農園日誌Ⅱー「活きること」ーPARTⅦー「冬の虹」

31.2.27(水曜日)曇り、後雨、最高温度13度、最低温度6度

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         春を待つ二月、暦より一足早くトンネルを撤去。
    急に視界が開け、冬野菜の全貌が見える。今年の春の訪れは早い。
    農園の一部では、春野菜の植え込みや種蒔きが進んでいる。

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             去年の12月頃の三番の畑の冬景色
       遠くに見える青い屋根の小屋が、むかし野菜の邑の社屋です。


2010.12. 冬の虹

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 4番の畑からお猿さんの高崎山が見える。その上あたりに突然くっきりとした虹が架かっていた。
季節は冬で、冬の虹はあまり記憶に無い。吉兆なのか凶兆なのか、やや不安に駆られて眺めていた。
明くる年、2011年3月、唐突に北陸及び関東地方を襲った大地震によって、海が、長い年月をかけて、きれいに整備されてきたハウス群をみるみるうちに、飲み込んでいく、街を襲った大津波があっという間に人を車を押し流していく様がブラウン管の中に映し出されていた。
まるで、映画の一コマを見ているようで、現実の風景には見えなかった。
この時ほど、大自然の圧倒的な理不尽さと、その前では如何に人間が無力であるかを感じたことは無い。人が地球上で特別な存在であると思い上がってはいけない。人も自然の中で生かされているに過ぎない。
 
続いて起こった原発事故には、ああ!やっぱり!と思ってしまった。
この地震大国、災害大国である狭い日本の国土で一旦原発事故が起こってしまったら、一体何処に逃げるところがあるのか。その通りの人災事故に憤った。
今でもその憤りは消えてはいない。政府はそれでも原発は必要であると強弁する。プルトニュームを作り続けて核保有国となり、自主防衛できるだけの圧力を持つ志望を密かに抱いているのかとも思った。
この国は国民の命の営みより、大企業中心の国家に寄り添おうとしているように見える。
その大事故により、「食の安全」への関心が関東において一気に高まり、官僚達のお粗末な対応や情報秘匿などにより不信感はさらに深まっていった。
 
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自然そのままの里には、春の訪れを告げる曼珠沙華の花が咲き乱れる。
地震原発メルトダウンなどの世界とはまったくの異空間であり、他人事に見えてしまう。人を思いやる心を失ってはいけない。被災された方々の悲しさが、胸を打つ。


処がここから、思いがけず、農園はさらなる変化を遂げていくことになった。
その事故以来、頻繁に、佐藤自然農園のホームページに「お試しセット」
申し込みのメールが入るようになった。一年後、定期購入のお客様の数は
220名に達していた。
 
その時のメールのやりとりをいくつか紹介しておきます。
「ホームページを見させていただきました。国が安全だと言っていることは、あまり信用できなくなりました。原発事故の後、九州の農園さんを探しておりました処、貴農園に行き当たりました。
有機野菜だと言っても、取り寄せてみたら、実際には、見た目はきれいだし、虫食いの痕も無いし、第一美味しくない。草木堆肥を自ら作り、化学物質を持ち込まない、土作りが全てだと言っておられる貴農園の野菜を子供たちに食べさせたいと思っております」
 
「関東の農地も放射能に汚染されているようです。国の説明は信用できません。九州なら良いのではと考え、お試しセットを申し込みます」
 
「スーパーで買っておりましたが、産地偽装も多く、信用できなくなりました。大手の通販会社の有機野菜を取ってみたのですが、あちこちの野菜が混じり、作り方もばらばらなようで、さほど美味しくも無く、思い切って貴農園の野菜を取ってみようと考えました。子供もできましたし、この機会に是非、健全な野菜を食べさせたいと思います」
 
「貴農園から野菜を送ってもらっている〇〇さんから教えてもらいました。通販から有機JAS野菜を取り寄せていましたが、虫食いの痕も見えず、疑問に思っていました。子供も小さいので、やはり、安全性が心配です」
 
