜の農産物である。(慣行・有機いずれも横並び型農産物)
そんな農産物市場の中で、むかし野菜は、「露地栽培」・「草木堆肥のみ施肥」・「年間百種類以上の他品種野菜」と言う一農園では考え難い、低窒素栽培・ノン化学物質栽培・少量多品目生産型の農産物に特化し、品質での差別化商品を目指した。
本来、野菜が持っている「人の自然治癒能力を高める」機能を、畜糞に含まれる薬品などの化学物質・抗生物質に塗れた配合飼料により、畜糞主体の有機栽培でも、失いかけている。
そんな時代に、健全で安心できて、栄養価に富む野菜作りを目指そうとして、日本で営々と行われてきたむかしの農法を先人達の叡智から学んだ。
お客様からの「美味しい!」の一言が、むかし野菜の差別化なのです。
そんな農園グループが一つくらいあっても良い。地域全体でそんな農産物が作れれば、尚更良い。
その差別化戦略を押し進めるためには、消費者との直取引(対面販売方式)が必要となり、そのことがまた、差別化された販売方式(コミュニケーション戦略)となっている。