「箱を開けました。これが本当の野菜なんだと思いました。自然のままできれいです。ようやく本物の野菜に出会うことができて幸せを感じております」

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大分と言えども、時には、氷点下3度にもなる厳しい厳寒期、このビニールトンネルは欠かせない。トンネルの中で、ひたすら春の訪れを待つ冬野菜達。むかしは露地栽培ばかりで、こんな冬の風物詩はどこでも見られた。
今は、ハウス栽培全盛の時代、寒に当たり、日中の寒暖差により、美味しく育つ野菜はあまり見られなくなってしまった。
 
この時感じたことがいくつかあります。
残念なのは、自然や人災の理不尽さによって、手塩にかけてきた農地や大切にしてきたお客様を奪われた農家の怒りや無念さを少しでも理解してやれたら良いのに、と思えるメールも多かったことでした。
実際にもそのようにメールを送りましたが、消費者から敬遠され、風評被害に苦しむ放射能被曝の農家のことを思うと、複雑な心境でした。
唯、全体としての印象は、原発ショックは思いのほか、「食の安全」についての関心を消費者に呼び起こしたようでした。但、一時的な危機意識で終わらねば良いのですが・・・
この時期、集まったお客様たち(私は仲間と呼んでおります)の多くは、価値観を共有できる特定消費者達でした。事実、今でも当農園の固定顧客の中核を担っていただいております。
その方々の半数以上は、元々、食の安全性や栄養価や美味しさについて関心が高く、家族の安全を守ると言った考え方が根本にありました。それ故、その方々から、このように伝わってきました。
「ずーっとむかし野菜のような自然循環型の野菜作りを探し求めていた」
どうやら、問題意識の高い方々にとっては、当農園が最後の終着駅のようでした。
そこで、少し意地の悪い質問をぶつけてみました。
「取り寄せる際に想定していた野菜と実際に取り寄せてみた野菜とは違っていなかったですか?」と・・
驚いたことに、回答された方からのお話は皆、同じでした。
「いえいえ!思っていた野菜通りでした。これが本当の野菜なのですね」
それに加えて、このように付け加えて頂いておりました。
「こんな野菜を探していたような気がします。ようやく出会えたと感謝しております。大変だと思いますが、どうか頑張ってください」と・・
頭の下がる思いでした。こちらこそ、私たちの試みを理解して頂ける人達と出会えましたと、小さく返信をした。同じ野菜を食べ、同じ価値観を共有している訳ですから、これ以降、定期購入のお客様のことを仲間達と呼ぶようになった。
毎日がメールを通して新たな人達と触れあうことになり、時には励まし励まされ、メールを開く度に、ささやかな感動の毎日であった。
 
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定植してまだ一ヶ月ほどのレタスの畝。幾何学模様を描いて、一所懸命に育っている野菜達の何と健気でかわいいことか。
自然循環農業を行っていると、自然と関わることが多く、その優しく厳しい環境で頑張っている野菜はまるで、自分の子供のようで、被災し、潰された野菜に対する愛情の深さを、
自分のことのように思えてならない。


長らく損得・収益・利害関係・駆け引きなど、人の欲を計量化する金融の世界で過ごしてきたせいか、ひたすら土を作り続け、野菜と語らい、自然と向き合う生活は、異次元の世界でもあった。
農業の世界も採れた野菜を販売しなければ生きてはいけず、社会と大きく関わってくることには違いは無いが、どこか以前の世界とは違う。
当農園が消費者との直接販売をするだけに、理不尽さに接することもしばしばあり、人間臭いお客様とのやりとりは常に行っている中で、分かっていただける人に買ってもらえば良いと割り切っている。
そんな出会いの毎日の中で、自分が一生懸命に育てた自信を持って語れる農産物商品であり、そこには、利害を超越した交流が生まれるようだ。
見ず知らずの人と、この活きている野菜達を介してお知り合いになれる。流通に損得関係だけで一括して引き取られていく商品作物とは明らかに違い、直接の消費者との交流はどこか優しくなれるように思える。